二夜目

 


 これは何だと思った。


 今、目の前で繰り広げられてる醜い世界は一体何なのか。


「血を吐いて死にゆく様が本当に醜くてね。笑いが止まらなかったよ!」

「まあ……私も見たかったですわ」


 ゲラゲラと下卑た声で笑うのはリルドラン。かつて私の婚約者だった男だ。


 対して、その男と褥で裸になり抱きしめ合っているのは──


「駄目だよシンディ。あんなの見たら目が腐ってしまう!キミの美しい瞳にあんなものは映しちゃいけない」

「まあ、リルドランったら。……愛してるわ」

「愛してるよシンディ」


 男爵家が娘、シンディ。


 つい先程まで激しく抱き合っていた二人は、今私の死に際の話を肴に、長い長い口付けを交わしていた。


 つまり、この女の為にリルドランは私を裏切り、殺害したと──


 ギリリと噛み締めた唇は痛みを感じない。


 力いっぱい握り締めた掌も痛むことはない。


 宙に浮いて屑どもを見下ろす私の顔に血の気は無い。


 ──そんな私を気にする者は……見てる者は何処にも居ない。


 私は霊となった。

 毒殺され、私は怨念の塊の霊となっていた。


 あの日──リルドランに毒殺された後の事を思い出す。


 最初は現実が飲み込めなかった。

 けれど目の前で繰り広げられる自身の葬儀に現実を理解するしか無かった。


 歯を食いしばり、必死で涙をこらえる父。その拳からは血が滲み出ていた。


 泣き叫ぶ母。美しかったその顔は、悲壮と絶望で一気に老け込んでしまった。


 そんな母の背をさすりながら、静かに涙を流す兄。


 私の死を理解出来ず、亡骸に話しかける幼い妹。


 家族の愛を痛感し、自身の葬儀を信じられないものを見るような目で……私は呆然と彼等を見つめることしか出来なかったのだ。


 父を抱きしめたくても、私の手は父の体を通り抜けてしまう。


 母に泣かないでと言いたくても、声を届ける事は出来ない。


 ごめんなさい兄様。

 元気でね、愛しい妹よ。


 もう、何も出来ない。何も伝えられない。


 私は死んでしまったのだから。


 そんな中、一際大きな声で私の名を叫びながら呼ぶ者が居た。

 大声で泣き叫ぶ者が、居た。


「ジュリア、ジュリア!どうして……どうしてなんだ!」


 リルドラン──


 あいつの姿を認めた瞬間、私の体は一瞬にして移動し、首を絞めた!──否、絞めようとした。


 けれど出来なかったのだ。やはり体が通り抜けて、触れる事は叶わなかったのだ!


 憎い憎い憎い!

 憎らしい、呪わしい、恨めしい!

 許さない、絶対許さない、許せない!!!


 呪ってやる不幸にしてやる──殺してやる!


 その日、私は成仏すること無く怨霊となったのだ。


 そうして私の葬儀から数日もすれば、リルドランは悲しみの演技を止めて堂々と女と逢瀬を繰り返すのだった。


 会うたびに口付けを交わし、体を重ねる。


 会うたびに愛の言葉を囁き──私を嘲る言葉を交わす。


 それを見るたびに私の憎悪は大きくなった。


 なのに……ああ、なのに!


 なぜ何も出来ないのか!霊ならば、霊障の一つでも出来れば良いものを!


 なぜ私は無力なのか……


 未だ眼下で繰り広げられる痴態に唇を噛み締め、血眼の目で睨みつける。が、それはけして奴らには届かない。


 私の怨念は届かない!


 一体どうしたらよいのか──


 私はそれをひたすら模索する。


 成仏などどうでも良かった。輪廻の輪から外れることなど気にしなかった。地獄に落ちることなど全くの苦では無い。


 ただただ復讐したかった。

 糞な連中を地獄のどんぞこへ落としてやりたい!


 だから、だからどうか神様──いいえ、悪魔でもいい。


 どうか私に力を!




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