過去からの客
紫 李鳥
第1話
新庄に住む
拝啓
春浅き山には雪を見
春深き里には菜の花を見
早春と晩春の間で
せせらぐ川が一本の帯を成しています
ご無沙汰しています
その後お変わりありませんか
私は相も変わらず安宿の主として
貧乏暇なしと言った具合です
折角の同窓会のお誘いですが
残念ながら出席できそうにありません
皆に宜しくお伝えください
取り急ぎご返事まで
お風邪など召しませぬよう
ご自愛ください
敬具
「残念だわ……」
読み終えた羽留子がぽつりと言った。
「……何、同窓会の返事か?」
「うん。……今は旅館経営すてるんだげど、彼高校卒業すて東京さ行ってがら一回すか会ってねの。それも偶然さ。あなたと出会う前だがら、……二十年になるわ。彼が結婚の報告で実家さ来でだ時さ。結婚すたごど誰にも教えねんだがら……」
羽留子は丸顔を更に膨らました。
「友達付き合いじゃなかったのか?」
「そのづもりだったわ。彼、友達も多いっけす、私もその一人だど思ってだ。……彼、無口だったんだげんと、どごどなぐ惹がれるものがあったわ……」
羽留子は当時を
「……ふうん。ま、旅館を
「そりゃそうだべげど……」
羽留子は残念そうに口を尖らせた。
「……誰書いだのがすら」
「ん?」
「女の人の字よね」
「奥さんにでも代筆してもらったんだろ」
「だって、新庄さ来だ人どは別れでるもの。三年前の手紙さ書いであったわ」
「再婚したかもしれないさ」
「……そうね。だったら知らしぇでぐれればいいげんど。冷でえんだがら」
「やけにご
「だって、手紙ぐらいぐれでもいいでねど思って。同級生だったんだがら」
後ろめたさを隠すかのように早口で言うと、高志を
「……んだげんと、綺麗な字よね。私もこのぐらい書げだらな」
便箋を持ったまま
「どれ、見せてみろ」
最後の一個を口に放ると、羽留子から便箋を受け取った。
その筆跡を見た途端、高志の中に稲妻が走った。当時の光景が連写のように、パチパチパチパチとシャッター音と共に現れた。それは決して美しい映像ばかりではなかった。
「……あなた?」
羽留子の声でハッとした。
「どうすたの?」
「……どうもしないさ。ま、無理だな。右下がりのお前の癖字は直らないだろ。この字をお手本に写経のように練習すれば、多少は
「もう、嫌味なんだがら。んだげんと、いい考えがも」
楽天家の羽留子は、すぐに気を取り直すと、炬燵の真ん中に置いたフルーツバスケットから蜜柑を一つ取った。
高志は、三つ折りにした便箋を入れながら、封筒の筆跡も確認した。
……間違いない。あいつの字だ。やはり、あいつにも癖があった。せっかちの性分同様に、楷書より行書が巧かった。自作の脚本を代筆してもらった時に、何度も目に焼き付けた筆跡だ。間違いない。高志は、当時を回顧した。――
大学を卒業して、取り敢えず就職した。だが、好きな芝居を諦めきれず、一年足らずで会社を辞め、新劇の役者になった。バイトをしながら、友人、知人にノルマのチケットを無理矢理押し付け、それでも役者を続けていた。
だが、五年経っても日の目を見ることはなく、取るに足りない脇役止まりだった。素質のなさを自覚しながらも、「好きな芝居をやれてるだけで幸せじゃないか」そんな激励で、自分を慰めていた。
あれは、六本木のスナックでキッチンのバイトをしている時だった。そこは新劇の演出家が営っている店で、役者仲間の口利きで働けた。たまに顔を見せる演出家の妻は、有名な連ドラにも出演していた中堅の俳優だった。
他にバイト感覚の若いホステスを二人置いていた。一人は十七、八のソース顔の沖縄の子。もう一人は、どこの出身かは知らないが、いつもツンと澄まして、俺とはろくに口も利かない気の強そうな十八、九の子だった。名前を
だがよりによって、その順子と関係ができたのだ。閉店時間が過ぎても帰らない客を相手にして、最終に乗り遅れたのがきっかけだった。沖縄の子が休みで、二人だけだった俺達は、始発まで近くの〈アマンド〉で時間を潰した。
ハキハキと物を言う、小生意気そうな第一印象とは違って、俺の前で
初めて順子を抱いたのは、友人の家でだった。当時の俺は、食うのに精一杯でラブホテルに行く金もなかった。二十八にもなりながら、恋愛経験の少なかった俺は、若い順子の肉体に溺れた。
間もなくして、一緒に暮らすことになった。友人宅にでも居候していたのか、それとも男の部屋から逃げてきたのか、紙袋を両手に提げた身軽な格好の、まるで野良猫みたいな順子と、洗足池の風呂もない安アパートで同棲を始めた。――
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