4-幕間 大尉と上級大将

 世暦せいれき1914年6月25日


 ヒルデブラント要塞攻防戦終結後、敵警戒の為に要塞守備隊は勿論の事、第11軍団と一部兵を残しながら、大部分の帝国兵達は各駐屯地へと帰還した。

 そして、グラートバッハ上級大将直属である第11独立遊撃大隊は、シュロストーアの宿舎へと戻り、3日後から休暇が貰える事に盛大な歓声を上げ、各々、その準備をしながら、苦楽を共にした仲間達との交友を楽しんだ。


 しかし、その中にガンリュウ大尉の姿は無かった。


 別の隊に移ったという訳ではない、個人的な事情で、ブリュメール方面軍総司令部に足を運んでいたのだ。


 ガンリュウ大尉は、司令部入り口の受付で、訪問理由など聞かれた後、階段を登り、最上階まで上がった。

 そして、階段を登り切り、目的の部屋へと足を進めると、丁度、その部屋から初老の男が出てきて、此方へと向かってきた。



「エッセン大将閣下」



 エッセン大将の存在に気付いたガンリュウ大尉は、即座に廊下脇へと寄り、エッセン大将へと敬礼し、それに気付いたエッセン大将も、大尉に微笑を見せると、軽く敬礼で返し、その前を通り過ぎていった。


 第10軍団駐屯地に居る筈であるエッセン大将の存在。それにガンリュウ大尉は怪訝けげんな表情を浮かべながらも、大将が出て来た部屋、自分の目的地へと足を進め、部屋の前に止まると、ドアをノックした。



「入れ」



 男の声で入室を許可された大尉は、ドアを開け、部屋へと入室すると、デスクに座りながら書類にサインを書き込む初老の男へと敬礼した。


 男はガンリュウ大尉にチラリと視線を向けると、少し楽しそうに微笑し、手を止め、視線を大尉へと向けた。



「ほぉ……? ガンリュウ大尉か、珍しいな。何用だ?」


「厚かましい事ながら、1つ御願いと、御伺いした議がございまして、参上致しました。



 グラートバッハ上級大将はやわらかな笑みを浮かべると、アポイントメント無しでやって来たにも関わらず、ガンリュウ大尉に対して、歓迎する様子を示した。



「ガンリュウ大尉、そんな畏る必要はない。君の父君と、私との仲だ、2人だけの時は軍人ではなく、年齢差は大分あるが、友人として接して欲しい」


「いえ、友人と呼ぶには、閣下に多大な御恩があります。それを返すまではこのままで……」



 グラートバッハ上級大将、彼とガンリュウ大尉の父親は友人であった。

 上級大将と大尉の父との仲は、子に慈愛がおよぶ程強固であり、大尉の父が死んだと聞かされた時は泣いて残念がったという。


 そして、貴族の立場にある上級大将は、当然、大尉の父が貴族に濡れ衣を着せられ、謀殺された事まで聞いている。

 その真実を、上級大将は、子が父の死の真相を知れぬのは不憫だとして、ガンリュウ大尉に話していた。


 ガンリュウ大尉が貴族を恨むに足る情報を与えたのは、彼であったのだ。



「何……恩というまでの事はしとらんよ。只……友人の子が、父の死について何も知れぬというのは、残酷だと思っただけだ」


「それでも、教えていただいた事は変わりありませんし、閣下にはそれ以外でも、様々な援助をしていただきました。感謝に絶えません」


「そうか……そこまで言ってくれるなら、君に手を貸した甲斐はあったという事だな」



 グラートバッハ上級大将は、我が子と会話する様に、ほがらかな笑みを浮かべた。

 上級大将は未婚で子供がおらず、友の子であるガンリュウ大尉を、本当の息子の様に感じていたのだ。

 そして、大尉もまた上級大将の事を、本当の父親の様に感じていた。




 血の繋がりも、書類上の繋がりも無く、親子としてには家族らしくも無いが、会話を楽しんだ2人。そして、話はガンリュウ大尉の本題へと移された。



「で、大尉……お願いとは何だ?」


「閣下……いただけないでしょうか」



 それを聞いたグラートバッハ上級大将は、少し驚きの表情を見せると、改めて微笑の笑みを浮かべた。



「理由を聞かせて貰っても良いかね?」



 問われたガンリュウ大尉、その表情には僅かながら躊躇ためらいが見て取れたが、直ぐにそれも消え、真剣な表情で告げた。



「エルヴィン・フライブルク少佐、かの指揮官の下で、もう少し働いてみたくなったというのが理由です」



 それを聞いたグラートバッハ上級大将は、更に驚いた様子で目を丸くすると、今度は喜ばしげに口元を緩めた。



「なるほど……フライブルク少佐の事が気に入ったのだな」


「いや、そういう訳では……」


「あはは、自分の口で認めるのは嫌か! まぁ良いだろう……しかし……君を出世させぬ訳にはいかん」


「やはり、ですか」


「ああ……君は、皆が見る前で活躍し、剣鬼という異名まで付けられた。そんな兵士を出世させぬとなれば、我が軍の信用が落ちかねん」



 グラートバッハ上級大将の意見は最もであり、ガンリュウ大尉も事前に分かっていた。

 しかし、大尉はそれ以上に、エルヴィン達との交友を崩したくは無かったのだ。


 部隊を離れざるを得ない残念さ、それが少し顔に現れていたらしく、それを見た上級大将は、年柄にもなく、まるで悪戯をする子供の様な笑みを浮かべた。



「君の昇進を止められる事は出来ん。だが……心配はいらん。君をフライブルク少佐から引き抜く気は毛頭ない」



 それを聞いたガンリュウ大尉は、怪訝けげんな様子で眉をひそめた。



「しかし……小官は少佐となります。少佐の下では働けない筈ですが……」


「それが、大丈夫なのだよ」



 ニコニコとするだけで理由を教えないグラートバッハ上級大将。それに、ガンリュウ大尉は更に怪訝けげんな表情を浮かべながらも、閣下がそう言うならと、これ以上は聞かなかった。


 そして、話は次の本題へと移る。



「では、次の話を聞こうか。私に聞きたい事とは何だね?」


「前々から疑問に思っていた事です。"エルヴィン・フライブルクとは何者"ですか?」



 ガンリュウ大尉は今まで疑問だった。


 エルヴィン・フライブルク、彼は間違いなく有能な指揮官であり、尊敬できる上官である。

 しかし、彼には何処か、普通の指揮官とは違う何かがあった。


 名将としての器、それ以前に彼には何かがあった。

 それが何なのか、ガンリュウ大尉は知りたかったのだ。


 そして、グラートバッハ上級大将はそれを知っているのだろう。だからこそ、自分の直属の部下としたのだ。



「何者、か……」



 グラートバッハ上級大将は少し考え込んだ。そして、少し沈黙を保つと、決意した様に頷いた。



「ガンリュウ大尉、オイゲン・フライブルク大将……いや、今は元帥か。彼の事は知ってるかね?」


「ええ、知っています。"森狐"と呼ばれた将軍だった筈です」


「そうだ。そして、名から分かる通り、フライブルク少佐の父でもある」


「やはり、そうでしたか……」



 ガンリュウ大尉の反応は淡白だった。

 というのも、エルヴィンはエッセン大将との会話で父が軍人であったと話しており、ガンリュウ大尉は、それを横で聞いた時に、フライブルクという名の将軍を思い出していたのだ。


 更に、オイゲンの名声は歴史に刻まれると言える程高くはなかった。

 何故なら、ここ10年で死んだ大将以上の指令官は優に40を超える為である。


 死因は様々で、病死、暗殺、謀殺、事故死、戦死。


 大将以上の司令官が死ぬ度、帝都で盛大な告別式が開かれ、死んだ将の活躍を誇張し、大袈裟に市民に伝え、志願兵を募るのだ。

 つまり、オイゲンの死も、そんな物の1つに過ぎない為、多くの人にとっては誇張された英雄の1人に過ない形で終わってしまった。


 ガンリュウ大尉にしても、オイゲンは死んだ大将の1人という認識であり、それ程、驚く物でもなかったのである。



「閣下……それがフライブルク少佐の正体と、何か関係が?」


「少佐の父、フライブルク元帥は、只の大将で終わった。しかし……だった! 今生きていれば、間違いなく、ブリュメール方面軍総司令官となって、共和国2要塞など既に陥している筈だ」


「それ程ですか!」



 ガンリュウ大尉も流石に表情に現れる程驚いた。


 グラートバッハ上級大将は帝国で3本の指に入る名将である。その人が、ここまで評するフライブルク元帥、その実力は相当の物だったのだろう。


 しかし、父が名将とだからと言って、子も同じ才を持つとはなり得ない。

 グラートバッハ上級大将も血で実力を判断する人では無い。だからこそ、まだエルヴィンの正体には近付けなかった。



「フライブルク元帥は確かに有能だったのでしょうが、それが子に受け継がれる訳ではないでしょう。それでは貴族の血統主義が正当化されます」


「確かにそうだ……血統主義など馬鹿馬鹿しい……。だが、親が真に有能なら、子も有能になるのは事実だ」


「閣下は、血統主義を正当化なさるので?」


「違う、私が真に有能と言うのは、"子に良き教育を施せる親"を言っている」



 教育、それが人の人生において重要なのは言うまでもない。


 しかし、教育とは何も知識だけを教わる物ではない。

 生き様、優しさ、道徳、生活、心理、それら精神面を学ぶ事も、また教育である。

 知識があっても、それを上手く扱える度量が無ければ、只、知識が書かれた本を持っているだけになってしまうのだ。


 だからこそ、知識以上にそれら精神面を教えられる人物こそ、真に有能な親である。


 ガンリュウ大尉もそれは、肌身に感じて知っている。

 自分の武人としての生き方、在り方、精神を教えてくれたのは父であり、剣士として剣技を教えてくれたのもまた父だからだ。

 父から教わった技、それを戦場で扱える為の心構え、上に立つ者としての度量、それらを父に教わったが故、ガンリュウ大尉はまだ軍人として生きている。


 上級大将の教育と言った物はそれであり、おそらく、エルヴィンも真に有能な親から、精神面の教育を受けた。


 つまり、エルヴィンもまた、親の才を受け継いでいる可能性があったのだ。



「閣下、フライブルク少佐の出世について、彼の才の正体はわかりましたが……それを閣下は如何にして御気付きになったのですか?」


「そうだな……これを先に見せた方が早かったか」



 グラートバッハ上級大将はデスクの引き出しを開けると、1つのA4の封筒をガンリュウ大尉に手渡した。



「これは?」


「フライブルク少佐の戦歴記録だ。実は……私もこれを見るまで、只の元帥の子供、だと思っていた」



 エルヴィンの戦歴、上級大将のエルヴィンへの興味が一変させた代物。おそらく、とんでもない事が書かれているのだろう。

 ガンリュウ大尉は少し覚悟しながら、そっと封を開け、中から書類を出し、それに目を通した。


 そして、驚愕した。



「まさか! いや……これは……」



 覚悟していた、予測は付けていた、しかし、いつもは冷静なガンリュウ大尉は、この日で1番の驚きを見せ、動揺した。


 何度も見返し、度々考えては、信じ切れずに、上級大将の方にチラリと視線を向ける。


 エルヴィンの戦歴は異常だったのだ。




○准尉時、防衛戦で2倍の敵を撃破。


○少尉時、3倍の守備隊を誇る砦を無血占領。


○中尉時、5倍の敵に包囲された師団を救出。


○大尉時、指揮権移譲後6倍の敵を退ける。




 それらを見たガンリュウ大尉は、未だ信じられなかった。

 エルヴィンが大尉までに指揮した戦い全てに於いて、倍以上の敵と戦い、しかも勝利までしている。

 1、2度だけなら運だと言えた。しかし、4回続けば、それを運だとは言えない。


 エルヴィン・フライブルク、彼は間違いなく、"歴史に刻まれるべき英雄の器"だったのだ。



「分かったかね? 彼の凄さが……」


「はい……良き指揮官だとは思っていましたが……まさかここまでとは……」



 ガンリュウ大尉は開いた口が塞がらなかった。これ程の戦歴、歴史上稀に見るかどうかすら怪しい代物に目を通したのだ。


 こんな奴の下で働いていたのか、

 これ程の奴の下で戦っていたのか、


 ガンリュウ大尉の資料を持つ手が震えた。


 恐怖ではない、嫉妬心ではない、


 紛う事なき名将の器、歴史を動かせる英雄の器、そんな奴の下に居た事に、武人として高揚し、武者震いを感じたのだ。


 そんな様子を見ながら、グラートバッハ上級大将は、悪戯が成功した子供の様に、面白そうに笑みを浮かべるのだった。




 驚きに満ちたエルヴィンの正体。それにガンリュウ大尉は、驚き過ぎたのか、流石に疲れてしまった。



「アイツには毎回、疲れさせられる……」


「あはは、その疲れは当分続くだろうな」



 少佐になる自分を、如何にして少佐の部隊に居させるのか、結局、上級大将が話す事はなかった。

 しかし、聞きたい事を聞いたガンリュウ大尉は、グラートバッハ上級大将へ挨拶と敬礼をすると、部屋を後にしていった。




 ガンリュウ大尉が部屋を出た後、グラートバッハ上級大将は、再び考え事を始めた。


 ガンリュウ大尉、剣鬼と呼ばれる程の武人、彼は間違いなく、帝国で最強の魔術兵だろう。

 それは以前から薄々感じてはいた。だからこそ、エルヴィンの部下にしたのだ。


 エルヴィンは間違いなく名将の器だ、そして、兵士という名の剣を扱う達人だ。

 エルヴィンという達人が、帝国最強の魔術兵、最強の剣を手にしたらどうなるか。


 間違いなく、比類なき英雄となるだろう。


 そして、いずれは元帥となり、帝国軍を導いてくれる。


 貴族達の腐敗と共に、衰退している帝国軍。

 帝国の中から腐り続け、崩れ落ちるのを、辛うじて、強大な軍で外を覆い支えている。


 つまり、"中身が空っぽの張りぼての国"、それが現ゲルマン帝国だ。


 そんな国が、軍まで腐れば、間違いなく、滅びへ向かって堕ちていくだろう。


 だからこそ、軍の腐敗だけは阻止せねばならない、軍の綻びを修繕せねばならない。


 自分では無理だった、しかしエルヴィン・フライブルク、彼ならば軍を立て直してくれるかも知れない。



「いや、もしかしたら……領主として政、謀にも通ずる、彼ならば……」



 グラートバッハ上級大将は、ここで考えるのを止めた。

 流石に考えが飛躍し過ぎでいた上に、堂々と口に出せぬ事まで考えそうだったからだ。


 滅びへと歩む帝国、その1軍人でしかない自分がそこまで考えるのは度が過ぎている、そう思ったのだ。




 司令官室を後にしたガンリュウ大尉、エルヴィンについて多くを分かり、才の根幹にも納得がいった。


 しかし、疑問が完全に晴れる事は無かった。


 エルヴィンとは父が名将で良き父だったから有能なのか?


 エルヴィンには才能があったから有能なのか?


 どちらも合点がいくし、想像もできる。


 だが、それだけではないと、どうしても思えてしまう。


 第1、エルヴィンの価値観は異質すぎる。父が軍人なら尚更、威厳の無さが過ぎるなどあり得ない。


 そもそも、エルヴィンの振る舞いに軍人さが無く、まるで只の一般人だ。


 いや、一般人と言うにも、彼は平和的過ぎる。


 まるで心の底では、戦争を知らぬ生活を忘れられないような……。


 エルヴィンへの疑問が明確になる分、更に疑問が増したガンリュウ大尉、彼はまたふと思ってしまった。



「エルヴィン・フライブルク、お前は一体何者だ?」



 それを口にした瞬間、ガンリュウ大尉は苦笑を浮かべた。

 抽象的過ぎる、曖昧過ぎる、そんな物でエルヴィンに疑問を持っているのだ。自嘲せずにはいられなかった。


 そして、ガンリュウ大尉はエルヴィンへの疑問を隅に置いた。

 考えても仕方ない上に、おそらく、知ったところで何かが変わるわけでもない。


 エルヴィン・フライブルク、彼が良き上官、良き戦友である事に、変わりはないのだから。

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