10話 資料




 王宮へ戻り部屋に向かっていると、お風呂掃除を終えたメイドが部屋から出てくるところだった。帰ってきたホミカに気がついて「お帰りなさいませ」と声をかけて立ち去って行った。

 今朝、他のメイドに聞いていたため、部屋からメイドが出て来たことに驚くことはなかった。しかしガルフレッドは驚いたようで、目を見開いている。そんな見たことない表情に小さく笑うと、「お風呂掃除に来てくれていたの」と言うと「そうなのか」と納得したようだった。


「自分で使用した部屋は掃除したいんだが、王宮の部屋を使った場合は掃除するとメイド達に怒られるんだよな」


 どうやら以前怒られたことがあるらしく、耳と尻尾を下げて言う。掃除はメイドの仕事なのだろう。それぞれ仕事を分担して掃除をしているため、本来綺麗にしていれば褒められるのだろうが、彼女達には掃除の仕方というものがあるのだろう。

 ホミカも朝起きてからお風呂掃除をしようと考えていた。だが、掃除に来ると言われたので何もしなかったのだ。

 部屋に入ると換気されていたようで、ノートが開かれているほかに何も変わった様子はなかった。換気をした時に風でノートが開かれたわけじゃないとしても、ホミカは気にしない。見られてまずいことは書いていない。メイド達が見ても薬師としての知識が無ければ意味がない。理解できないのだ。

 実際に、開かれたノートを見てガルフレッドは首を傾げている。薬師にとっては理解できても、知識が無ければそうなるのだ。どの分野でも同じだろう。

 買ってきた紙袋を、黒いトランクの空いたスペースにしまう。

 休憩しようと椅子に座ろうとした時、扉がノックされた。まるで帰ってきたタイミングを見ていたかのようだ。

 返事をして扉を開くと、そこにいたのはヒューバートと補佐官と騎士の3人だった。それぞれが何かを持っている。


「頼まれたものを持ってきた」

「ヒューバート陛下がわざわざお持ちになられたのですか!?」

「薬師達は忙しいからな」


 驚きから目を見開きながら言うガルフレッドにヒューバートは頷いた。どうやら、本当は薬師が来るつもりだったらしい。しかし、手が離せなということで3人に任すことにしたようだ。

 生物顕微鏡の入ったケースを手にしているヒューバートはそれをテーブルに置いた。使うであろうものはケースの中に入っており、足りなければ用意をすると言いながらケースを開いた。使用するホミカが確認すると、足りないものもなく大丈夫だと意味を込めて頷いた。


「こちらは、現在分かっていることがまとめられた資料と、病のサンプルである感染者の血液が入っているコールドケースです」


 補佐官は資料をホミカに手渡す。5枚にまとめられたそれに軽く目を通し、足元に置かれた四角い箱へと視線を向ける。重そうな音をたてて置かれた銀色の箱には血液が入っているという。

 血液は蓋つき試験管に入れられており、使用する時以外は蓋を開けてはいけないということだった。空気感染するのかは現在分かっていないため、できるだけ感染リスクを避けるためだという。

 生物顕微鏡を使い、スライドグラスに血液を乗せて確認した場合は、洗わずにコールドケースに入っている袋に入れてほしいとのことだった。

 コールドケースは名前の通り冷えており、細菌の増殖を防ぐための対策がされていた。長時間ケースを開けてはいけないという説明をされ、使う場合は必要なものを取り出してすぐ閉めれば大丈夫だろう。

 一度蓋を開けて中身を確認する。どのくらい入っているのかを確認しなければ、薬を使うことができない。


「薬の効果を確かめるには、この試験管に入なければいけないってことね?」

「そうなります。効果を確認した後はケースに戻してください。血液が足りなくなった場合はガルフレッドにでも言ってください」


 世話役であるガルフレッドに伝えれば、彼の口からヒューバートへ報告される。そして、手配されるのだ。

 感染者の血液は、病院に入院している人から採取されたものだ。そのため、数が限られてもいる。多くあるように見えて、試験管には多くの量が入っているわけではない。


(20本あれば、少しは効果がある薬を見つけられそうだけれど……)


 しかし、それはやってみなくては分からない。血液は病院からの提供だが、資料と生物顕微鏡は製薬所で働いている薬師からの提供だった。資料は医師と薬師が協力してまとめたもの。

 それに軽く目を通しながら、2人を連れて立ち去ろうとするヒューバートに声をかけた。あとでガルフレッドが伝えても構わないのだが、今直接会っているのだからホミカが話した方がいい。


「製薬所内を見学したいのですが、可能でしょうか?」

「何故見学を?」


 素直に疑問に思ったのだろう。病の原因を探しながら、普段通りに薬を作っている薬師の邪魔になるかもしれないからできれば見学はしないでほしいと思ったのかもしれない。

 できれば断らないでほしいとホミカは思った。薬を作っている過程を見てみたい、作業場はどのようになっているのか、どんな道具を使っているのか、など見てみたかったのだ。

 王都の薬師達が使っている道具。それは、自分が使っているものと違うのか、同じなのか。

 そして、この病の原因はそこにはないのかを確認したかったのだ。


「どのような道具を使っているのか、どうやって薬を作っているのかが知りたいのです。それに、まだ資料を読んではいませんが、病の原因が製薬所にある可能性だってあるんです」

「どういうことだ?」


 その言い方は、何を言っているのだと責めているようにも聞こえた。この国の薬師が、病をばらまくはずがないと言いたいのだろう。

 しかし、薬師であるホミカには分かっていた。薬を作っている過程で、病の原因となる菌をばらまいてしまう可能性があるということを。

 だからこそ、製薬所を確認したかったのだ。

 薬師は、『薬草から薬を作る魔法』を使うことができる。この魔法は使える人が少ない。素質がある人しか使えない魔法のため、薬師が少ないという状況が変わらない。

 この魔法を使った時に、菌をばらまいてしまうことがあるのだ。それでも、ばらまかない方法がある。それは、換気のために窓を開けないこと。風によって外に菌が流れてしまうからだ。

 もしもそのような状況になった場合、魔法を使うことを止めて何もせずにいるのが一番なのだ。下手に手を加えると状況が悪化してしまうからだ。


「この街の人が病にかかるようになってから時間が経っています。無いとは思いたいですが、製薬所で何かミスがあったとしたら……。働いている人は気がつかないような些細なことかもしれない。他から来た薬師が今まで中へ入ったことは?」

「ない。新薬も開発しているため、情報の流出を防ぐために関係者以外は立ち入らせてはいない」

「意図してばらまいているとしたら、彼らが内部告発をしない限り原因不明のままということになりますね」


 ホミカだって、薬師である人がそんなことをしているとは思っていない。気づかずに菌をばらまいている可能性はありそうである。

 そう考えると、外部の人が確認する必要がある。それも、知識のある薬師が。


「現在私は、病を治すための薬を作るために来ています。原因があるかもしれない場所には行く必要があります」

「……すぐに行くことはできないが、構わないか?」

「ええ、その間に他の場所を調べたりしますから大丈夫です」

「分かった。それならば、見学という名目で製薬所へ立ち入ることを許可しよう。だが、もう1人からの許可も必要だ」


 それは、ガルフレッドが言っていた騎士からの許可だろう。彼は現在別の街にいる。だからすぐに行くことはできないのだ。その人物からの許可が下りるまで待つ必要がある。


「聞いています」

「彼が戻ってきたらすぐに許可をもらおう。ただし、見学したいということだけを伝える」


 そうしなければ、新薬の情報をとられると考えて、許可が下りないかもしれないのだろう。働いている薬師に警戒をされることもない。

 見学という名目で製薬所を調べられるのだ。それに、実際ホミカは普通に見学もしたかった。見学もできて、病の原因があるのかも調べることができる。一石二鳥で喜ばしいことだった。


「あまり無理はせぬようにな」

「心遣いありがとうございます」


 退室するヒューバートに頭を下げる。補佐官と騎士も部屋から出て行くと、ゆっくりと息を吐いた。

 正直、病の原因が製薬所にあるとは思いたくはなかった。しかし、王都内を歩いて一番可能性があるのは製薬所だ。次は病院だろう。そこから菌が漏れたという可能性も否定はできない。それらでもない場合は、動物がもたらした伝染病。もしくは、魔物が原因かもしれない。

 魔物が関わってくると、ホミカにもどうすることもできないかもしれない。原因となる魔物を倒せば病が消える可能性もあるからだ。

 椅子に座り、手に持ったままの資料へと視線を向けた。思っていたよりも早く用意されたそれに、少しでも原因が分かることが記載されていればいいと思うが、記載されていないだろう。現在も薬が作られていないのだから、記載されているとは思えない。


「少し忙しくなりそうね」


 微笑みながら言うホミカの口元には笑みが浮かんでいた。薬を作って、助けることができるかもしれないと思うと嬉しくて仕方がなかったのだ。


「何か飲み物を持ってこよう」

「ありがとう」


 資料を読みはじめたホミカに、これから集中するのだろうと考えたガルフレッドが声をかけて部屋を出た。ホミカは礼を言ってそのまま集中する。

 思っていたよりも早く資料が届けられたので、すぐにでも読みたかったのだ。しかし、読むことを邪魔するようにレニーがテーブルに上がった。

 腕を跨いで、資料の前にゆっくり歩み寄る。まるで邪魔するようにそこで座ってしまった。


「レニー?」

「ガルフレッドが飲み物を取りに行ったのよ? 持って来てもここに置けるのかしら?」


 その言葉にテーブルへと視線を向ける。そこには、生物顕微鏡が入ったケースが置かれている。他に何かを置くスペースがほとんどなかった。

 飲み物を持ってくる前に、別の場所に移動させなくてはいけない。資料をテーブルに置いてケースを手に取ると、窓際の机の上に置く。

 資料は読みたいため、ガルフレッドが来たら机の上に置けばいいだろうと考えてそのまま椅子に座る。テーブルに置いた資料を手に取り、内容を読んでいく。

 最初に症状が表れたのは、約ひと月前。咳や体の痛みが出るというものだった。咳は薬で症状を抑えることはできるが、体の痛みは薬で抑えることはできなかった。発熱もなく、当初はただの風邪だろうと誰もが思っていたようだ。

 しかし、それから14日後には同じような症状の人が20人現れた。それと同時に最初に症状が表れた人に、見て分かる症状が表れた。

 場所は人によって違ったが、体の一部が赤くなったのだ。斑点模様のそれは、体の痛みがなかった人にも痛みを齎した。

 薬で治らないのならと、お金のある人は病院へ向かって魔法治療を受けることになった。しかし、治療を受けても治ることはなかった。

 そこでおかしいという話しになり、ヒューバートの耳に入ったのだ。薬師と魔法治療師を会わせ、話し合いをさせた。そして協力して原因を探ることになった。

 感染者を探して、全員を入院させた。原因が分からないため、治療費は国が持つことになった。入院させても感染者は増えていく。家族や関係ない人。空気感染するのかも現在分かっていない。感染者のことを知らない人でもかかっているため、立ち寄った場所を聞くこともした。離れた別の場所にいた人も感染していることから、外からやって来た菌ではないかということになったようだ。それでも原因は分からない。

 血液を採取し、薬を使って菌がなくなるのかを調べても減ることがない。初期症状であれば、痛み止めの薬で菌の数は減った。だから、痛み止めの薬は効いたのだ。ただ、全ての菌がいなくなるというわけではなかった。

 痛み止めにも種類があり、全て効果はあったのだが菌の減る数が違うと記載されていた。


「菌が全てなくなる薬を作らなきゃいけないってことよね」


 ただ、この資料に記載されている薬をもう一度使ってみる必要がある。これは、一度薬を使った効果しか記載されていない。薬は何度も使うもの。だから、一度使って菌が残ったとしても、二度も三度も使えば菌はなくなるかもしれない。

 一度使ったスライドグラスは使えないため、今の数では足りないだろう。戻って来るガルフレッドに、多めに用意してもらうように伝えようと考えて資料を読み続ける。


「持ってきたぞ」


 それから暫くすると、扉がノックされてすぐにガルフレッドが部屋に入って来た。いつものようにバスケットを持っている。

 テーブルに資料を置いていたら邪魔になるだろうと判断して、資料は机に置くことにして椅子から立ち上った。その間にガルフレッドはテーブルを拭いて紅茶の準備をする。

 だが、それだけではなかった。今回はクッキーも持ってきたようだ。


「コックが頭を使うなら糖分をとれと言っていた」

「可愛いクッキーね」


 皿に乗せられたクッキーは全て動物クッキーだった。食べるのがもったいないと思ってしまうそれに、椅子に座ると一口食べる。

 口に広がる仄かなココアの香り。それぞれクッキーの色が違うことから、どうやら味も違うようだ。


「美味しい」


 同じようにクッキーを食べたガルフレッドも大きく頷いた。尻尾は嬉しそうに揺れている。コックが作ったクッキーに、ガルフレッドがいれた紅茶がよく合う。

 ホミカは、クッキーを食べながら資料の内容を思い出していた。

 病にかかった人は14日後には症状が悪化していた。さらにそれから時間が経っている現在、最初に病にかかった人はどうなっているのか。

 そう考えると、美味しいと思ったクッキーの味がしなくなった気がした。

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