プロローグ その2 ニオイの誘惑

 突然“ビシィッ”と頬に痛みが走った。

「クラスメイトを幽霊と勘違いするなんて随分と失礼なんじゃないの。でも寝ぼけたせいにしといてあげる」

 ぼくの頬をビンタして怒っている少女をよく見てみるとなるほど、確かにクラスメイトのマッキーだった。


「ああ、マッキーか。ついうっかり幽霊と見間違えちゃってゴメンゴメン。今ちょうど退屈していたところだったんだ。学校じゃそんなに口を利いたこともないけど何か話そうよ。でもなんでそんなマッキーがぼくのお見舞いに来てくれたの?」

「フン、これは決してお見舞いなんかじゃないわ。だからお見舞い返しもいらないから安心して。ここに来たのは取材のため。さあ、今から私の質問に答えるのよ」


 さっきから強引に話を進めているマッキーこと牧真希まきまきはぼくのクラスメイト。

 愛称はマッキー。

 賀原かばら神社という地元でもそこそこ大きい神社の娘。

 整った顔立ちと長い黒髪は長身のスタイルに良く似合っている。

 見た目だけなら我が松ぼっくり小学校の中でもトップクラス。

 ただ、ちょっとだけ問題があって……。


「私が小説家志望なのは知っているでしょ。文芸クラブに入っているのもそのため。もうすぐヤングライオン児童文学小説賞の締め切りが近いからウカウカしてられないの」

「へえ、それは初耳だなあ。てっきり巫女さんになるのかと思っていたけど」

「私の指導霊のマーク・トウェインが耳元でささやいているの。『ケンをネタに小説を書けば入賞間違いなし』って」

「トム・ソーヤーの冒険の作者だね。それは大物じゃないか」

 

 そう、マッキーは神社の娘ゆえなのかやたらと霊感があるらしい。

 神々や仏を始めとして、あやかしの類や精霊、さらには異星人たちの声が聞こえてくるそうな。

 バカげているし非科学的だけど、神社の娘なら不思議な能力の一つや二つはあるのだろう。

 クラスのみんなもそう納得していた。


「ぼくなんかをネタにしたって面白くもないよ」

「いいえ。夏休みが明けてからのケンは特筆モノ。体格や性格の変化。学校での騒動。噂になっているヤイト拳の正体。ヒザの怪我の原因。叩けば叩くほど面白いネタが出てきそうじゃないの。ケンにとっても退屈しのぎになるんだからこれはWinウィン-Winウィンね」

 目をキラキラさせてマッキーは言った。


 確かに退屈はしていた。

 正直、マッキーと話していたい気持ちもある。

 けど自分を変えた大切な体験を他人の小説のネタとして話すのはなんか嫌だった。


「ところでもうすぐ夕食の時間になるんだけど。親は心配しないの? 女の子が遅い時間に病室にいるのは良くないよ」

 もう帰ってほしい、という願いをこめてぼくは言った。 

 それにいくら押しが強くてもマッキーはか弱い女の子。ましてや見た目は美少女。

 心配になってぼくは言った。


「大丈夫。私の守護霊は鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためともだし。それに帰る時には親に連絡して迎えに来てもらうから」

 誇らしげにマッキーは言った。


「よくわからないけどものすごく強そうな守護霊っぽいね。ところでさっき守護霊はマーク・トウェインって言ってなかったっけ?」

 気になったので訊いてみた。

「それは指導霊! 指導霊と守護霊を間違えるなんて。これだから素人は。フン!」

 プンスカと怒るマッキー。 

 そこまで怒ることはないのに、と思ったが黙っていた。


 そうこうしている内に看護助手さんが夕食をオーバーテーブルに置いて、

「はい、夕食ですよ。今日も本当に美味しそう。ああ、うらやましい」

 とニコニコ笑いながら言って立ち去った。

 テーブルの上のトレーには茶碗に盛られた麦飯。納豆が1パック。かぼちゃの煮物。モヤシのみそ汁。それと紙パックの牛乳。

 仁志北にしきた病院お抱えの栄養士さんが懸命に考えた渾身のメニューにはいつも驚かされてばかりだ。


「心から同情するしかないわね。刑務所のメニューのほうがまだマシなんじゃない?」

 哀れみに満ちた目でマッキーは言った。


「栄養のバランスや数値的には問題ないらしい。健康に気を使ったヘルシーな、実にヘルシーすぎるメニューじゃないか」

 本心とは裏腹に負け惜しみを言うぼく。


「そうだ、その夕食は食べないでちょっと待ってて」

 マッキーはそう言うやいなや足早に病室から立ち去った。

 ぼくは素直にしたがった。

 実を言うと、あまり食欲をそそるメニューではなかった。

 しばらくするとマッキーが再び病室に戻って来た。

 手に何かを持っているけど何だろう?


「やけに香ばしいニオイがするけど、もしかしてそれは焼き鳥?」

「大当たり! すぐ下の商店街で買ってきたの。もも、ねぎま、ひな皮、レバー、ぼんじり、砂肝。それぞれタレと塩を2本ずつ」

 はち切れんばかりの笑顔でマッキーは言った。

 食欲をそそる焼き鳥のニオイが病室を満たしていった。


「取材に応じてくれればお礼として焼き鳥をご馳走してあげる。仲良く一緒に食べましょう。でももし取材を拒否するなら私一人で焼き鳥を食べるわ。ケンは指をくわえて見ているだけね。さあ、どうする?」

 マッキーは勝利を確信した笑みでぼくに迫ってきた。


 果たして取材に応じるべきか、断るべきか。

 ぼくとしては自分のプライベートを切り売りする気はない。

 鉄の意志が焼き鳥ごときでくじけるものか!

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