一人称はうそつき

 ようやく『AI』の続きを投下しましたが。

 一人称って本当、嘘つきですよね……。


 これは時々、すっごく痛感する事なんですけど。

 一人称って、本人の自覚がない事は描けないんですよね。


 私はいつも、自分のお話を作るとか組み立てるというよりも、傍観して解釈する感じなので、どこにフォーカスするかではあるのですけど。

 もちろん、私の頭の中なので、誰かに問ってみたり、こんな事があったら?と事を起こすことはできるのですが。

 キャラたちの反応はオートモードなのです。

 で、私は理解して解釈する。


 そこは既に二次元ではなく、空間なので。書く事は常に取捨選択。捨てる方が多くて、拾い上げられる事はごく一部。

 その中で、一人称っていうのは、そのキャラの五感や思考に過ぎないんですよね。

 だから、すぐにアンサー的な別視点を書きたくなります。二人いればそのどちらも私は見ていて、一人称で切り捨てた他のものって、実はこういうのだったって書いちゃう訳です。相手がどう感じたとかどう思ったとかそういうのを。


 自分の人生って、常に一人称ですよね。

 二人称や三人称、神視点なんてものをメタ認知的に捉えたつもりでも、それは自分のフィルター越しにしか過ぎない訳で。

 つまり、一人称は、当人にとっては真実の世の中。

 一人称にとって、感じる事は全て真実で、考える事もまた真実な訳です。



 話が逸れるのですが、だから相手から見た「どうもないから大丈夫」が好きではないです。

 大丈夫かどうかは自分にしかわかりませんからね。

 特に医者の「どうもない」が大嫌いです。どうもなければ言いません。どうかあるんですよ、相手に見えないだけで。これは医療の過信ですよね。

 感じてる事は、当人にとっては100%真実ですから。他人に判断なんてできないんです。

 でも私は気休めや協調が苦手なので、常に可能性の話しかできませんけどね。

 医学的な正常域でもつらい身体症状はあるものです。

 こういう状態だから本当につらいと思う、こういう可能性があるから、これを試してみたらいいかもしれない。

 私はそういう事しか言えないポンコツですが、「つらい」こと自体を否定されたと思ってる方って本当多いのです。

 共感して、慰めるのが得意なナースもいます。私はそれができないので、できる事をします。いい役割分担です。たぶん。



 で、ですよ。

 一人称の世界は、当人が全てなんです。

 傍観者である私の解釈は、これまた私のフィルターを通していてこれが正解とは言えないのですが、当然常に一人称とは齟齬があるのです。

 一人称の世界は、客観的には真実じゃない事も多く含まれているんですよ。

 当人がそう思ってる、そう感じている世界なので。

 相手が好意を持っていたとしても、当人が嫌われていると思っていればそれが真実。


 そういうのを矯正するのは、他人との認識の違いや観察した事なんかだと思うんですけど。

 あれ?もしかして勘違いだったのかなって。相対する人の言動から感じ取ったりしますよね。


 でもですよ。

『AI』は、ペコちゃん人間じゃないでしょ。

 私からみて、ぶっちゃけ、彼女の思考は人間の思考未満なので。常にマスターの事しか考えていないので。視野も狭いし、回路も粗雑。

 そうなると、マスターに寄るしかないけど。彼もまた、面倒事に直面する事から逃げてきた人間で、言い訳だらけなんですよ。

 余りにも「推定嘘」ばっか。

 言い訳と建前を捨てられないプライド。素直ではない。いい子でお綺麗でいたい。



 うううううううううぅむ?

 という事は、多分、私の認識からかなりズレている。

 それを一人称の世界でどう表現するか。

 これ、すごく難しいですよね。



 だいたい、人間の思考とか曖昧なもので。人は一つのことだけを考え続ける事はできないそうです。


 すごく興味のある講義を聴く。面白い!それでそれで?

 おなかすいた。なんかちょっと寒いな。隣の人のいびきがうるさい。誰かのコーヒーがいい匂い。あ、講師の先生つまづいた。


 常にデータは並列処理。で、その一部だけを自分で意識しているし、水面下で全部を網羅している。

 その無意識も含めた多大なデータの中で、意識部分のごく一部として「自分はこう思う」っていうのがあって、でも同時に水面下では真逆な事すら思ってるかもしれない。

 だから、「後で考えてみたらこれはこういう事だったのかも」「あ、あの答えは実は」「本当はわかってたけど、あの時は認められなかった」なんて、後で思ったりする事もある。

 人間自体、一心ではありえない。



 あ、広がりすぎましたね!(笑)

 つまりを突き詰めれば、結局私が何を書きたいかという事に他ならない訳ですけども。これもまた取捨選択ですね。


 一人称のお話って、結局はメタフィクションが必要なのかなぁと。

 ただ、あんまり好きじゃないんですよメタなのが。

 でも、そもそもがフィクションなので、有効なメタって必要なんですよね。

 だって「あの時は頭が真っ白で」をそのまま一人称にしたら、遠い未来まで当人が何を考えてるのかわかんないじゃないですか。それって、作品としては面白くないでしょう。

 写実であるより物語でなくては、見る側としてモヤモヤしたままかなぁと。だから、ある程度はメタ的な説明って必要だなぁと。


 私の古巣のなりきりの世界では、自分のキャラだけを動かします。

 なので、相手に伝えたい事は全て描写しなければなりません。

 視線ひとつ、息遣いひとつ、声のトーン、癖や間。全てを使って間接的に表現するんです。

 伝わらない事も多いです。読み取ってくれると嬉しいです。これって、現実と一緒ですよね。100%伝わる事はないし、伝わるかは相性もあります。

 でも、ある意味、相手の読解力に頼るところもあるんですよね。伝える努力は最大限しなければ、おんぶにだっこ。だから出来るだけの描写をします。


 で、時にその中に「心情」を入れたりします。

 これは、現実ではありえないです。心情、聞こえてきません。なのでテレパシーとも言われます。

 私は昔、これがたいへん苦手でした。それに頼るばかりで対処に困る方も一定いらして(だってキャラからしたら見えないから、相手何もしてないから反応できん!)、そんなもんに頼らずに表現することこそ正義だと思ってました。

 でも、本当に上手な心情を入れてくださる方に出会って、悶えました。

 これは自己表現ではなくて、相手のためのサービスなんです。もちろん、それ以外で十分に伝わるのが前提ですけども、それに加えて思考をチラ見させて貰うのって、本当にサービスされてます。

 メタって本当は、相手に正しくもっと知って貰うための気遣いだったのだと気付きました。


 なので、一人称の上でも上手い事メタを目指します!

 まずはちょっと、客観的にこの一人称がどう見えるのかを冷静に考えなければならないのかも。齟齬がどんなかを。

 私の中では、物語の空間が全て認識されているので、切り取った空間がどう見えるかを忘れがちなんですよ。私にはそれ以外も見えているので。

 ちょっと修正していかないと、行き当たりばったりに一人称しすぎて把握できてない。ゆゆしきゆゆしき。


 でも続きはさかさか書くつもりです!

 寧ろ今回入りきらなかったからまだ続いてます(笑)

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