#親を捨ててもいいですか ※びっくら長文!!
夜中に一号のウザ絡みから逃げて大通りを散歩した昨日の2時半。
帰ってきてからツイッターで書きかけの140字が消えるという悲劇。
ついでに#親を捨ててもいいですかというトレンドを発見しました。
NHKのクローズアップ現代でやっていたらしいですね。見てないけど(テレビ見ない)
でも、ツイッターに上がってるの見てると、結構そういう風に思う人多いんだなって思いました。
私、親を捨てた人間です。
16歳くらいから必要最小限しか口をきいていないし、20歳からは旦那と付き合ってほとんど旦那の家で過ごしたし、大学を出ると共に県外に移り住み全く実家に帰っていません。
虐待はされていません。ただ、親がちょっと未熟な人間だったんだなとは思っています。
そして、何故私が母に怯えているのかも理解していないだろうし、今もただ親不孝者の恩知らずと思われているんだと思います。
それに対して私は本当に申し訳ないと思うし、申し訳ないのだけど、どうか死んだと思って忘れてくださいと思っています。
子どもが産まれてから、二度ほど顔を合わせました。でも、ほとんど喋ってはいません。
質問等に敬語で2言くらい返したかもしれません。顔も上げられず震えてました。
四十路になってなお、未だ私の心の中で母が罵ってきます。
「親を捨ててもいいですか」っていう人って、そういうものなんだろうなって察します。
いい、悪いではなくて、他に選択肢がないんです。捨てないと生きていけない。だけど、捨てるのが申し訳なくて仕方ない。ジレンマ。
野垂れ死ねばいいとか、動けなくなった時に報復してやるとか言える人はまだ健全。従って生きてきた人間は、恐らく後ろめたいんだと思います。だって、長らく自分の価値観は母親に服従する事だったのですから。
前に書いた気がしますけども。
私の家は、昔は普通でした。兄は片手くらい年が離れてて、弟は年子。
幼年時は皆でピクニックに行ったりしました。それは覚えてます。
で、父が昇進し管理職になったのが嫌で仕事を辞めたらしくって。そして、結構何度も友達にお金を貸しては逃げられたりしている人らしくって。
家は困窮して、専業主婦だった母も働きに出なければならなくなりました。
そっから多分、夫婦の仲は悪くなったんだろうなと思います。
幼かったので全部伝聞なのですが。
気付いた時には、私たちは母からいつも父の悪口を聞かされていました。あいつは人でなしだ。父親なんかじゃない。あんなやつはゴ〇ブリ以下だ。生きる害悪だ。
そんな風に言われて過ごしました。
兄は父と仲が悪かったし、私は父とどう接していいかわかりませんでした。
私にとって、父は信用できる人間ではなかったし、他人だと信じていました。今思えば、お父さんと呼んだのはいつが最後だったでしょうか。小学校の低学年くらいなのかもしれません。
で、母は気性の荒い人間でした。思い切りリーダータイプです。
家計を顧みずにおばあちゃんが諦めて欲しいと言うのを聞かずに短大に進学し、頭が良いと自負している。スポーツ万能で活発。体脂肪率一桁。スタイルが良い。
かなり見栄っ張りで外面がいい人間だったと思います。
母は自尊心が強いので、幼い頃からぽっちゃりだった私に「母子とは思えないって言われる」「お母さんの身を全部お前が持って行った」「お前に入る服があるなら幾らでも買ってやるのに」といつも言っていました。
後になって思えば、余程でない限り子どもに入る服がない訳がないのですが。っていうか、今ならわかりますよ、絶対あったはず。そこまで規格外ではなかった!
でも、私は自分が肥ってるから、恥ずかしい存在で、洋服がないのも私のせいなんだと思ってました。
母は、弟を溺愛していました。
手がかかって、愛嬌が良くて、要領がいい末っ子が可愛かったのでしょう。
私は兄弟の中で唯一の女だったので、「女だからしなさい」と、「お姉ちゃんだからしなさい」に埋められて育ちました。
何で私ばかりと思っていた気はします。でも、徐々に私は弟の面倒をみなければならないんだと思うようになっていきました。
「弟のため」に全てを捧げるのは当たり前。そう信じてました。
この弟びいきは、私の嫉妬じゃないんですよね。兄もおばあちゃんもそう言っていたし。ばあちゃんは「
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも貰うのは弟だけ。私の誕生日に弟の好きなフルーツ(私は苦手)を「お前のために買ってやった」って買って帰る母。弟の好きなエビフライ(私は苦手)を「お前が好きなエビフライつくってやった」という母。
何で弟だけと言うと「お前はお姉ちゃんだから我慢しなさい」と怒られる。私はそれが好きじゃないと言えば「文句があるなら食うな」と怒られる。
一つしか年が離れていなくても、弟のために諦めるのは常でした。それが正しいと教えられてきました。
私は手のかからない子でした。文字も計算も、勝手に興味を持って覚える。放っておけばずっと本を読んでいる。特段手がかかる事がない子どもでした。
塾や通信教材をせがめば「どうせ兄ちゃんみたいにすぐやめる」と言って何一つさせて貰えず。兄のために買った古い図鑑を読んで過ごしたり、貰ってきた絵本を熟読したり。
テレビのチャンネル権もなかったので、あのテレビが見たいと思った事がありません。私の存在はいつも家の中で最下位でした。
小学校中学年くらいまでは、私は、喘息が酷くて時々動けなくなりました。
横にもなれずに机に俯せて(起座位という呼吸が楽なポーズです)、息苦しさに唸って(呻吟と言って、肺を膨らませる時間を長くしているのです)、でも、苦しい苦しい言っていた時に怒られていたので、出来るだけ静かに、呻きも漏らさないように過ごしていたのです。
息をするのが苦しい。あつくて滝のような発汗。意識が朦朧、気絶以外は眠れない。胸も背中も呼吸疲労で痛い。そんな経験を何度もしてきました。
でも、母は覚えていませんでした。「兄ちゃんと弟は喘息酷かったけど、お前はそんなになかった」と言っていました。
私が訴えないから、ひどくないと思っていたのかもしれません。
母はそんな人です。悪気はないんです。私に興味がないだけなんです。
私は、自分の意見を言わなくなりました。言っても怒られるだけだから。我慢していれば済むのです。
でも、言わないから理解されないのです。堂々巡りですね。
高校に進学するときに、田舎だから市内の県立は3校しか選択肢がなかったのですが、その中で一番の進学校以外は認めて貰えませんでした。頑張って訴えたら、怒られました。
その先についても、母が昔パートで病院の検査室に勤めていた時に、看護師が楽そうに見えたようで「将来看護師になりなさい。楽してお金が稼げるし資格職だから」と言われて、決定しました。もう抗う気はありませんでした。
でも、母は、両方とも私がいきたくて選んだと思っています。
進学については、母は周囲に自慢していたと聞きました。大学に至っては、母校からたった一人の一般枠合格でしたから。会話のままならない娘でも鼻が高かったのでしょう。不思議でしかありません。
高校生の時は、私はひどい自律神経失調と鬱で、生きていたくない思いでいっぱいでした。
何故だと思います?びっくりするくらい、今考えると笑えるんですけども。
私が生きてるとお金がかかるからです。
私がいなければ、弟がもっと贅沢できると思ってました。
私がいなければ、みんな幸せになれるんだと思ってました。
息をする自分が大嫌いでした。もう二度と戻りたくありません。というか、戻ったなら生き残る自信がありません。九死に一生を得たようなものです。
微熱が半年以上下がりませんでした。しんどくて仕方なくて。学校を休む私を、母は恥だと罵る。鼻で笑う。頭痛い。お腹痛い。吐き気がする。身体が震える。
でも、そんな最中で、弟が卵を持ちかえって私が世話をする羽目になったサンショウウオの世話をしていた時に、父と喧嘩したかなんかの母が、私の隣に来て親密そうに寄り添って、愚痴を言うんです。
私が自分の味方で当たり前だという態度で。
私は、この時に踏ん切りがつきました。この人とはどうやってもきっと分かり合えないと。
心身症と自律神経失調は長らく続きましたが、拒食を期に落ち着きました。
高校3年のとき、半年間拒食しました。
拒食症は、未成熟な母を持つ娘が起こしやすいと言われています。母の支配から、自分の身体の支配権を取り戻す行為であるらしいです。自分の身体を「食べない」事でひそかに支配するんですね。その通りかもしれません。
回復のきっかけは、友人に誘われたXJAPANのファンの集会で、顔見知りになった子が、「私もわかるよ。一緒に食べよう」って言ってくれたことでした。ガリガリの子でした。感謝です。
気持ちが晴れたのは、大学生になって、自分のお金で食事ができて、洋服が買えるようになった時です。
仕事が人並みに出来る自分に、価値を見つけました。私は労働力として社会に必要とされている。ここに生きていていい理由を見つけました。
親にお金を掛けさせなくても食事ができるようになった事も有ると思います。
ばあちゃんも援助してくれるけど、弟におこづかいせびられてるのでかわいそうで。学費も、親がだいたいばあちゃんに払わせていたのを知っています。
でね、こうやって生きてきた訳ですけども。
別に私の母は毒親ではなかったんですよ。
だって、食事を作ってくれてました。運動会にも参観日もきてましたよ。育児放棄されてないです。
弟を溺愛していて、手のかからない私に興味がなかっただけです。
人間性が未熟で、不満を子供の前でもらしていただけです。
自分に自信があったから、強く意見を言っていただけです。自分が正しいと思っていただけです。
自尊心が強かったから、私よりも優れている自分を主張したかっただけです。
ただ、母は未熟だっただけです。
そして、私も未熟でした。自分の意見を言えない。我慢してればいい。怒られたくない。いい子でいたい。存在を認められたい。諦めていたんです。
何も言わないから、理解して貰えない。それは、本当に母が悪かったのか。
私がもう少し頑張れる子だったら違ったかもしれない。あの人は、未熟だっただけで悪い人間ではなかったのだから。
母からしたら私はどうだったのか。
勝手に距離を置いて、勝手に喋らなくなって、勝手に出て行った。
被害者は母のほうだと思っているでしょうし、それも間違っていない。
愛されていない訳じゃなかったと思います。平等でなくても。
それでも、私の身体は、もう母の前では委縮してしまって、生きていけないんです。支配される恐怖でいっぱいになるんです。
だから、私は申し訳ないと思っています。申し訳ないけど、こんな親不孝な子供は忘れて、健やかに、幸せに過ごしてくださいと願っています。
だから、番組上?「親を許すのか」っていうお話があったようですが。
私には、親を許す許さないはないです。私が親に許されるかどうかだと思うし、許されなくていいと思ってます。
でも、和解もできないし、一緒にも居られません。隣にいたなら生きていけません。
それはもう、魂の問題であって、理屈ではないんです。
でも、私が子供に接する時に。いつも私は母と同じことをしていないかが心配なんです。
私も将来、毒親と呼ばれるんでしょうか。
ツイッター上で、「自分が子供に捨てられてもいいと思うなら、親を捨てればいい」って書いていた方がいましたが。
私は、どうぞ捨てて行ってくださいと思ってます。
子供たちに必要な時には、私はやるしかないですが。不要になれば、そんな荷物は持たずに捨てて行っていいんです。
子供たちは、社会資源です。私は、社会に還すために子供たちを育てています。その時になるべく苦労しないでいいように、生きやすいように、少しでも生きたいように生きられるように。
これが、親に頼らなかった私の、親としての在り方なんでしょう。
それでですよ。「親を捨ててもいいですか」って思う人は、まず。
親から離れなきゃいけないと思います。支配された状況で、まともな判断なんてできません。
で、その下した判断がどうであろうと、それでいいと思います。
そうなるに値する経緯は、なかった事にはなりません。だから、正当です。
あと、経済的に自立すること。自分で生活すること。
年齢によっては難しいけど、親に面倒を見て貰っている間は何も言えません。言う権利がないように思えてしまうから。
自立が難しければ、親以外の大人を頼ってもいいと思います。機関でも。
そして、親側から言うとですね。
苦しいのなら捨ててください。それで我が子が幸せになれるのならウェルカムです。
そう思わない親なら、捨てて正解ですよ。我が子より自分が可愛いんだから。
つまり、どっちにしても捨てていいんです。悩む必要は全くありません。
軽薄かもしれませんが、私はそんな風に思います。
ってなことで。めっちゃ長いっす。どうもすみません。
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