第3話

 翌朝俺は、母親の目を盗んで買い置きのお菓子と飲み物のペットボトルを押入れの高木愛里に運んだ。まるで部屋に捨て猫でも匿っているような気分だった。


「じゃあ、行ってくるね」

「うん、どんな騒ぎになってるか楽しんできて」


 家を出る俺を、高木はにこやかに送り出してくれた。

 俺が学校に行き、両親が仕事へと出掛けてい隙に、高木はこの家を出る。

 だから高木とこの部屋で過ごすのは今朝が最後となるはずだったのだが……帰宅した俺が見たのは、俺のベッドの上で漫画を読みふける高木の姿だった。


「高木、どうして……」

「あぁ、尊君。おかえり」


 けろりとした顔でくつろぐ高木に拍子抜けするとともに、安堵した自分に驚いた。どうやら心の中では、俺は高木愛里がそのまま部屋に残っていてくれる事を望んでいたらしい。

 ただ一つ変わっていたのは、高木が制服姿に戻っている事だった。俺が貸していたTシャツとハーフパンツは、丁寧に畳まれて机の上に置かれていた。


「ごめんね。みんないなくなった後、テレビ見させてもらったの。想像してたより大ごとになってるんだね」


 高木愛里の両親は今朝の時点で警察に捜索願を提出し、地元のテレビ局にもお昼のニュースで取り上げられていた。

 昨日朝、学校に行くと家を出たはずの中学3年生の女子中学生がそのまま行方不明になっている事がわかりました。生徒とはその後連絡が取れず、どこかに立ち寄った形跡などもないことから、何者かに連れ去られた可能性もあるとして警察は付近の住人などに聞き取り調査を進めています。

 まるでどこか遠い場所の出来事を報じているように現実味に欠ける映像だったが、泣きながら娘の無事を祈る愛里の母親と、それを支える父親が映し出された事で、一気に身近なものとなった。


「そろそろ帰ってあげたらどう? 親ももうわかったんじゃない?」

「……うん」


 高木はあいまいに頷いた。

 学校では高木の両親からの確定情報として、高木が失踪した原因と思われる事情が飛び交っていた。

 高木はこの二学期の末で、引っ越すのだという。

 卒業まであと僅か三ヶ月を残して慣れした親しんだ友人達と離れなければならないというのだ。


「これ以上、尊君のご両親に隠しごともできないか」

「それより高木の両親だろ。もう十分伝わったはずだよ。引っ越しの事だって色々考えなおしてくれてるみたいだし。早く戻ってやりなよ」


 俺が言うと、高木は寂しそうに目を伏せた。長いまつ毛が、儚げに震えていた。


「……尊君も、引っ越しが嫌で私が家出したと思ってるんだね」

「え?」

「言っておくけど、引っ越しは確定事項だよ。お父さんの仕事の都合だし、仕方ないと思ってる。だから私、別に引っ越しが嫌だなんてひと言も言ってない」

「じゃあ、どうして……」

「家出が目的じゃなかった、って言えばわかってくれる?」


 狐に摘ままれたような顔の俺に、高木は得意げに笑った。


「引っ越しまでの残された時間を、できるだけ無駄にしたくなかった。そう考えたら居ても立ってもいられなかったの。家にいる時間も勿体なかった。だってそうでしょう? 私はまだずっと隠してきた想いも伝えてないし、二人きりで過ごした事だってほとんどない。だから、無理やりその人の家に押し掛ける事にした。最後に想い出を作っておきたかったの」

「それって……」


 彼女の言わんとする意味に気づき、開きかけた俺の口に、彼女は「しー」と人差し指を突き付けた。


「内緒だよ。隠しごとが上手な尊君には、私がずっと内緒にしてきた隠しごとの答えも教えてあげない。じゃあね。たった一日だったけど、とっても楽しかった。さようなら」


 高木愛里はそう言い残し、風のように俺の前から去って行った。



   ※     ※     ※



 その日の夕方、高木愛里は市内をうろついている所を警察によって無事保護された。彼女は学校近くの橋の下で一夜を明かしたと話し、事件性は皆無と判明して以降はなんの続報が出る事もなく、自然消滅するようにして失踪事件は幕を閉じた。

 その後二学期が終了するまでの数日間、彼女はこれまで通り登校し、修了式の日には沢山の友人達に見送られ、旅立って行った。学校とクラスメイトは彼女のために特別に仮の卒業証書を作り、一緒に卒業を迎えられない事を悲しみ、慰め合った。


 噂によると、高木愛里の引っ越し先は海外だったらしい。英語もしゃべれず、身寄りもいない父親を一人で送り出すのは可哀そうだと、家族全員で行く事を決めていたのだ。家出騒ぎを巻き起こしたとはとても思えない、仲睦まじい家族じゃないか。

 結局俺の部屋に高木愛里がいたという事実は、俺と彼女だけが知る隠しごととなった。ただし、隠しごとはそれだけじゃない。


 彼女が一晩を過ごした俺の部屋の押入れの下の段は、今でもぽっかり空いたままになっている。俺は時々彼女を思い出し、彼女と同じようにそこに入ってぼーっとしてみる。

 仰向けになって見上げれば、上の段とを仕切る板の裏側に一枚の紙が画びょうで留められているのが目に入る。そこには高木愛里の丹精な文字で、こう書かれていた。


〈また来るね〉


 だから俺はこの場所を空けたまま、いつの日か彼女がやってくるのをずっと待っている。再会の約束は、俺と彼女だけが知る二人だけの隠しごとだ。俺の事を「隠しごとが上手」と評した高木愛里は、どうやら誰よりも隠しごとが大好きらしい。

 そんな彼女の事だから、数年が過ぎたある雨の日、自販機の隣に、あの日と同じようにずぶ濡れになった女性の姿を見つけた時も、驚きは少なかった。


「しばらく尊君の家に置いてくれる?」


 俺は頷いて、彼女を家へと連れ帰った。今度はすぐに両親にも打ち明けよう。

 きっと今度こそ、彼女の答えが聞けそうな気がした。

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失踪した同級生の女の子が俺の部屋の押入れにいる件 柳成人(やなぎなるひと) @yanaginaruhito

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