さんにんの間借り妖精と眠れる社畜

ポピヨン村田

さんにんの間借り妖精と眠れる社畜

 町田慎也が風呂にも入る気力もなく崩れるようにベッドで寝落ちたその瞬間に、妖精達は動き出す。


「まちだくん、かわいそう……」


 シンシアは涙ぐんで町田の青白い顔を撫でた。


「また始発まで仕事してたんだわ。いまからじゃもうあと二時間しか眠れないし、今日のおしごとが終わったらそのまま夜勤に突入なのよ」


「まちだくん……気が小さくて急なおしごとを断れないから……」


 ティアは魔法でどうにかこうにか毛布を引っ張って町田の胸元にかけた。


「まちだもまちだだと思うぜ。今の職場がブラックってわかってるのに、ろくな学歴も職歴もないからって言い訳し続けて自分から転職活動したことないんだから」


 ルルは蔑むように町田を見下ろす。妖精の身体から発するささやかな光で、町田は若干寝苦しそうであった。


「わたしたちでなんとかまちだくんをたすけてあげられないかしら?」


「そうだね……。ぼくたちはまちだくんのおうちに住まわせてもらってる間借り妖精だもの……」


「けっ、いい風に言いやがって。おれたちはただの不法侵入中の犯罪者じゃねーか」


 シンシア、ティア、ルルの間借り妖精達は、疲労のあまり眠りが浅そうな町田の上でぐるぐる回りながら話し合った。


 間借り妖精達は、ファンタジーの国からやってきて、文字通り人間の家に間借りする妖精達である。


 人間を幸せにすることが目的の間借り妖精はしかし、現地の人間に決して姿を見られてはいけないと妖精の王によくよく言い聞かされている。


 もし仮にその禁を破れば、異世界間渡航法の5条に抵触し即時の帰還をめーずる書類がはっこーされ間借り妖精達は本人の意思を問われることなくきょーせー異世界ダイブを……まぁ、とにかくややこしいのである。


 町田がいなければ人間界での仮の住まいを失ってしまう間借り妖精達は、額を突き合わせて町田に必要な物を話し合った。


 その結果……。


「けんこう的な食事」


「じゅうぶんな睡眠時間」


「ホワイトな環境」


 間借り妖精達が町田に必要だと結論付けたものを声に出すと、心なしか眠りの中にある町田の顔が安らいだ。夢の中でそれらを味わっているのかもしれない。


「まずあたしね」


 シンシアは魔法の杖を振るった。


 すると、空中にポンっ!と小気味良い音を立てて目も見張るようなご馳走の数々、見事な装飾のあしらわれたキングサイズベッド、MITへの入学許可証が現われ––––。


 町田の六畳ワンルームの部屋へと降り注いだ。


「ぎぇー!!」


 ルルは頭上に真っ逆さまに落ちてくる巨大構造物をすんでのところでかわす。


 カーペットに葡萄酒が、七面鳥の丸焼きが、ホールのケーキがべちゃべちゃと落ちていく。


 ベッドは奇跡的に縦に落ち、ラックによりかかる形となった。町田が数少ない心の癒しとして飾っていたプラモデルがベッドの壁の向こうで潰れた音を立てる。


 MITのロゴが入った紙だけが、ひらひらと安穏に町田の顔に落ちた。


「バ、バカヤローー!!」


 ルルは自分が潰れたトマトになったところを想像してブルブル震えた。


「まぁ、やろうだなんてひどいわ。あたしは間借り妖精タイプ:♀よ」


「そこじゃねーんだよこの脳みそお花畑! こんな部屋のサイズを考えろ! ポコポコとデカブツばっかりだすな!」


「だぁってぇ……」


 シンシアはしょんぼりとうつむいてティアに頭をあずける。


「まちだくんにはたくさんおいしいもの食べてもらって栄養つけてほしかったし……大きなベッドで心置きなくねがえりをうってほしかったし……良いがっこうで学べばこれからいくらでもチャンスが」


「はあ? ムリムリ、こいつバカだし。この前よく知らない映画のヒーローのことを『アイロンマン』って呼んで恥かいてたぞ」


 町田の身体がびくっと震えていた。


「……ったくわかってねーなお前は。まちだに本当にひつようなものはこれだ!」


 ルルが魔法の杖を振るった。


 すると、空中にポンっ!と小気味良い音を立ててサプリメント数粒、人間一人がすっぽり収まるほどのカプセル状の何か、小さなたんぽぽが現れ、つぶれた料理の上にぼとぼとと落ちた。


 カプセル状のマシンはキングサイズベッドに容赦なくその巨体を打ちつけ、地震の如く辺りを揺らす。


「……何これ」


 シンシアが冷たい眼差しで見下ろすものを、ルルは胸を逸らして指差す。


「今どき人間界ではメシだけで栄養摂ろうなんざ時代遅れなんだよ。ナウはサプリメント! プロテイン! グリーンスムージー! そして酸素カプセルで深刻な睡眠不足からの解放! ケミカルなふじん!かんぺきだぜ!」


 サプリメントは床を汚す料理の海に溺れて消え、酸素カプセルと呼ばれた謎の物体はキングサイズベッドに半身をぶつけて火花を散らしている。


 シンシアはたんぽぽを拾い上げた。


「……このたんぽぽは?」


「おさしみにたんぽぽをのせる仕事の紹介状。ストレスないらしーぞ」


 シンシアは予備動作なしでルルの脳天を魔法の杖で殴った。


「……っっなにすんだよいってーな! その杖の使い方は妖精としてのプライドはねーのか!!」


「あなたアホでしょ!? サプリメントはあくまでほじょ剤だからこれだけじゃ栄養とれないし、ひとの出したベッドがデカいってケチつけといて自分もデカブツ召喚してるし!」


「お、落ち着いてシンシアちゃん……暴力は良くないよ」


 ティアが羽交締めにするも、シンシアは鼻息荒く暴れている。たんぽぽを町田の顔に叩きつけ、怒りのあまり震える声で叫んだ。


「だいたいこれはたんぽぽじゃなくて食用菊でしょう!?」


「シンシアちゃん、そこじゃないと思う」


「ティア、おめーはどうなんだ?」


「え?」

 

 唐突にルルからキラーパスをされたティアは、思わず暴れ牛と化したシンシアを手放してしまった。


「おまえはまだ何もしてないだろ。おまえはまちだに何がしてやれんだ」


「ぼ、ぼくは……」


「そうよそうよ! あんたはせいぜい物を浮かすていどの魔法しか使えないんだから何もできないでしょ! 無能はひっこんでな! とっとと国に帰って妖精王のおっぱいでも吸ってるといいわ!」


「口わりーなお前!?」


 シンシアとルルは取っ組み合って大げんかを始めた。


 ルルはシンシアの言葉に胸を抉られ、止めることもできずにただうつむいていた。


 床一面にひっくり返された料理、その中に時折ぽとぽとと落ちているサプリメント、部屋の一部を破壊したベッド、故障部位から異臭を放つ酸素カプセルを名乗る謎の装置。


 そして愛らしい姿で口汚く罵り合う二人の妖精。


 最早取り返しがつかない。


 ただ、まちだくんにごはんをたべてもらって、ぐっすりねむってもらって、たのしくすごしてもらいたかっただけなのに……。


 ティアが絶望から両手で顔を覆った、その時だった。


「う……うるさ……それになんかまぶし……」


 MITの入学許可証がはらりと落ちた。


 間借り妖精達はぎくりと体をこわばらせた。


 息を止め、まんじりとも動かず、町田がゆっくりと起き上がるのを見守る。


「……なんだ……? あれ、なんか変な匂いが……なにかでかいものがあるし……」


 シンシアとルルは顔を見合わせる。


 思い出すのは、人間界へやってくる前の妖精の王の言葉だ。


『いいですね、かわいいお前たち。決して人間に姿を見られてはいけませんよ。妖精が存在する痕跡すらも残してはなりません』


 妖精の王は、たおやかに微笑んだ。


『異世界間情勢は今とてもナーバスなのです。このタイミングで異世界間渡航法に引っ掛かろうものなら、色々こじれにこじれ、下手をすれば』


 妖精の王は親指を立てて首を真一文字に切るジェスチャーをした。


『わかりましたね、かわいいお前たち』


 シンシア、ティア、ルルは、生きた心地がせずにぶんぶんと首を縦に振った。


「……どーすんだよ! この部屋まちだに見られるぞ!」


 ルルはちいさすぎる声で叫びながらシンシアに抱きつく。


「どうするって、どうしようもないわ! ……うわーんごめんなさい妖精王さま! 許して!」


 シンシアはルルに鯖折りしかねない勢いで抱きつき、おいおいと泣く。


「…………」


 ティアは真顔で町田を見下ろしていた。


 町田は照明の紐を見つけようとしてふらふらと立ち上がる。


「…………うわっ、なんかべちゃっとしたもの踏ん……」


 ぽんっ。


 部屋に灯りがついた。


 シンシアとルルは目を瞑る。


 終わった–––––。


「……あれ? 何もない……確かに何か踏んだのに……」


 シンシアとルルがおそるおそる目を開ける。


 惨憺たる有様の暗い部屋は、灯りがつけばそれは地獄のような光景になると、二人は思っていた。


 しかし、何もなかった。


 正確には、いつもの、町田が職場に泊まり込みすぎるあまり不自然に清潔な、いつもの六畳ワンルームだった。


「寝ぼけてたのかな……?」


 町田が首を傾げる。

 

 町田の頭上で、シンシアとルルも首を傾げる。


「どうなってるのかしら……?」


「どうなってるんだ……?」


「ふ、ふたりとも〜〜……」


 ティアの声がした。シンシアとルルは天井を見上げる。


 ティアは顔を真っ赤にしている。魔法の杖を力いっぱい握りしめて、踏ん張るように魔法を発動させていた。


「きゃっ、これはっ」


「す、すげー!」


 思わず驚嘆の声を上げるシンシアとルルの視線の先には、震えながら天井に張りつく潰れたご馳走、ひび割れたサプリメント、キングサイズベッドに酸素カプセル、そして紙っきれとたんぽぽがあった。


 町田はそれらの存在に気づいてない。上手いこと視界に入っていないのもあるが、本人が疲労のあまり視野が狭まっているのが幸いした。


「すごいきてんだわ! さすがティア!」


 シンシアは歯を食いしばるティアの側に寄り添う。


「おまえの魔法、役にたつじゃーねか!『なにもしてない』とか言ってごめんな」


 ルルは滝のような汗をかくティアの肩を抱く。


 ティアは苦しそうに、そして恥ずかしそうに笑った。


「ううん……ぼく、まちだくんのために本当に何もしてあげられないから……せめてふたりのたすけになりたいんだ……」


「ティア……」


 シンシアの瞳に涙が浮かんでいた。


「あたしもごめんね……『妖精王のおっぱいでも吸ってな』とか言っちゃって……」


「それはマジで謝るべきだな……妖精のイメージぶち壊しだろ……」


 ルルが本気のトーンでそう言うと、ティアがぷっと吹き出した。


 間借り妖精達は見つめ合う。


 そして、町田に悟られないよう、クスクスと顔を見合わせて笑い合った。


「……寝直すか……」


 町田は、自分の頭上でまさか妖精達が笑えない悪戯をして笑っているとはつゆ知らず、再びベッドに向かう。


 ティアは、笑いが堪えきれなくなった段階で魔法の力を維持できなくなった。


 町田は、雨のように落ちてきた巨大な構造物を脳天にもろに食らい、三日三晩生死の境を彷徨った。


 そして町田が目を覚ますと、そこは病院の一室だった。



         ●



「町田くん、おはよう! 朝食の時間です!」


 元気なナースに声をかけられ、はにかむように笑う町田。


 そんな町田を、窓の外から死にそうな顔で眺める間借り妖精達。


 ナースは自分が異世界からの来訪者に見られているとは夢にも思わず、快活に笑う。


「大分顔色が良くなったね、町田くん。救命センターからこっちの病棟に回ってきたときはゾンビみたいな顔してたのに」


「はは……今までブラック企業に酷使されてきたもんで……」


 町田は笑ったままうつむく。


「……まぁ、もうあの会社にこき使われることもないんですけど……」


「あー、君の上司、君が寝てる間に逃げるように解雇通知置いてったもんね〜」


 ナースはてきぱきと食事の用意をする。トレイの上の汁から湯気がのぼり、青白い町田の頬がほんのりと赤く染まった。


「ま、今の君の健康状態で仕事してもらっても困るけどね。はい、召し上がれ。全部食べてね」


「……味気ないから食べたくないなぁ」


「文句言わない! 君の為に栄養士がばっちり計算して作ったご飯なんだからね。昨日は消灯のあとすぐに眠れた?」


「……たぶん」


「よろしい、じゃあ9時間は寝てるかな。今日の検査は自分で歩いて行けそう?」


「はい……」


 ナースは微笑んでうなずく。そして町田の頭頂部を覗き込んだ。


「ご飯が終わったら先生が来るから、包帯変えようね。頭の傷はどう?」


「まだ痛いです……」


 弱々しく頭をさする町田を見て、ティアはだらだらと汗をかいた。


「それにしてもそれ、何でできた傷なんだろうね? 君はそれがとどめで倒れたのに」


「救急隊の人にも聞かれたんですけど、全然思い出せなくて……」


 あれから町田は間借り妖精達に食らわされた一撃で頭にケガを負ったが、幸いにも大事には至らなかった。たんこぶで済んだ。


 しかし疲労がピークに達していたことに加え栄養状態も最悪だったので、しばらく入院生活を続けている。


 当初こそは急な出来事の連続で混乱していた町田だったが、今は目に光が戻り、落ち着いて会話ができるまでに回復した。


「誰が救急車を呼んでくれたかもわからないし……」


「まぁ、こうして無事なんだからいいじゃない」


 ナースはうーんと背を伸ばす。


 このナースはいつも快活なエネルギーで溢れているので、彼女を見ていると町田は元気をもらえるような気分になった。


 久しぶりに、『幸せ』を肌で感じられる。


「はい……今日は中庭を散歩でもしてみようかな……」


「お、いいね。お天気だしね」


 町田とナースは揃って窓を見る。間借り妖精達は慌てて体を引っ込めて隠れた。


「気持ちいい空だねぇ」


「ええ、本当に……」




         ●




「賢いお前たち、わかっていますね」


 生きた心地がしないとはこのことだ。


 シンシア、ティア、ルルは王の間のふかふかの絨毯にひざまずきながら、落ちる冷や汗が絨毯の染みとなるのを眺めることしかできなかった。


 ここは、ファンタジーの国。


 ここは、間借り妖精達の故郷。


 そしてここは、ファンタジーの国の国家元首・妖精の王の謁見室。


 人間を幸せにするために異世界に渡っていたはずの間借り妖精達は、今『出頭』を命じられている。命じられているのである。


 妖精の王は脚の高い玉座から間借り妖精達を見下ろしている。


 時折、王笏の柄を強めに自分の手の平に打ちつけ、静寂に包まれた王の間にぱちん、ぱちん……という厳かな音を響かせては間借り妖精達を震え上がらせていた。


「町田慎也なる人間に起きた事の顛末、報告書が回ってきましたよ。私はお前たちの働きをしかとこの目に焼き付けました」


 ルルの顔はかつての町田並みに真っ青だった。ルルは自分がオークやゴブリンが看守をする地下牢に閉じ込められた姿を想像して気持ち悪くなった。


 ティアの顔は張り付いたような無表情だった。ティアは自分が迷惑をかけたために傷つくこととなる仲間達のことを想い、胸がずきずきと痛んだ。


 シンシアの顔は涙でボロボロだった。シンシアは自分が縛り首、火刑、石抱き、市中引き回しに処されるところを具体的にイメージして、辞世の句を考え始めていた。


「此度、人間界でお前達がした町田慎也に行った事の数々、私は……」


 王笏が床をカン! と突いて間借り妖精達は悲鳴を上げた。


「とても誇りに思いますよ」


 妖精の王は、穏やかに微笑んでいる。


 虚をつかれた間借り妖精達が顔を上げると、その笑顔はいつにも増して晴れやかであった。


「ふぇ?」


「たいへん善き働きをしました。お前たちは私の知らぬ間に、正しい人助けができる妖精へと成長していたのですね」


 ルルは宙に飛び出さんばかりの勢いで立ち上がった。


「ど、どういうことですか妖精王様! 俺たちは町田を病院送りに……」


「ええ、しかしお前たちが町田慎也に贈りたかったものは何ですか?」


 シンシア、ティア、ルルはそれぞれ顔を見合わせる。


 そして告げた。


「けんこう的な食事」


「じゅうぶんな睡眠時間」


「ホワイトな環境」


 妖精の王は満足そうに頷く。


「社会に酷使され疲れ果て、このままでは死んでしまうかもしれなかった町田慎也。彼は今病院で適切な食事を与えられ、しっかりと睡眠を取り、気の良い人間に面倒をみられて過ごしています」


 間借り妖精達は、病院のベッドでナースに鼻の下を伸ばす町田の姿を思い出してはっとした。


「まぁ……手段がかなり荒っぽかったのは確かです。しかし結果オーライ。我ら妖精も旧態依然とした支配体制から脱却し、イノベーションを鑑みた結果主義に傾倒すべきだと妖精の君主たるこの私は考えているのです」


「……よ、よかった〜……」


 妖精の王の言葉を少しも理解できていないが、なんとか罰は逃れたことだけは間借り妖精達にも察することができた。


「おれ、もう家族に会えないかと思ったよ」


「ぼくも……。みんながぼくなんかのせいで大変な目にあうのかなって」


「ああ〜!! よかったわ〜!! 命があってさいこー!! やっほー!! なんとかあたしだけでも生き延びるしゅだんをさがしてたけど、首の皮がつながってほんとうによかった〜!!」


 互いに手を取り合い、間借り妖精達は光の粒をあたりにまきちらしながら喜んだ。


 その様子を目を細めながら見守る妖精の王は、王笏を振るって空中を切り裂く。


 すると、何もない空間があたりの空気を吸い込みだし、謁見室に強風が巻き起こった。異世界へ通じるゲートが開いたのだ。


「さぁ、お前たちはあちらの世界に行きなさい。これからも誇り高き間借り妖精として、善き働きを続けるのですよ」


「はい! 妖精王さま!」


 間借り妖精達は声を揃えて返事をした。特にシンシアが元気よく。


「ああそう、シンシア」


「はぁい?」


 ルル、ティアが先にゲートへ飛び込んでいったあと、妖精の王はポケットに手を突っ込むシンシアを引き止めた。よく見ればガムも噛んでおり、余裕綽々といった風だった。


「お前、ティアに『妖精王のおっぱいでも吸ってろ』などと暴言を吐いたそうですね」


 シンシアはぎくりとして思わず両手をポケットから取り出してぴんと伸ばした。


「そ、それは〜……」


「その件については追って沙汰があります。今はとりあえず……」


 いつも微笑みを絶やさない妖精の王。


 喜怒哀楽すべてを笑顔で表現する妖精の王。


 間借り妖精達の失敗を善行として処理した慈悲深き妖精の王。


 –––––の、赤い目がカッと開き、シンシアを射抜いた。


「……震えて待っていなさい」


「妖精王さまぁ! あれはちがうんですぅ! 妖精ジョークです妖精ジョ」


 問答無用とばかりに妖精の王が王笏で床を鳴らすと、シンシアは見えない力で乱暴にゲートへ放り込まれたのだった。




         ●



 そして。


「これ……どうする?」


 ルルは眼下に広がる悪夢を見下ろす。


 ゲートを抜けた先は、元社畜の部屋だった。


 しかし、そこにかつての姿はない。


「……魔法できれいにするのはむり?」


 ティアは自分の杖をうじうじと手の中でいじる。物を持ち上げる程度の魔法しか使えない杖を。


「一度だしたものを消す魔法なんてつかえないわ。妖精王さまくらいの魔法じゃないと」


 シンシアは、妖精の王の名を呼んだ瞬間、トラウマが想起して体がびくりと跳ねた。


 町田の六畳ワンルームは、生活感のなさがウリのそれは整理整頓の行き届いた部屋だった。


 社畜町田は家に帰れず、ほぼこの部屋で生活していなかったので。


 今はどうだろう。


 幾日も放置された料理の成れの果てが散乱し、主人の趣味のプラモデルはベッドの意味を成さないキングサイズが破壊し、踏んだら足の裏を痛そうなサプリメントがランダムに部屋中に散りばめられ、一度も使われることのなかった酸素カプセルは完全に故障してサイバーパンクなインテリアと化した。


 シンシア、ティア、ルルは、町田のいなくなったベッドの上をぐるぐる、のろのろと回る。


「妖精のこんせきを残すのはたいざいだわぁ」


「うう……まちだくんのけんはなんとか妖精王さまにお許しをもらえたっていうのにこんなのって……」


「あーーこれもうどうすりゃいいんだ!」


 間借り妖精達は額を突き合わせて話し合い始めた。


 時間は無限ではない。そのうち町田はこの部屋に帰ってくる。そして、変わり果てた部屋を見てひどく驚き、妖精の王は特大の雷を間借り妖精達に落とすことだろう。


 間借り妖精達は延々と相談を続けた。


 日が暮れ、月が昇り、また日が暮れて、ようやく意を決してそれぞれ魔法の杖をかかげる。


 ぽんっ。


 シンシアはふりふりのエプロンを身につけたのゴーレムメイドを呼び出した。


 ぽんっ。


 ルルは最新自動お掃除マシーン・ルルバを呼び出した。


 ぽんっ。


 ティアは落ちていたMITのロゴをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り、たんぽぽを空瓶に飾った。


「とりあえずかたずけっか」


「……ものすごく時間がかかりそうだね」


「ちょーめんどくさいわ!」


 さんにんの間借り妖精達は、それぞれ重い腰をあげて町田の部屋を清めにかかった。

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さんにんの間借り妖精と眠れる社畜 ポピヨン村田 @popiyon_murata

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