扉をあけて
荒れてんなぁ……。取りあえずボクは、そこいら中に散乱するティッシュやらダイ
レクトメール、ピザ屋のチラシなどの紙クズをゴミ袋を片手に集めてまわる。広い部
屋ではないが、いかんせん紙クズたちは粉々に引きさかれ、ちぎられ、バラまかれて
いた。トイレ、ユニットバスの中まで、果てしなく無数に散らばる紙クズの群れ。
ボクはもくもくと拾いあつめる。
──どうなってんだよ、サエ。
中学二年生の新学期、サエは地方から転校してきた。明るい元気者であったから、
すぐにまわりに溶けこんで人気者になった。帰宅部のボクは気づかなかったんだよ、
サエの家がウチの隣の借家だったなんて。
「どう? 隣の子、お勉強の方は?」 夕飯の食卓で
聞かれて、それで初めて知った。間のぬけた話だ。サエは朝は早いし、帰宅は遅い。
ボクとは正反対。ウチの両親は、そこそこの成績であれば、勉強勉強とはいわなかっ
たから、ボクは塾も通わなかったし、のほほんと過ごさせてもらった方だと思ってい
る。それは大学生になった今でも変わりはしないけれど……。
初夏に差しかかったころだったか、とにかく夏休み前だった。日曜日、友達と映画
にいき、めずらしく帰りが遅くなったボクは見てしまった。せまい庭の片すみで声を
ころして泣くサエのうしろ姿を。ボクは驚いてしまって、言葉をかけることもでき
ず、逃げるようにして自分の家へとかけ込んだ。
学校でのサエはあい変らずの元気者で、あの晩のことは全部、夢だったのかも。
そんな風にも思ってみたりもしたが、とにかく、なんというか、それ以来、サエのこ
とが気になって仕方なくなり、つねにボクの目は彼女を追っていた。
『気になる=恋』かどうか、今のボクにだってわからない。中学二年生のボクにわか
るはずもなかった。
夏休みになって熱帯夜がつづく中、部屋のクーラーがこわれた。最低な夜。もちろ
ん眠れるわけがない。だからといって、姉さんや両親の部屋に転がりこむわけにもい
かない。そのていどの分別は当時からあった。窓を全開にしていたが、ひんやりとし
た空気が入ってくることはなかった。
クーラーのない時代、よく人類は絶滅しなかったもんだ……。二階にある自室の窓
から顔を出したボクは、隣の庭の異常に気づいた。サエが、モノもいわずに芝生や
ら、庭木の葉をむしって、ばらまいていた。真夜中、汗だくになりながら葉っぱや草
を引きちぎり、ふりまく少女。新緑の葉と草が枯れ葉のように舞う、その中心に立つ
異様な目をした少女……。ボクはなんだか怖くなった。
サエが顔を上げた。ボクは、あわてて頭を隠そうとして、窓枠にしたたかあごを打
ちつけた。サエは、声をださずに笑い、そして、コッチにこいと指先でしめした。
おそるおそる下りていくと、サエはウチの安っぽいアルミ製の門の前に立っていた。
「あ、あの……」 ボクがなにかいおうとすると、しっ!っとサエがさえぎった。
そして、あたりからは死角になると思われる物置の裏へとボクを引っぱっていった。
ぼう然とつっ立っているボクを尻目に、サエは、その薄くらがりに腰をおろした。
体育すわりで小さく小さく体をまるめつつ、彼女がポンと自分の横をたたく。
「すわれば?」 サエにいわれてボクは、
腰をおろした。
「な、なにしてたんだ?」
「…………」
「葉っぱなんかむしったりして」
「ユウジ君が気づいてくれるかなぁと思って」
「は?」 ユウジとはボクの名前だ、ちなみにだが。
「隣の庭でガサガサしてたら気づいてくれるかなぁと思って」
なにをいってるんだ? コイツ……。
「最近、よく私を見てたでしょ? だから、気づいてくれるかなぁって」
サエはボクを見た。し、知られていた……。顔から火を吹く、というたとえを生ま
れて初めて、実感した。
「気づいてくれたね、私にさ」
サエが笑ったような気がした。クーラーがまともだったら絶対に気づかなかったけ
れど、ま、いいか。 サエの顔が近い。ボクは思わず目をふせてしまう。しかしなぜ
だか負けたような気になって、上目づかい気味に目をあげると、ますます顔が近くな
っていた。
「黙って」 サエの薄い唇が、無音で、そうささやく。
──そしてボクは、生まれて初めてのキスをした。ただ、ほんの一瞬、ふれた
だけ、というより
「私のこと、汚いって思わなかった?」
ボクはブンブンと首をふった。ファーストキスの相手を汚いなんて思うヤツがこの
世にいるなら連れてきてみろ!! ボクは思ったが、外灯に照らされたサエの表情は
切実で、今にも泣きそうに見えた。だから、思いだすのも恥ずかしい、こんな
をいっていた。
「サエはきれいだよ、世界一きれいだよ」
ボクはいかんともしがたい、単純な男の子だった。キスひとつで世界一とは……。
それでも、どこか安心したようにうなずくサエの顔を見て、ボクは本当に思ったん
だ。世界一きれいだって。
あの夜からボクたちは二週間に一度、夜中に会い、そしてキスをした。夏休みが
終わり学校が始まっても、真夜中のデート、
もっと(毎日)あいたかったのだが、サエはがんとして受けいれてくれなかった。
とうぜん学校では、ただのクラスメートで通していた。人気者のサエと
いえ、キスをしていたボクは、ほかの男子たちに対しひそかな
ひとりほくそ笑んでいた。
キス。しかし小鳥のようなキス、儀式のようなキス。それ以上のことは一切を
したサエに、ボクは不満を感じはじめていた。サエも、それをじゅうぶん感じてい
た、と今なら思う。
「ユウジは私を好き?」 うん。ボクはうなずいた。「じゃあ、はい!」
いつもの深夜デートのとき、サエは、お手製の十枚のカードをマジシャンのように
広げて見せた。
「なに?」
「このカードの中に一枚だけ、私の心のドアを開くカギが入ってます。さあ、引いて
ください!」
「なにそれ?」
サエは、ちょっとだけ困ったような表情を見せていった。
「ユウジ、当てて。開いて。私のドアを開いて」
ボクは、サエに遊ばれているような気がして不機嫌な顔でだまってしまった。
──わわ!! サエが泣いていた。
「ユウジ、お願い!!」
あせった。サエは叫んでいたのだ。こんなことを夜中にしているのが親にバレた
ら、ただですむわけがない。さいわい、ことなきを得たのだが、それで運を使いは
たしてしまったらしい……。ボクは、カギを引くことができなかった。翌々週も、
翌々翌々週も、さらに翌々週も、ボクはスカを引きつづけた。
「サエ……本当は、全部ハズレなんじゃない?」
サエはだまって一枚のカードの裏を見せた。
「オーケー?」
「オーケー……」
コンパスで描かれた円の下に定規で引かれた直線がのびていて、その最下部には長
さの異なる二本の短い直線が、垂直に引かれていた。まさに単純化されたカギの絵だ
った。
「ちぃーっ!」
「ほーら、しっかりしてよ、ユ・ウ・ジ!」
結局、ボクは、カギのカードを引くことができなかった。サエの父親が強盗殺人事
件の犯人として逮捕されたからだ。サエが転校してきた理由も、父親がなにかしたせ
いで前の街にいられなくなったせいだと聞いた。
そしてここからも、この街からもサエは、いなくなった。
「ユーちゃん!!」
ボクの母親は十九の息子をつかまえてユーちゃんとよぶ。コレ、ヤバくね?
「サエちゃん、覚えてる?」
小ぶりの
「彼女、
亡くなった──死んだってこと?
「実は母さん、サエちゃんのお母さんと今でも連絡とっていてね……当時もいろんな
こと、相談されてたんよ」
つまり母親の話を要やくすると、あれから転校した先で、犯罪者の娘だということ
でイジメにあい不登校になったサエは、悪い仲間とつきあいはじめ、ヤクザの女、と
いうか、道具にされて
そういうことらしい。サエの母親は精神をいためて入院中で、発見したのは国勢調査
の用紙を持ってきた委託職員だったのだという。
「ひどい父親でね、母親が寝たきりの両親の介護にでかける月に二回、サエちゃん、
性的虐待までうけてたって。あとでわかったことらしいけど、サエちゃんのお母さ
ん、泣いてたよ」
月二回……隔週!?
私のこと、汚いって思わなかった?
「ショックだったよね? ユーちゃん、のほほんとしたトコあるから。思いもよらな
い話だよね」
ボクはよほど情けない表情をしているのだろう。
「でもね、母さんだってしんどかったのよ。せめて、ユーちゃんが大学に合格するま
ではだまってなくちゃって、小さな胸を痛めてたんだからネ」
どんな胸だ?!
「サエちゃんね、アンタのこと、好きだったんだって。アンタの話をするときだけは
嬉しそうに笑ってたって。お母さん、泣きながら、アンタにありがとうって……」
母さんは、そういうとひとつ、息をはいた。
「そんなの知ったら、ユーちゃん、だまってられなくなるでしょ?」
「え?」
「ゴメンね、だから母さん、いえなかった」
だからって、だからって、今さらいわれたって……。
「変死ってことで警察がずいぶんと荒らしたらしいんだ。ユーちゃん、アンタ、サエ
ちゃんの部屋のあと片づけ、いってやってくれない? 誰もいないんだってさ、お
母さん入院中だし、父親はアレだし、出てこられないんだし」
この母は、いきなりなにをいだすんだ!?
「親戚の方も誰も関わりたくないっていうらしいの。サエちゃん、かわいそうでし
ょ? そう思わない?」
つまりは、犯罪者の娘としてではなく、かわいかったお隣の娘さんとしてサエを見
ることができる母。ボクのためにつらい話を、ひとり胸にしまいつづけることができ
た強い母に守られて育ったボクは、やはりのほほんとしたしあわせ者なんだろう、そ
う思った。サエにすまない、そんなふうに思った。
「警察が荒らしたか……」
そんなレベルじゃねーだろ? どーすりゃこんなに紙クズ、ふりまけるんだ……。
ユウジ君が気づいてくれるかなぁと思って。
ボクは、そこら中に散らばる引きさかれた紙クズを見つめた。
「バカか、てめぇは!! 気づけるわけねぇだろぉ!!」
ボクはすでにいっぱいになっていたゴミ袋を思いきり
枯れ葉のような紙片が舞う。
くそぉ!! ボクはそこいら中を蹴り、こぶしで殴り、勢いあまって、あおむけに
倒れて頭を打った。
──あ? 目の前に数枚のカードがヒラヒラと舞いおちた。
これ……カードは全部で十枚あった。そしてカードの裏面には十枚すべてにカギの
絵が描いてあった。覚醒剤中毒がすすんでいたのだろうか、どのカギも線はふるえ、
まともな形にこそなってはいなかったのだが。
「バカか……全部、当たりじゃねぇか!」
死の直前、どんな思いでサエがこのカギを描いたのか……。
ユウジ、当てて。開いて。私のドアを開いて。
ほーら、しっかりしてよ、ユ・ウ・ジ!
サエぇ!!
ボクは紙クズの中に埋まり、声をだして泣いた。 今のボクにできることは、サエ
を思って泣くことだけだった。
(終)
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