第9話 イサク・ノイトン先生――ラステル視点

 ラステルです。

 わたしたちは、いま、ギルド9625内の研究棟へと向かっています。


 黒猫会議の後、シャノワさんは行き先も告げないまま「散歩してくる」との伝言を残して、どこかへ行ってしまいました。

 シャノワさんがギルド9625へ帰ってきたのは、それから三日後のことです。


 いったい、どこへ行っていたのでしょう?


 シャノワさんが「お散歩」している間に黒猫紳士という人物から「サタナエル石」の解析依頼があったようで、シャシャ商会の使いの方が「サタナエル石」を届けて下さいました。


 シャノワさんが帰ってきたので、いよいよ「サタナエル石」の解析に取りかかります。


 わたしはシャノワさんを抱っこして、エイトス様がサタナエル石の入った箱を抱えて、ギルド9625内の研究棟へ足を運びました。


 ギルド9625内の研究棟には、全部で七つの研究室があります。

 第一研究室~第三研究室は主に武器の研究・開発を、第四研究室~第六研究室では魔法・魔導具関係の研究・開発を。そして第七研究室。ここでは「冒険者メシ」の……、いえ、今はいいでしょう。


 これから向かうのは、第六研究室です。ここには魔石・魔獣に詳しい研究者がいるのです。アルメア王国はもちろん、ヴィラ・ドスト王国にまで知られる魔石学の権威です。


 ヴィラ・ドストにいた頃、わたしもこの方が著した論文をお母様に勧められて読んだことがありました。

『魔石研究の現状』というタイトルの論文です。「イサク・ノイトンの黒猫」という思考実験が、なんだか可愛らしくて興味深く読んだ記憶があります。


 その黒猫のモデルは、シャノワさんだったのですね。


 そんなことを考えているうちに、わたしは第六研究室の前に立っていました。

 緊張します。心臓がばくばくしています。あのノイトン先生に、ようやく会えます。


 わたしは、おそるおそる第六研究室のドアをノックしました。

「はーい。どうぞー」とドアの向こうから、若い男性の声だけがします。


 わたしは、エイトス様と顔を見合わせました。彼は呆れたような表情で肩をすくめ、扉を開けました。わたしに手で合図して、先に入るよう促して下さいました。


「失礼します」


 そう言って研究室に入ると、期待通りの光景が目に飛び込んできました。


 やはりというか、第六研究室のなかは、いかにも研究者のお部屋といったカンジです。いたるところに資料が置かれています。しかも、いまにも崩れそうで崩れない絶妙なバランスを保ったまま積み重なっていました。

 棚には、書物のほか、魔獣や魔石の標本がたくさん並べられています。


 ヴィラ・ドスト王立魔導研究所の、お母様の研究室と同じ光景です。

 懐かしいような、ほっとするようなお部屋。


「やぁ、ラステルさん、マスター・エイトス。ようこそ、いらっしゃいました」


 若い男性が、試験管のなかを睨んで、なにやらメモをとりながら挨拶しました。

 この青年の名は、


 ――アンソニー・ラヴォア

 ギルド9625第六研究室の助手だそうです。年齢は、二〇代前半くらいでしょうか。

 亜麻色の頭髪にターゴイスブルーの双眸。銀縁の眼鏡をかけています。いつも白の長袖の下着の上から紺色のスクラブを着用していますね。

 とても社交的な方で、ギルド9625の女性職員の方と楽しそうにお話されている姿をよく見かけます。年齢の割に高レベルの鑑定スキルを持っているのだそうです。

 

 そして奥の方に、もうひとり。フラスコの中身を睨みながら、なにかを書き留めている白髪の研究者がいました。


 きっと、あの方が……。


「……」


「……」


 白髪の研究者は、声をかけてくるどころか、こちらに見向きもしません。

 わたしだけでなく、ギルドマスターもいらっしゃるのですが……。


「えっと、なんの御用でしたっけ?」


 アンソニーさんが試験管の中身をみながら、わたしたちに尋ねました。


「先日、ミラさんを通して、お伝えしていた件で……」


 すると、アンソニーさんはわたし達に手のひらをみせて言いました。


「あっ、あっ、ちょ、ちょっと待って下さいね。いま、いいカンジなんで」


 わたしは、唖然としてしまいました。お仕事の用件はそっちのけで、試験管の中身ばかり見ています。白髪の研究者にいたっては、挨拶の言葉さえも交わしていません。


 他方、エイトス様は、いつものコトというカンジのすました表情で、来客用のソファに腰を降ろしました。

 シャノワさんも、わたしの腕からひょいと飛び降りると、とてとてとソファの方へ歩きエイトス様の足下にちょこんと座っています。


 わたしは、どうしたものかとエイトス様とふたりの研究者の方を交互に見ました。

 エイトス様が頷いたので、わたしも来客用のソファに腰を下ろしました。


 とりあえず、ふたりの区切りがつくまで待つことにしましょう。



 しばらくすると、アンソニーさんが手を止めてこちらにやってきました。

 ようやく、お仕事の話ができそうです。


「お待たせしました。それで、ご用件とは?」


 そう言いながらアンソニーさんは、わたしたちの前に座りました。


「魔石の解析依頼が持ち込まれました。こちらです」


 エイトス様は、箱のふたを開いて「サタナエル石」をアンソニーさんに見せました。


「……はじめて見る魔石ですね」


 アンソニーさんは、箱の中を覗き込むように見ています。鑑定スキルを使って、この魔石を診ているのでしょう。


 しかし、すぐに、


「む?」


 と眉を寄せて、難しい顔になりました。

 どうしたのでしょうか?


「何か分かりましたか?」


 箱の中を覗き込むアンソニーさんを見ながら、エイトス様が尋ねます。


「……」


 アンソニーさんは、顔を上げて首を左右に振りました。


「こんなことは、はじめてです。鑑定スキルで診ることが出来ないなんて……」


 わたしとエイトス様は、思わず顔を見合わせました。


 鑑定スキルを使っても、診ることができない!? そんなハズは……。だって……。


 わたしは、隣にいるシャノワさんを見ました。

 シャノワさんは、欠伸をして後ろ足で首筋をカリカリと掻いています。


 エイトス様は顎に手を当てて、なにやら考え込んでいるようです。


 わたしも、少し混乱しています。


 シャノワさんは、この魔石を鑑定スキルで診てすぐに「サタナエル石」であること、人工魔石であることが判ったようでした。

 それなのに、アンソニーさんが診ると判らないというのは、どういうことなのでしょうか?


「先生。先生も、こちらに来て診てくださいよ」


 アンソニーさんが、奥で未だになにやらカリカリと羊皮紙に書き留めている白髪の研究者に声をかけます。


 彼は、ちらりと魔石に視線を向けました。

 そして、ふたたび羊皮紙に視線を落としてしまいました。

 ああ、彼にとっては興味をそそらない魔石なのでしょうか、と思っていた矢先のことです。

 白髪の研究者は、ふと宙を見てから、ばっと凄い勢いでこちらに身体を向けると急に立ち上がり、どたどたと足音を立ててサタナエル石に飛びついたのでした。


 この白髪の研究者こそ、


 ――イサク・ノイトン先生

 第六研究室の室長。わたしが、お会いしたかった研究者のひとりです。御年六七歳。

 肩までかかる白髪に鷲鼻、深いほうれい線、ギョロ目のおじいちゃんといった風貌です。きっと、わたしのお父様が年齢を重ねると、こんなカンジになるような気がします。

 白のドクターコートが、よくお似合いですね。アンソニーさんよりも、高レベルの鑑定スキルを持っているそうです。


 イサク先生は、両手を添えて箱の中のサタナエル石をじっと睨むと、ばっと顔を上げてエイトス様を見ました。

 そしてエイトス様は、微笑ましいものを見るような目をしながら先生に尋ねました。


「イサク先生。いかがですか?」


「エイトス。こ、この魔石はいったい何じゃ!? 魔石のなかで魔力が渦巻いておる。加えて、ワシの鑑定スキルでも診ることが出来んとは!」


 きっと先生にとっては、驚愕の事態だったのでしょう。

 イサク先生は、ギョロッとした目をくわッと見開いています。目が零れ落ちてしまうのではないかと思うほどでした。


「先生に、この魔石の解析をお願いしたいのです」


 エイトス様がそう言うと、イサク先生は笑みを浮かべながら箱の中の魔石を凝視して、


「やるっ! やらせてくれ、エイトス」


 と応諾してくださいました。

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