1話 出会い






 ホミカ・ベルリア。それが『魔女』と呼ばれる彼女の名前。

 朝食は毎日、母親と一緒にとることが彼女の日課だ。それからホミカの営む薬屋へと向かう。

 開店は10時から。しかし、開店準備や薬の確認などをするために最低でも9時には店に到着していなくてはいけない。

 今ではホミカにも弟子と呼べる薬師見習いがいる。店の2階に住んでいる彼女の名前は、ネスティ・タトライト。開店準備を先にしているのだが、ネスティがいなかった時期が長いため、ホミカは自分でも掃除をしないと気が済まないのだ。それでも、以前より掃除に時間を使うことは減っていた。

 保管庫の棚や研究室の道具を掃除するのはホミカの役目。ネスティのお陰で店内の掃除はほとんど任せられるようになっていた。

 薬師見習いとして店の2階に住みながら、多くのことを学んでいるネスティは、自ら掃除を請け負った。2階に住んでいるのだから店の掃除をするのは当たり前と一度言った彼女は、その日から欠かさず掃除をしてくれている。しかし、部屋の隅にあるホコリに気がつかないことがある。現在ホミカがする店の掃除は部屋の隅ばかり。

 最近では薬を作る腕も上達しており、ネスティの薬も店に出すようになっている。

 常連客にネスティが作った薬だと話し、格安で購入してもらい薬の効果を確かめてもらうこともある。ホミカが自分で試すことができればいいのだが、風邪を引かなければ効果が分からないものだったり、腰に痛みがないと効果が分からないものばかりで試すことはできない。だから、常連客に頼むのだ。決して無理に押しつけず、自ら試してみたいという人にだけ渡す。早くて翌日には効果を聞くことができるため、ネスティの薬の出来がどれほどのものなのかを早く知ることもできるのだ。

 最初の頃は効果が薄かったけれど、今ではネスティの腕もかなり上達しているようで、ホミカが作った薬ほどではないけれどよく効くという話しを聞くようになってきた。


「私がお店を少し留守にしても、ネスティに任せられるわね」


 店へ向かう準備をしながら呟き、遠からず来るであろう出来事を思いながら、少し安心したように笑みを浮かべた。周りには誰もいないが、もしも誰かが見たら笑みを浮かべるホミカを不思議がるだろう。

 前日に購入した薬草や財布、薬の入ったハートの形をしたオイルボトルなどをカバンに入れる。最後に薬の作り方を細かく書いているノートを入れて、忘れ物がないことを確認した。カバンを持ち部屋から出ると階段を下りる。そしてリビングへと向かう。

 キッチンから朝食を運ぶ母親と視線が合うと、笑顔で声をかけられた。


「今日も7時頃に帰って来るの?」

「私も閉店したら掃除をするから、少しすぎるかな。そういえば、今日の晩御飯って何?」


 尋ねながらテーブルの足元にカバンを置いて、朝食を運ぶのを手伝う。量が少ないためすぐに運び終わり、2人はそれぞれ椅子に座る。


「今から朝御飯を食べるのに、もう晩御飯? そうね……今日はカレーかな」

「カレー」


 その言葉を聞いてホミカは、テーブルに置かれたサラダの乗る皿を見つめて黙った。黙ってしまったホミカを心配するように母親が「どうかしたの?」と尋ねてきたが、彼女はなんでもないと言うように首を横に振り朝食を食べ始めた。

 彼女は、思い出しただけだった。今日が母親と会える最後の日だということを。そして、どうやって母親の死を回避しようかとサラダを食べながら考えていた。

 記憶の中の母親は、晩御飯の買い物に出かけて坂から下って来た無人の馬車に撥ねられたのだ。


(もしかすると、買い物に行かなければ回避することは可能なのかもしれない)


 黙々と朝食を食べ続けたホミカはそう考えた。そして、朝食を食べ終わると食器を下げた。テーブルに戻ってくると、置いていたカバンを手にした。


「今日って買い物に行く?」

「そうね……ニンジンとジャガイモを買いに行くわね」

「それなら、お昼に配達をしてもらうように頼みに行くから、お母さんは今日は家にいなよ。お昼もお店閉められないでしょう?」


 その言葉に少し考えたようだったけれど、母親は「そうね、頼もうかしら」と笑顔で言った。その言葉にホミカは安心したように息を吐いた。もしも自分で買いに行くと言ったら、回避することはできないかもしれないからだ。母親の営む花屋には多くの客が訪れる。珍しい花を置いていることもあり、遠方から訪れる人も多い。そのため、長く店を開けることはできない。


「それじゃあ、行ってくるね」

「気をつけてね」


 手を振る母親に手を振り返して、玄関へと向かった。靴を履いて扉を開き、家から出たけれどすぐに振り返った。


(大丈夫だよね?)


 母親を買い物に行かせないだけで、本当に未来が変わるのか不安だったのだ。もしかすると、同じ運命をたどってしまう可能性だってある。任せてくれはしたけれど、他に買う予定のものができて買い物に行く可能性がだってあるかもしれない。

 けれど、回避できるであろう選択はこれだけしかないのだ。

 大丈夫だと信じてホミカは店へと向かって歩き出した。これ以上考えていてもどうすることもできないのだから、回避できたと信じるしかなかった。

 仕事を終わらせて帰ってくれば、回避できたのかが分かる。それまでどうすることもできない。

 自宅から薬屋までは10分の距離だ。住宅地を抜けて坂を下ると、そこは商店街。母親もよくこの商店街で買い物をしている。そして、未来が変わらなければここで事故に巻き込まれてしまう。

 事故を思い出したくなくて、ホミカは足早に商店街を通り抜けた。店の開店準備をしている人が数人いる。目が合えば挨拶をして、立ち止まらずに早足で商店街を抜けていく。

 そして見えてくるのは噴水。そこは噴水広場と呼ばれており、スエルトの中心に存在している。

 噴水の周りにベンチが設置されており、休憩することもできる。木も植えてあるため、木陰で涼むことができる。

 昼間は子供連れの親子が噴水で遊んでいたり、休憩していることもある。しかしこの広場の近くには、1つだけ変わった場所があった。それは、噴水広場の正面にある建物だった。

 白く綺麗な建物だが、まるで誰も住んでいないかのように静かなのだ。常に窓にはカーテンが閉められていて、誰も開いているのを見たことがないのだ。

 その建物は3年前に建てられた。街へやって来る魔物を退治するため、王都からの騎士が常駐するための騎士寮だったのだ。しかし、騎士はやって来なかった。騎士寮の裏には馬小屋もあり、誰もが騎士が来るのを喜んだ。

 それなのに、未だに騎士はやって来ない。それどころか、時々やって来る魔物はこの街の男性が大勢で倒している。強い魔物ではないと言っても、一般人のため怪我をしてしまう。彼らの手当てをするため、ホミカは無償で薬を提供する。それを見ると、早く騎士が来てほしいと願わずにはいられないのだ。

 なるべく騎士寮を見ないように視線を逸らすと、ホミカは足を止めた。刺すような視線を感じたのだ。視線を感じる方向へと体を向けると、そこにあるのは騎士寮。

 しかし、人がいるはずはない。何故視線を感じるのかと、ホミカはゆっくりと建物に近づいた。そして、扉の前に1匹の黒猫がいることに気がついた。

 黒猫は黙ってホミカを見つめている。その左目はサファイアのように青い色をしていた。しかし、問題は右目だった。ルビーのような赤い目。その色は悪魔以外持っていない色。

 だが、片目だけが赤い悪魔は本にも記載されていない。もしかすると突然変異で赤くなってしまっただけという可能性もあるのだが、視線は猫のものだ。


「貴方が、視線の正体ね。貴方は何者? ただの猫じゃ、ないわよね?」

「私はレニー。お主の過去を知る者」

「私の過去?」

「助けたいのだろう? この街の者達を」


 人の言葉を話す黒猫に驚きはしたが、レニーの言葉の方がホミカにとっては驚きだった。レニーはこれから何が起こるのかを知っているようだった。

 何も言わないホミカにレニーは笑みを浮かべた。


「お主のことはよく知っている。未来を変えなくては処刑されてしまうということもね」

「私は貴方を知らないけれど、以前の私……死ぬ前の私に会ったことがあるってこと?」


 まるで以前のホミカを見たような口ぶりのレニーに、「私には、知らない記憶があるの?」と驚きながら呟いた。その呟きには何も答えてはくれないが、レニーは目を閉じて口を開いた。


「会ったことがあるどころか、契約をしたからね」

「契約……。やっぱり、普通の猫じゃないのね。貴方は、悪魔ね」


 話してもいないホミカの未来を話したレニー。記憶にはないレニーとの出会い。

 もしかすると、会ったことがあるという言葉は嘘かもしれない。相手は悪魔だ。ホミカの記憶を覗き見て言っただけかもしれない。けれど、ホミカはレニーの言葉を信じてみるのもいいかもしれないと思ったようだ。レニーと一緒にいることによって、何かが変わるかもしれないのだ。ホミカの記憶にないことをやれば、未来が変わるかもしれない。


「契約をしたってことは、レニーは私の近くにいるってこと?」

「……お主が望むなら」

「それじゃあ、お願いしようかな。それに、貴方は私が知らないことも知っていそうだし」


 今のホミカが契約したわけではないけれど、その契約はまだ解除されていないのかという意味を込めて尋ねるとレニーはそう答えた。

 その言葉に契約は解除されていないのだと思ったホミカは笑みをこぼした。何かあった時に助言を貰えるかもしれないと思い言った言葉に、レニーは猫の姿で苦虫を噛み潰したような顔をした。

 猫らしからぬ顔をするレニーの頭を撫でると、ホミカは店へ向かって歩き出した。するとレニーは何も言わずに後ろをついてくる。近くにいることを望んだからだろう。


「私は、レニーとどうやって契約をしたの?」

「その内話すわよ」


 今は話したくないのだと、声を聞けば分かる。だからホミカはそれ以上何も聞くことはなかった。いつか話してくれるだろう、その時を待てばいいのだ。

 ただ、この様子だとレニーは自宅までついてくるだろう。そうなれば、母親に猫を飼うということを伝えなくてはいけない。今まで動物を飼ったことがないため、何を言われるのか予想することもできない。けれど、元の場所に戻しなさいと言われることはないだろう。


(そう言えば、『レニー』って名前見たことある)


 同じ名前の人はいるだろうけれど、昔読んだ本に同じ名前があったことを思い出した。その本は未だに自宅に置いてある。


(帰ったら確認してみよう)


 時々レニーがついて来ているかを確認しながら、見えてきた店へ足早に歩き出した。



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