ダークでビターな鬱々is青春なころ(めっちゃ鬱ぞ!!)

 青春時代。地獄でしたね。

 青春してたのはロックくらいだった気がします。


 私、片手ほど離れた兄がおりまして。すぐ下に弟がございます。

 これね、地獄絵図なんですよ結構。

 やんちゃな兄と子分のスネ夫くん。

 小さい頃は叩く蹴る立ってるだけで飛び蹴り降ってくる環境で育ちました。

 私は彼らの中では推定悪役で、毎日のように「お前に生きている価値なんかない」「お前が妹/姉だとか恥ずかしい。消えて欲しい」と言われて過ごしました。

 子どもだから仕方ないですけどね。割とそう自分で信じてきたとこはあります。


 父はとてもお人好しの世間知らずなボン。母は我儘気質のお嬢様。

 そもそも友達に借金踏み倒して逃げられる父に不満があったお母様は、お父様がお仕事を辞めてからひどく不仲でした。

 毎日父の悪口を聞いて育ちました。「あんな人父親じゃない、赤の他人だ」「あの人は最低だ」と。

 そうする内に、父親を父親と思えなくなってました。今でも父が何なのかわかりません。


 そして、母も母で、気性が激しい癇癪もちだったので。私が少しでも気に入る言動以外を取れば溜息。違う意見を述べれば徹底的に「馬鹿じゃないの」と罵る。

 小学校2年か3年くらいの時に、ひどい喘息発作で横になれずに、息をするのに必死で、テーブルに俯せて汗だく涙だくで「苦しい、苦しい」って言っていた時に。母はイライラMAXだったようで、「苦しい苦しいうるさい。苦しいって言ったらどうにかなるんか。かわいそうねって頭でも撫でてやれば気が済むの?」と言われました。今でもはっきりと覚えてます。

 なので、私の中では、母は迷惑をかけてはいけない人でした。

 そして、母は手のかかるダメな弟を溺愛していましたので、弟は私の従い面倒を見る相手ともなっていきました。私の元ご主人さまです。

 母とは結局16歳くらいからまともに話をしていません。結婚の顔合わせの時に、私を「とても我慢強い」と言っていました。そうでしょうね、と思いました。


 子どもの頃から、そんな風に、誰かに頼る事も本音をいう事もできませんでした。人間を信じることも。

 思春期を迎えてからは友達を好きになるのも怖かった。依存してはいけない、この人が自分を裏切って嫌っても大丈夫じゃなければいけないと。

 大丈夫な自分以外は認められないと思っていたんですよねぇ。

 そんなダークな青春を送ってきました。本気でもう二度と戻りたくないです。


 なのでまあ、荒れてましたね。

 田舎の進学校の高校に言われるがままに進学して。自律神経失調に過食に拒食。不登校。でも全部、自分でなんとか最低限抜け出してきちゃいました。

 私、残念な程に弱くないんです。何とかしてしまうんですよねぇ。半年食わなくても。

 家はものすごく貧しい(と思い込んでた)から、私がいなければもっとお金がかからなくていいのにとずっとずっと自分を責めていました。

 死ぬ勇気がなくて責任が持てないから、毎日、『通り魔がきて私を刺して行ってくれる』夢を見ていました。息をするのが申し訳なくて、息を止めてもいつか再開してしまう自分を恥じていました。

 今生きてるのは、余生だと思っています。私はこの頃に多分何度か死んでいるので。


 音楽と物語と妄想は、私を私じゃないものにしてくれるので好きでした。青春の友です。愛してます。



 私がそこから脱却できたのは、働く事を知ってからです。

 高校三年から本格的に始めたアルバイト。自分の稼いだお金で食事ができると、生きていてもいい気がしました。

 大学時代はアルバイトに明け暮れました。真面目で向上心はある方なので、仕事は出来るようになりました。仕事ができることが、自分の強みと思えるようになりました。働いている間は、私は求められるのだと。


 まだメンタルはダークだったので、悪い大人と援交染みた付き合いはするし、家から遠ざけてくれそうなナンパにほいほい身を差し出すしっていうアレでしたが。

 家に帰りたくなくて。それが一番の苦痛でしたので。

 人生一番のモテ期だったんですよ。本当に。

 ちみっこ童顔ホルスタインの看護系女子大学生ですからね。二次元的な響きでしょ。

 オジサンたちもお兄さんたちも優しいんですよ。


 こう思うと、私はまともに恋愛とかしてこなかったなぁと。

 私を好きな人はみんな好き、犯罪者以外。みたいな。



 初めて付き合ったのは、うちの旦那様でしたから。二十歳そこらでした。

 すごく好きとかじゃなかったです。仕事仲間でした。

 半分くらい旦那の家に住んでました。私を家から救い出してくれたヒーローでした。

 私はものすごく依存していたと思います。

 親も、友達も、恋人も、全てが旦那一人でしたから。

 彼は本当によくやってくれて、頑張っていたのでしょう。


 今は幻のポケモンですね。私の前には姿を現さない。

 ここではないどこかに想い人もいるし、その彼女の為なら妻子を捨てるのは当たり前と信じていたし、子どもを養わないといけないと思ったこともないそうです。

 まあ、実際私がずっと養って来ていましたから。ナース、高給取りですからね。


 私が死ぬまでは何とかするから、その時は後はよろしくと言って片手以上は過ぎましたが。ついに入院なぞすることになり。

 今、ちゃんと一号と二号の面倒みてくれているようです。ありがたいことです。

 このままお金も出してくれるとありがたいんですが。まあ、何とかなるかな。

 死ぬ気で働いてきたつもりだけど、本当に身体壊すとかね。

 わしはまだ働かないかんのにな。


 まー、働けん間はつべこべ言ってもしゃーないもんな。

 という事で、めっちゃ入院暇生活謳歌してますけどね!

 なにせ入院準備バタバタしたくせに、パソコンは持ってきましたから。ええ。



 私ね、恨み言を言うのは得意じゃないのです。

 昔聞かされたみたいに父親の悪口なんか聞かせたくないし。

 お金がないって溜息つかれたくないし。


 まー子どもたちを巻き舌でどやしつける位のことはすぐにしますが。

 あまりよい母ではありませんので。というか多分心は父っぽいので。

 シンデレラコンプレックスに怯えていますが、そうならずに最低限は母でありたいです。

 一号と二号には申し訳ないところもありますけどね。

 私が人としてだいぶ欠陥してて。仕事しかできなくてスマンなって。



 でも、青春時代よりはずっと今は気が楽なんですよ。

 やっぱりどんな経緯でも昔に戻りたくないな。

 そして、やっぱり恋愛は遥か遠くだなあ。

 ほとんどジャンル『恋愛』しか書いてないのにね……。ううむ。


 こうね、鬱々したこと書きましたけども。

 これはあくまで私の成分であって、確かに礎なんですけど、それだけでもないのです。

 基本的に私はハッピーでラッキーな人間ですからね。

 ただちょっと感受性が強すぎただけなんですよ。あと人付き合い不器用。

 世の中、楽しい事の方が多いです。騒ぐキャラたちを書いてあげたいし。

 たくさんやりたいことはありますしね!



 世の中、幸運もあれば不運もありますよ。

 だけど私は永遠にハッピーでいますからね!

 終わる瞬間には、高笑いするのです。愛すべき世界よありがとうと。

 それが長らくの野望かなあ。

 あと、ちょっとくらい弱くなりたい………。

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