ジュピタンのレイヤさん

 グリン誕生の前年、アルチュンドリャと副社長ナオスガヤは、長期休暇と研究を兼ねてジュピタンへ渡っている。

 ビイル薔薇の花の毒性を、なんとか有益な方向へ変容させられないものか・・・そんな夢みたいなことを、若い社長と副社長は考えていたらしい。


 ジュピタンは古来、魔術系の医術や卜占術、化学、哲学、心理学などの学問が盛んな地方。第五大学の伝統ある看板学部は占星術学部だ。多くの有能な呪術師や占い師を輩出している。


 そんなジュピタンで、ふたりは休暇もそこそこに、第五大の研究者等と交流をもち、自分たちの課題を解くヒントを探し求めていた。天地創造の初めから自生するビイル薔薇には、人間のそんな小細工など通用しないのだが・・・。


 アルチュンドリャは、当時修士論文の執筆に取り組んでいた大学院生のレイヤと知り合い、愛し合う。レイヤがバイトしていた研究室が、後にデューンの父親となる年若きグル・ワヒラサのラボラトリーだ。

 アルチュンドリャとナオスガヤは、グル・ワヒラサの研究室へも足繁く通い、何度も勉強会を開いた。


 すでに何年も前から、正気を保つためには飲バラが必要、なんていう倒錯した精神状態にあったアルチュンドリャだが、レイヤは彼の魂の本質を見抜いていた。

 バラ中患者のアタマのいったいどこに、そんな集中力が・・・と、驚きを通り越してあきれるくらい、ビイル薔薇精油研究に全精神を注ぎ込むアルチュンドリャの、たった一点ブレない志。楽園の深い落とし穴に呑み込まれてしまった人々の心の闇を、一身に背負い、巨大な影と対峙する若者の悲愴な姿。愚直なほど純粋で、満身創痍のアルチュンドリャの魂を、レイヤは抱きしめてあげたかった。


 レイヤと同い年の弟がいて、マーズタコの第四大を卒業し、故郷ネプチュン鳥島の大手蒸留器メーカーに就職したらしい。それは人づてに聞いた話で、アルチュン自身はもう十年以上も弟と会っていないという。

『自分の会社で使っている蒸留器は、弟が勤めているメーカー製で・・・』

 近くにいるはずなのに、どうにもすれ違ってしまう家族。

『いつか胸を張って弟と仕事の話でもできるようになれたらいいな・・・』

 レイヤは、弟の話をするときのアルチュンドリャの、サファイアブルーの瞳に、包容力に満ちた穏やかな灯が微かにともるのを、やるせない思いで見つめていた。


 バラ中はレイヤにもどうすることもできない。アルチュンも間もなく遠いネプチュン鳥島へ帰ってしまう。けれど、レイヤはアルチュンの魂を愛した。ボロボロになりかけている身体も愛した。アルチュンドリャの身体はレイヤの手によって、夜ごと神秘的な深淵へと導かれるのだった。

 暗闇に淡く浮かび上がる白絹の肌を、熱を帯びた唇が渉っていく。アルチュンの喘ぐ息に、快楽よりも、楽園に穢れのシミを落とし拡げてしまった罪人つみびとの苦悶が漏れる。その苦しみを、言葉で慰めることも励ますことも叶わず、レイヤは全身の肌と全霊の魂を捧げて抱きとめる。




 アルチュンドリャが実刑判決を受け、ネプチュン鳥島の隣島で服役する間、バラ中の後遺症が彼の肉体を加速度的に蝕んでいく。


 獄中で心臓発作に襲われて苦しむアルチュンドリャの魂が、レイヤの夢枕に立った。プロの呪術師となっていたレイヤは、ジュピタンに古代から伝わる秘術を用い、アルチュンドリャの魂と対話した。

 肉体がいまわのきわにあるこのとき、アルチュンドリャの精神には正気が戻り、あの、包容力と慈愛に満ちたまなざしがレイヤに注がれ、別れを告げる。


 二言三言、言葉を交わしてから、レイヤは最後に、

『あ、そうそう。アルチュン、あなたの娘がいるのよ。グリンっていうの。師匠のグル・ワヒラサが一緒に育ててくれてる』

 と、事務連絡みたいにアルチュンドリャに伝えた。

 アルチュンドリャは、赤ん坊を見る人のように優しく、嬉しそうな、でも切なそうな、なんともいえない表情で頷いて微笑み、

『神の祝福がありますように。きみと、愛しいグリンと、きみが愛するひとたちへ』

 と祈り、天に召されていった。



 後になってレイヤは、アルチュンの最後の表情を思い出し、

「生きてるうちにグリンのこと教えといてあげればよかったかな?」

 と、ちょっぴり反省する。なんだかとんちんかんなところのあるレイヤさんだ。

 そのことをグル・ワヒラサに報告すると、

「父親としては、子どもの存在すら知らないまま死んでいくのは悲しい。グリンのとーちゃんが可哀想ではないか」

 と残念がったから、せめてもの罪滅ぼしに、アルチュンのご両親に孫娘を見せてあげよう、ってことで、レイヤはグリンを連れてネプチュン鳥島へ旅行することにしたのだ。

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