第12話 カフェ「ねこの長靴」
ニコラウスの執務室を出たカヲルコは部下達のもとへと戻るため、階段を下りて一階のロビーに出た。
騎士団庁の庁舎内一階のロビーには、仕事の話をする騎士や歓談をする騎士達、ソファーに深く腰かけて寛ぐ騎士達の姿があった。
そしてカヲルコの目に飛び込んだのは、整った顔立ちをした金髪の青年騎士。年齢は二十歳前後といったところか。鍛え抜かれた身体であることが、騎士団庁の黒い制服の上からでも判る。
――
彼は白い大理石の柱に背中をあずけて腕を組み、銀色の双眸をカヲルコに向けている。
ディランの姿を見たカヲルコは、一瞬立ち止まった。
しかし、すぐに出入口へと歩き出した。そして、ディランの前に差し掛かったとき、
「少し話しませんか?」
彼の前を通り過ぎようとするカヲルコをディランが呼び止める。
カヲルコは立ち止まって、視線だけを彼に向けた。
「貴方に話す事なんてないわ」
「サクラコ様の護衛騎士たちを調べているとか」
ディランの言葉に、カヲルコは翡翠色の瞳を閉じて言った。
「副長官に告げ口したのは、貴方かしら?」
「僕のような平民出身の騎士は、他人を陥れたり上司に取り入ったりしないと、自分の命さえ護れないんですよ」
両腕を少し広げて笑みを浮かべながら、ディランはそう答えた。まったく悪びれる様子もない。
カヲルコがレヴィナスの捜査に協力していることを、副長官ニコラウスに報告したのはディランである。二人の容疑者がカヲルコによって騎士団庁へ連行されてきた後、ディランは副長官のニコラウスからカヲルコの動向を調べて報告するよう指示されていた。
「王都を離れて、危険な国境警備任務なんて真っ平御免です」
首を左右に振りながらそう言うと、彼はカヲルコに近づいて彼女の横に立った。そして、そうするのが当然のようにディランはカヲルコの肩に手を回す。
「ちょ、ちょっと……」
ディランの意味不明な挙動に、カヲルコの翡翠色の双眸は不安に揺れていた。
同じ
カヲルコは戸惑いの表情を浮かべながら、周りの様子を気にしている。
「近くに、いいカンジのカフェがオープンしたんです。さぁ、行きましょう」
そう言って、カヲルコの半歩前で肘を曲げてエスコートしようとするディラン。よほど動揺していたのか、カヲルコは反射的に彼のエスコートに応じ、一緒に出入口の方へと向かった。
ディランとともに訪れたカフェは「ねこの長靴」という名前の店で、騎士団庁の庁舎に近い二階建て石造りの建物のエントランスから階段を下りた地下にあった。
カヲルコをエスコートしていたディランが店の出入口のドアを開けると、カランコロンカランとドアベルが鳴る。
地下にあるこの店のなかは、満月の夜のようだった。天井のまあるい魔導具の照明が、店内を月明りのような光で照らしている。
各テーブルには蝋燭を模した魔導具の照明が置かれ、焔のようにゆらゆらと揺れていた。
入り口から左手に一枚板のカウンター席、右手は温かみのある色合いのテーブルと紺色の布が張られた椅子のボックス席が並んでいる。
ボックス席側の壁は、『長靴をくわえた猫』というヴィラ・ドスト王国で有名な童話にちなんだ白い陶器のモチーフで飾られている。壁の中央に長靴をくわえながら駆ける大きなネコとそれを追いかける人、その周りに建物、様子を覗う人のモチーフ。
どこか、メルヘンチックな雰囲気の店内だ。
それまで硬い表情を見せていたカヲルコの顔が、店内に入った途端に少しだけ緩む。
店内に客はひとりも入っていない。
ふたりは、店の奥の方にあるボックス席に向かい合って座った。
「それで、話って何なの?」
カヲルコがそう口に出したとき、ウェイターがふたりのテーブルの側に立った。
「ご注文は?」
カヲルコにニコリと笑顔を作って見せてから、ディランはウェイターの方に顔を向けた。
「コーヒー……、そうだな、モン・ブリュを」
ディランが注文したモン・ブリュは、苦みと酸味、甘みとコクのバランスが絶妙で、かつ南国のナッツのような香りが特徴のコーヒーである。
ただし最高級豆で、一杯の値段は小銀貨一枚ほど。この国の一般庶民が口にするには、ちょっと勇気がいる値段だ。
注文したディランがカヲルコの方に顔を向けると、それに促されたように彼女はウェイターの方に顔を向ける。
「同じものを」
「かしこまりました」
ウェイターが立ち去るのを見たディランは、カヲルコの方に顔を向けて笑顔を見せた。
「今日は僕が奢りますよ。どうですか? いい店でしょう?」
小さくため息を吐いたカヲルコは店内を見回しながら、
「そうね。いい雰囲気のお店ね」
と言って愛想笑いを浮かべた。
「一度、カヲルコ様をここに連れてきたかったのですよ。思いのほか早く願いが叶いました」
そう言ってディランは爽やかな笑顔を見せている。
「……良かったわね」
カヲルコは、そう答えて視線を伏せた。
そこから少しの間、ディランはサクラコの葬儀の警備任務や、最近の騎士団庁のことなどの世間話を始めた。カヲルコは彼の話を聞きながら、相槌をうったり笑みを零したりした。
その間、次々と商人や貴族、教会や騎士団庁の関係者が店に入って来た。
ふたりが話していると、ウェイターがコーヒーを持ってあらわれた。
コーヒーカップが、ふたりの前に差し出される。乳白色の陶器には、花弁の端に薄い紅色の入った野薔薇が描かれていた。最近、王都で人気の「ハイデンレースライン」というアルメア王国製の陶器である。
カップから立つ甘い香りを楽しんだ後、ディランはコーヒーを啜る。カヲルコもコーヒーを一口含んだ。
「あら、これ美味しいわ」
カップから口を離したカヲルコは目を大きく見開いて、黒蜜色の液体を見つめている。
「良かった。お連れして正解でした」
と無邪気な笑顔を見せるディランに対し、カヲルコはコーヒーカップをソーサーに戻して彼の方を見て言った。
「そろそろ、本題を聞かせてもらえないかしら?」
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