第16話
――新幹線に乗ると、ママと吉沢が企んだトリックを推理してみた。ママと吉沢のアリバイは、“電話”だが、電話をしたからと言って、何も話をしていたとは限らない。互いが受話器を外したままにすれば、話をしなくても話し中になる。そして、通話明細書には履歴が残る。その話し中を利用して、益美を殺した。殺したのは吉沢だ。なぜなら、ママには出勤時間が控えている。人を殺めた後に平然と接客をするのは、普通の神経では無理だ。ママが出勤した時刻に、吉沢が益美を殺した。
順子は吉沢を犯人にすると、帰りを待つ二人に思いを馳せた。――
だが、
「吉沢さんなら知ってるが、益美を殺すなんて有り得ない」
「どうしてよ?」
頭ごなしに否定された順子は、子供のようにムキになった。
「どうしてって、勘だよ。一緒に呑んだこともあるし、麻雀もしたことがある。ギャンブルをすると本性が出るもんだ。あの人は穏やかで思慮深い人だ」
「ママの恋人だったんでしょう?」
益美との関係を教えるのは気が引けた順子は、ママを例に挙げた。
「さあ、その辺は分からん」
「円ちゃんて知ってるでしょう?」
「ああ」
「その子が教えてくれたの」
「ふん。あの子の言うことは鵜呑みにしないほうがいいな。それだったら、吉沢さんの言うことのほうがまだ信じられる」
と、鼻で笑われて、順子は腹が立った。
「何よ。あなたへの疑いを晴らすためにわざわざ山形まで行ったのに、すべて否定されて。……バカみたい」
何だか悲しくなった。
「あ、ごめん。実態を知らない君が鵜呑みにするのも無理はないさ」
「……実態って、誰の?」
「円さ」
「えっ?」
予想だにしなかった名前だった。
「彼女は道化を演じてるが、なかなか
「どんなふうに?」
「例えば、ママの客を寝取ったり――」
それは、円から聞いた話と同じだった。一つ違うのは、相手が益美ではなく、円だと言うことだ。つまり、“死人に口なし”を利用して、円は自分がしたことを益美に
「さて、
煙草を吹かしながら話を聞いていた行弘が、
結局、山形行きは
ママと吉沢がシロだとすると、真犯人は誰だ? ……まさか、円ではあるまい。「道化を演じてるが、なかなか強かな女だ」高志の言葉が頭から離れなかった。だが、いくら強かでも、人を殺した人間があんなに平然と接客できるはずがない。円はシロだ。順子は自分の直感を信じた。
それにしても手抜かりが多かった。円のアリバイにも着目すべきだった。山形行きを無駄にしてしまった自分の思慮の浅さに、順子は再び苛立った。仮に円が真犯人なら、一杯食わされたことになる。だが、すでに事情聴取は済んでいるだろうから、完璧なアリバイがあったに違いない。円の道化に騙されるほど、そこまで警察も馬鹿ではあるまい。……やはり、円はシロだ。
自分の手落ちを
「……明日、警察に行きます」
食事を終えた高志がぽつりと言った。
「なんで?」
驚いた順子は、慌てて湯呑みを口から離した。
「これ以上、迷惑は掛けられない」
「迷惑だなんて思ってないって」
「松田さん、私も順子と同じです。迷惑だなんて思ってないです。警察が真犯人を挙げるまでここに居てください」
行弘が助け船を出した。
「いや、警察は私を追ってます。仮に他に容疑者が居たとしても、逃げた私を一番にするでしょう。そうなると、ここに漕ぎ着くのは時間の問題だ――」
「警察が来たって平気よ。そんなこと恐れてないわ」
「いや。客商売をしてるんだ、警察沙汰は得にならない」
高志の言葉には配慮があった。
「……高志」
順子は、高志の優しさを感じ、胸が詰まった。
……これ以上引き留めても無駄だろう。順子は不安という闇の中に佇みながらも、高志が無事に無罪放免で釈放されるのを祈るしか
翌朝、食事を終えた高志は一服すると腰を上げた。順子と行弘は、高志の一挙一動を黙って見守っていた。
「お世話になりました。このご恩は一生忘れません」
玄関でそう言って、高志は深々と頭を下げた。
「……気を付けてね」
順子が蚊の鳴くような声で呟いた。
「順子。俺のために動いてくれてありがとう。……ご主人といつまでも幸せにな」
高志はそう言って、眼鏡の奥から暗い目を向けた。順子は唇を強く結ぶと、ゆっくり頷いた。
「順子をよろしくお願いします」
行弘に言うと、背を向けた。
哀愁を帯びた高志の後ろ姿が、靄が立ち込める橋の向こうに消えた。思わず涙が溢れた順子は、行弘の胸に顔を埋めた。
「……松田さんの濡れ衣が晴れたら、一緒に迎えに行こうな」
行弘はそう言って、順子の頭を撫でた。
「うん」
順子は力強く頷いた。しかし、灰色の分厚いベールに覆われたままの順子の心は、モノトーンの絵の中にある底なし沼に沈んでいく想いだった。高志の胸中を察すると、我が事のように暗い気持ちになっていた。
唯一救われたのは、行弘の優しい言葉だった。高志のことを友達のように思い、親身になってくれている。優しい二人の男に出逢えたことに順子は感謝した。
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