ホタリウム
カラガシン
ホタリウム
仕事が終わった時、辺りはとっくに暗くなっていた。俺はいつもの居酒屋を通り
過ぎて、薄気味悪い路地に入っていった。
今日は別の道から帰ろう。そう思い、スマホで地図を見た。ここを抜ければ見慣
れた道に入るはずだ。ゆっくりと見物しよう。
ふと、視界の端に不自然な光があるのに気付いた。近づいてみると、この時代に
は不釣り合いな提灯が、一つ。その奥にはまだ道が続いているらしかった。
俺はまたスマホの地図を見るが、画面にはスナックやその類の建物は書かれてい
ないし、当然奥に続く道もない。この細さなら無理もないが、地図に載っていない
というだけで妙に興奮するのはなぜだろう。俺の足は無意識にその道へ進んでいっ
た。
しばらく進んでいると、一軒の店にたどり着いた。それは、やはり今の時代には
不釣り合いな、2、30年前の駄菓子屋のような恰好をしていた。何かしらのものを売
っているみたいだから、さっきの提灯は客引きの為のものだったのかもしれない。
俺はやたらに立て付けの悪い扉をガラガラと開けた。店内には昔懐かしい匂いと
ごちゃ混ぜになった壺やらがひしめき合っていて、それがまた俺の好奇心を刺激し
た。
店主は見当たらなかったが、いらっしゃいませの一言もなかったので、こちらも
無遠慮に品定めする。
その店には「新しさ」を除いて、ほとんど何でも揃っているように見えた。その
中のいくつかを見るが、値が張るばかりで、何かの役に立ちそうなものはなかっ
た。
せっかくここまで来たんだから何か買って帰りたい。しかし下手なものを買うと
部屋を圧迫するだけ。激しいジレンマを感じていたが、何とかマシなものにありつ
けた。
それは箱入りの大きな瓶だった。平べったいドームのような形をしていて、その
中に草や石やその他自然界にありふれているものが底のほうに敷き詰められてい
た。
箱の側面に書いてある説明文を読む。
癒しのホタルの光を年中貴方にお届けします。世話も簡単、専用の餌もなし。部屋
に置いておくだけで、辺りを幻想的な空間に仕上げます。
俺がそれを選んだことに何か理由があるわけじゃないが、強いて言うなら説明文
にもある通り、世話が簡単なことだ。東京に一人暮らしの身ではペットもろくに飼
えないし、そのために生活費を抑えるわけにもいかないので、これは俺に合ってい
るように思える。
俺はそれを持ち上げて店主を探した。すると店の奥のほうから老人が出てきた。
男か女かは分からない。和服を着ていてその姿がこの店の空気によく合っていた。
瓶を差し出すと、しわがれた声で、1500円です、といった。俺は代金を払い、店
を出た。こんな時間までやっている夜店も少ないので、品揃えは悪趣味だが、また
来るかもしれない。
もと来た道をたどっていくと、行に見た提灯のところまで戻ってきた。そういえ
ば、この提灯は昼間でもついているのだろうかと、ふと思った。
手元を見る。あの店主はどうやら商品を袋に詰めるという事まで気が利かないら
しく、箱のままの商品がある。
放っておくだけで東京のど真ん中でもホタルが見れる瓶。
名前は、ホタリウム。
夜八時、帰宅。
昨日の夜買ったもののことは覚えていたが、今一つ興味が出なかったのであれの
為に早く帰ろうという気にはならなかった。しかし、こうして未開封の箱を目の前
にすると嫌でも興味がそそられた。
箱から出して、衝動買いしてしまったアルミラックの上に置いた。殺風景だった
部屋が鮮やかになった気がする。
改めて見てもホタルのような生き物は見られない。まあどうせ見たところで本物
かどうかなんてわからないので、やめた。
しかし、箱から出してみたものの、何も起こらない。やはり偽物を掴まされたの
だろうか。
帰宅途中のコンビニで買ってきた弁当を食べながらいろいろ考えた。どうやって
も光らないのならデカいごみと一緒だ。店に返品しようにも、地図にも載っていな
いような小さな店の場所など忘れてしまった。
明日にでもゴミに出そう。そう思って立ち上がった。勢いで買ってしまったもの
を捨てるのは初めてではなかったので、特に抵抗はない。
しかし、ごみ袋に詰めている途中、ふと、思いついた。
専用の餌が要らないということは、夕飯の余りでもいいという事なのだろうか。
もしそうなら生ゴミの捨て場所としては最適だ。どうせ捨てるものなのだからそ
んな風に使ってもいいだろう。
俺は弁当のトレーに自分の嫌いなものばかり残っているのを見た。そしてそのま
まふたを開けた瓶にトレーをひっくり返した。
緑の敷き詰まった底面が何とも無残な姿になった。
その日の深夜、聞き慣れない音で目が覚めた。真っ暗な部屋の中で時計を探っ
た。午前三時。いつもはこんな時間に目が覚めることはない。
とりあえずトイレにでもと腰を上げると、音の正体を見た。
ガサガサという音があの瓶から出ていた。
そして同時に、神秘的に、黄緑に光っていた。光の粒が、瓶の中を舞っている。
本物だったのか。俺はベッドから飛び出て瓶に駆け寄った。中がどうなっている
のか見たかったが、何分部屋が真っ暗なので何も分からない。
しょうがないので部屋の明かりをつけた。すぐに眩しさが襲って瞼を下げる。
目を開けると、そこにはホタルはおらず、昨晩と同じように食べ残した弁当が入っ
ているだけだった。
もしやと思い、もう一度電気を消してみた。すると、瓶の中からちらちらと光の
粒が出てきた。当然、その正体は暗くて見えない。
どうやら暗くなった時だけ底のほうから出てきて、明るくなると隠れてしまうら
しい。
一体この瓶には何がいるのか気になったが、目の前に広がる神秘の欠片とも言え
そうな景色に見惚れて、そんな疑問は消えてしまった。
結局その後、時間を忘れるほど見入ってしまった。孤独な東京暮らしは、こうい
うことに飢えていたのかもしれない。
もちろん、この瓶を捨てようという気はすっかりなくなっていた。
あれから俺はすっかりホタリウムの虜になっていた。毎日仕事から帰ると瓶のそ
ばに駆け寄った。夕飯を食べるときも、テレビを見るときも電気をつけなかった。
それがホタルなのか何なのかは分からないが、それはエサの量を増やせば増やす
ほど数が多くなるようだった。今では瓶の中をすっかり満たす程の光を出してい
る。
散らかった部屋の中にホタリウムが置いてあっても恰好が付かないので、大分前
に片づけをした。観葉植物などを置くと、黄緑の光とよく合って美しい。
いつの間にか俺の部屋は男の一人暮らしとは思えない程整っていて、何より、瓶
に負けない程神秘的な空間に仕上がっていた。残念なのはそれらをホタルの光と同
時に眺めるのができないことだ。
しかし、本当に綺麗な部屋になった。今までほとんどしていなかった掃除にも力
を入れたおかげで、食べっぱなしの皿にコバエが集ることも、部屋の隅をあれが這
うこともなくなった。
いや、本当に……、瓶を置いた時から、ゴキブリを見ないな?
ホタリウム カラガシン @karagashin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます