第35話

「お兄ちゃん、いつまで寝てるの? 早く起きてよ」


「う〜ん、もうちょっと寝かせて……おやすみなさい……」


 昨日は遅くまで本を読んでいて遅かったせいか、目覚ましが鳴っていたのに無意識で止めていたらしい。


「もう、本当に遅刻しちゃうよ」


 菜希なつきが何か言っているが身体が動かないものは仕方がない。


 ぐぅ……。


「ちょっとお兄ちゃん? 本当に寝ちゃったの……? 起きないなら仕方ないね……ちょっとお邪魔します……」


「ふぁあ……布団の中お兄ちゃんの匂いでいっぱいだ。おやすみなさい……」



 ――!


「な、菜希⁉︎ なに布団の中に潜り込んでるんだよ?」


 身体が急に暖かくなり何か柔らかいモノが当たると思ったら、妹が布団の中に潜り込み寝ていた。


「なに、お兄ちゃん? せっかく気持ち良くなってきたのに……」


「その誤解されるような言い方は止めて! この歳で妹と一緒に寝る兄妹なんていないから!」


「ここに一緒に寝てる兄妹いるよ?」


確かに一緒に寝ていた兄妹がいたことは否定できなかった。


「それは……遅刻しちゃうから今すぐ布団から出てくれ」


 目覚ましを止めてから十分くらいが経過していた。これ以上遅くなると本当に遅刻してしまう。


「ああん、お兄ちゃん押さないでよ」


 僕はグイグイと菜希を押して布団から追い出した。


 布団から飛び起き、慌てて顔を洗い、歯を磨き急いで着替え玄関へと向かった。




「それじゃ行ってきます!」


「佑希、朝食は?」


 リビングを素通りして慌てて玄関に向かう僕に母が声を掛けてきた。


「ごめん、食べてる時間が無いから帰ってきてから食べる」


 靴を履き玄関を飛び出す。


「お兄ちゃん! 私も一緒に行くから待ってよ」


 妹も朝食を食べなかったのか後から追い掛けてきた。


「誰のせいで遅くなったと思ってるのさ。置いて行くからな」


「あ〜ん、可愛い妹を置いて行くつもり〜?」


 菜希がなんか言っているが無視して僕は早足で学校へ向かった。




 走ったお陰で時間に余裕できたので朝食を買おうとコンビニの前で立ち止まった。


「はぁ……はぁ……お、お兄ちゃんヒドいよ。どんどん先に行っちゃうんだもん」


 追い付いてきた菜希が文句を言っているが無理しなくてもいいと思う。中等部が始まる時間にはまだ余裕がある。


 ――そんなに走った訳でもないんだけどな。


「菜希、僕より体力無いんじゃないか?」


 菜希は膝に手を付いてはぁはぁと息を切らしている。


「私が運動苦手なの知ってるでしょう? もっと妹に優しくすることを要求します!」


 菜希が何か訳の分からないことを言い出した。


「菜希はもっと体力つけた方がいいよ。その歳でその体力の無さはヤバいよ」


 抗議する妹を置いて僕はコンビニの自動ドアを抜けたところで見慣れた女性と鉢合わせした。


「あれ、遠山? 買い物?」


 店内に入ると上原さんが買い物していた。


「上原さん、おはよう。今日は寝坊しちゃってさ、朝食食べてないからコンビニで買っていこうと思って」


「あ、オッパイ星人!」


 上原さんを見付けた菜希がいきなり失礼なことを彼女に言っている。


「な、菜希ちゃん、おはよう。その呼び名は恥ずかしいから止めて欲しいかな?」


 さすがに人前で“オッパイ星人“呼ばわりされると周囲の目を惹き、より上原さんの豊満な胸に注目が集まってしまう。


「菜希、その呼び方は止めなさい。上原さんは先輩にも当たるんだから失礼のないようにしないとダメだ。小学生じゃないんだから」


 さすがに幼稚すぎるアダ名なので、少しキツ目に菜希に注意をする。


「はい……上原先輩、失礼な呼び方をしてゴメンなさい」


 僕が本気で怒っているのが伝わったのか、本人も反省しているようでシュンとしている。


「うん、私怒ってないから菜希ちゃん元気出して」


 菜希には良い薬になっただろう。このまま調子に乗ってしまっても困る。


「はい、ありがとうございます。でもオッパイが大きい先輩が羨ましいです。お兄ちゃんを誘惑しないで下さいね」


 妹は全然反省してなかった!


「あはは、菜希ちゃんは相変わらずだね。お兄ちゃんといえば……そう! 菜希ちゃんにはもう一人お兄ちゃんがいるんだよね?」


「え? 菜希には目の前にいる佑希お兄ちゃん一人しかいませんよ?」


 ――ヤバい!


 僕は以前コンドームを買った時、兄に頼まれたと上原さんに嘘を吐いて誤魔化した。今、この状況では嘘がバレてしまう。


「あれ? この前自販機の時、遠山は兄に頼まれて買ったって言ってた気が……」


 上原さんは僕に疑いの眼差しを向けてきた。


「え、えっと……そうだっけ? そんなこと言ったの覚えてないなぁ……そ、そろそろ学校行かないと間に合わなくなるから、さっさと会計して行こう」


 僕は政治家のように当時何を言ったか覚えてないフリをしてレジに並んだ。


「怪しい……」


 どう考えても苦しい言い訳にしかならず、上原さんはジト目を僕に向けていた。


 その後、上原さんにそのことは追求されずに校門を抜け、妹と別れ下駄箱へ向かった。



 ――アレ? なんか入ってる?


 また下駄箱に白い封筒のような物が入っている。例の一件を思い出し心臓の鼓動が一瞬跳ね上がった。


 僕はまた中傷のビラでも入っているのかと警戒して取り出す。


「遠山、どうしたの?」


 上原さんに声を掛けられ慌てて封筒のようなものをカバンにしまった。彼女には下駄箱での中傷の件があるから思い出させたくはない。


「別になんでもない。僕は漏れちゃいそうだからトイレに行くね。上原さんは教室へ先に行ってて」


 僕は早くトイレに行かないと漏れてしまいそうだと、この場を早く離れる為の言い訳を咄嗟とっさに思い付いた。


「ふーん……分かった」


 上原さんは何も言わないが彼女は僕に疑いの眼差しを向けている。慌てて何かを隠したのがバレているのかもしれない。


 僕は上原さんと別れトイレの個室に入り、下駄箱に入っていた封筒を確認する。封筒の中には便箋が入っていた。


 ――なんだろう?


 中に入っている便箋を取り出し書かれている内容を確認した。


『今日の放課後、校舎裏で待ってます』


 ――⁉︎


 僕は何が書かれているのか一瞬理解が追い付かず思考停止してしまった。


 深呼吸して思考を回復させ冷静に考える。


 これって……学園マンガやラブコメで良くある告白イベントの呼び出し? いやいや、これは生意気な生徒をシメるアレか?

 自分の場合は後半の方の可能性大だ。


 ――でも、不良に目を付けられるようなことはしてないよね?


 中の便箋には中村友美なかむらともみと名前が書いてあった。彼女は……同じクラスの中間カーストにいた可愛い女子で、今は倉島たちと同じグループだった気がする。


 一体何の用件なのか分からないが……もうすぐホームルームが始まってしまう。ゆっくり考えている時間がない僕は、とりあえず後で考えようと封筒をカバンにしまい教室へ急いだ。


 ――まさか告白とかじゃないよな?


 こんな地味な僕にそんなイベントがある訳がない、そう思っていた。




 教室に入るといつも以上に騒がしかった。


 ――なんだ?


 教室を見回すと一ヶ所に女子生徒が集まっていて何やら騒いでいるようだった。


 あそこの席は確か……高井⁉︎ 何かあったのかと不安がよぎる。


 高井の席に近付き人混みの隙間から恐る恐る覗き込んでみた。


 ――え⁉︎


 高井の席に座っていたのは真っ黒なセミロングの髪に真っ黒な太いフレームのメガネを掛けた地味な女子ではなく、ショートボブで明るく髪を染め、メガネを外し垢抜けた美少女が座っていた。


「遠山、高井さん美人でビックリしたでしょう?」


 僕が呆気あっけにとられ立ち尽くしていると上原さんがドヤ顔で話し掛けてきた。


「ああ……高井が美人なのは分かっていたからそれには驚かないけど、イメチェンしたこと自体に驚いたよ」


 あれほど人と関わるのを避けていた高井が、わざわざ目立つ方向に自分を変えたということは心境にかなりの変化があったのだろう。


「遠山は高井さんが美人だって気付いてたんだ⁉」


 上原さんは僕が気付いていたことが意外だったようだ。


 ――改めて見ると高井って本当に美人なんだな。


「遠山、なに見惚れてるんだか。柚実に惚れちゃった? ふふ」


 相沢さんが楽しそうに茶化してきた。


「いや、いや、そういうわけでは無いけど……人気者になっちゃて遠い人になったら寂しいなぁって」


「おやおや、遠山は柚実の恋人でも無いのに独占欲が湧いちゃったのかな?」


 ニヤニヤと相沢さんは面白そうにしている。


「むぅ」


 逆に上原さんは面白くなさそうだ。


 高井に僕が必要で無くなる日が近いのかもしれないと思うと少し寂しい気持ちになった。


 高井はクラスの女子に囲まれ色々と質問されていた。逆に男子は遠巻きにその様子を伺っていた。

 急に美人になった高井とどう接していいか分からないのだろう。


「高井さん、もしかして好きな人ができでイメチェンしたとか?」


「あ、気になる気になる」


「えー誰なの」とか「倉島くんじゃない?」とか好き勝手言われているようだけど倉島は……絶対にない!


 普段、人と話し慣れていない高井はどうしていいのか分からず「えと……」とか「あの……」とか口籠くちごもっていた。


「はいはい、柚実が困ってるでしょう? 気になるだろうけど、もうすぐホームルームが始まるからみんな席に戻ろ?」


 相沢さんが高井を囲む人垣に割り込み、みんなを解散させていく。さすがは元上位カーストだ。堂々としていて影響力も大きい。


 高井の席に集まっていた生徒は各々の席に蜘蛛の子を散らすように戻っていた。


「高井、髪型すごい似合ってるよ」


 僕は人がいなくなったタイミングでそっと高井に声を掛けた。


 高井は珍しく表情を変え、キョトンとしたまま照れくさそうに頬を染めた。


「おやおや……遠山、なに柚実口説いてんのよ」


 一番面倒くさい相沢さんに聞かれてしまい僕は苦笑した。


「違うって。素直に褒めただけだよ」


「まあ、そういうことにしておきましょう。でも、あんまり褒めると麻里花がヤキモチ焼くから気を付けてね。うふふ」


 相沢さんはこの状況を面白がっているだけのような気がする。

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