星降る夜に

柳成人(やなぎなるひと)

第1話

 〈スターウォッチング〉というイベントに父に連れて行かれたのは、中学二年生の十二月のことだった。

 同じ県内にある『月の村天文台』で毎年開催されるイベントで、毎年十二月五日頃から十二月二十日頃にかけて出現するふたご座流星群を観察するというイベントだった。

 父は自前で望遠鏡を持つほど天体観測を趣味にしていて、時々こういったイベントがあると一人で参加していたのだけれど、その年は半ば強制的に僕も連れて行かれる事になった。


 僕は当時、不登校児だった。


 中学二年に上がり、新人戦が終わって先輩たちが引退するというタイミングで部活内でいざこざが起こり、あおりを食う形で僕は学校に行けなくなってしまった。それだと出席日数の関係で高校にも行けなくなるからと諭され、なんとか保健室登校を始めたぐらいの頃だったと思う。

 すぐ帰ってもいい。教室には行かなくてもいい。それでも登校だけはして欲しい。

 何度言われても、そこに僕の気持ちや僕の都合は関係ないように感じられて、言われれば言われるほど心が冷めていったのを覚えている。

 そんな風に僕は毎日をほぼ家の中で過ごすような生活を送っていたから、気分転換にと父が誘ってくれたのだ。当時の僕は天体観測になんて全く興味はなかったけれど、半ば父を憐れむような気持ちで頷いた。


 少し標高の高いところにある『月の村天文台』には驚くほどたくさんの車が来ていて、〈スターウォッチング〉の会場は持ち寄ったブルーシートで一面覆いつくされていた。参加者の多くはそこであおむけに寝転がって、流星群を見るのだ。

 隣の広場にはまるでバズーカ砲のような巨大な望遠鏡が幾つも空に向けて並べられていた。天体観測というよりは、襲来する宇宙人を撃退しようとしているみたいでわくわくした。


 かくいう僕の父もまたバズーカ砲の砲手の一人で、嬉々として望遠鏡を設置すると、顔見知りと思しき人々と楽しく談笑を始めた。

 本格的に流星群が見え始めるのは夜も八時を過ぎてから。〈スターウォッチング〉の会場には地元の商工会が設けた飲食部ブースもあり、特設ステージでは著名人を招いての講演会やトークイベントが開催されていた。しかし著名人といっても天体観測の世界での話だから、僕が見ても面白いものではなかった。


 陽が沈み、どんどん寒さが厳しくなる。みんなダウンジャケットの上から毛布やブランケットを羽織り、白い息を吐きながら空がもっともっと暗くなるのを待った。

 天文台の入り口のところには焚火が燃えていたけれど、星の鑑賞の邪魔になるからと個々が勝手に火を焚くことは出来なかった。六時ぐらいに持参したカップラーメンを食べた後は、ただただ寒さに震えながらひたすらに待つばかりだった。父は知人と楽しそうに話していたけれど、僕はどうして自分がここにいるのか、なぜ行くなんて言ってしまったのか後悔しかなかった。


 彼女を見つけたのは、あんまりにも手持無沙汰だからと天文台の自販機で缶ジュースでも買って来ようと出掛けた時だった。観察の邪魔にならないようにとほとんどの照明を落とされ、ゆらゆらと焚き火の赤い炎に照らされたほの暗い天文台入り口の段差に、彼女はブランケットにくるまって丸まるようにして座っていた。おじさんしかいない中で、女性でしかも若い彼女は目を惹いた。

 彼女もまた一人で暇を持て余していたのだろう。自分とほぼ同年代の僕を見つけて、驚いたように大きく目を見開いた。


「こんばんは」


 声を掛けてきたのは彼女の方からだった。


「あなたも星を見に来たの?」

「ええと……うん、まぁ」


 彼女の質問があまりにも的外れで、加えて両親や先生以外から話しかけられるなんて久しぶりだったこともあり、つい口が重くなる。我ながらはっきりしない返答に、彼女はくすくすと笑った。

 僕の反応を見て、どうやらそうではないと悟ったらしい。


「なんだ。星が好きなのかと思った。残念」

「……は星を見に来たの?」


 あなた、ともきみ、とも言えず、名前も知らない相手をどう呼んだら良いかわからなくて、僕はもごもごとぼかして聞いた。


「そう。ふたご座流星群が見れるって聞いて、お父さんに連れてきて貰ったの。でも、知らない人ばかりで」

「お父さんは?」

「多分あっちの方で誰かと喋ってる」

「同じだ」


 似たものを感じて、僕たちは微笑み合った。

 そのまま僕たちが二人で話し込んだのは、自然な成り行きだっただろう。何しろあの時あの場所には、大人以外の中学生は僕たちしかいなかったのだから。

 彼女は遥、と名乗った。僕より一つ上の中学三年生だった。慌てて敬語に直そうとする僕に「気にしないで」というぐらいには、彼女の方が少しだけ大人だった。

 遥のお父さんも天体観測が好きで、彼女自身も星に興味があるのだという。最もそれも最近の話で、少し前までは一旦喋り出すと止まらなくなる父親の星空談義には辟易していたのだそうだ。


「じゃあ、どうして今になって」

「もうすぐ受験だから。進路決めなくちゃならなくなって、やりたい事って何かあるかなぁって考えたら、やっぱり星が好きかもって思ったの」


 だから星について学べる大学を目指すために、進学校を受験するのだという。


「受験ってことは、もうすぐ試験じゃん。こんなことしてて大丈夫なの?」

「だから息抜きも兼ねて来たんでしょう。流星群の観察なら勉強も兼ねてるし。面接の時にも行ってきたって言えるじゃない」


 そう言って笑う遥は、余裕そうに見えた。きっと頭の良い子なのだろう。

 不思議なことに、当時学校では誰とも話すことができなかった僕は、こうして初めて会った彼女とは普通に会話ができるのだった。これは僕にとっても発見だった。

 もう学校の同級生なんて見たくもないし、彼らと口を利くなんて考えるだけでうんざりで、そして実際に向き合ったとしても何も言葉は出てこないはずなのに。

 そうしているうちに、レジャーシートが並べられたイベント会場で、大人たちのさざめくような声が聞こえてきた。


「そろそろ時間かも」


 彼女に促されるように立ち上がり、会場へと戻ろうとする。

 焚火から離れるにつれて、闇がより深くなっているのを感じた。時間が遅くなり、麓の町からの明かりがどんどん消えていくのだろう。夜空はより暗く、黒く闇を深めていた。

 反比例するように、沢山の星が姿を現す。焚火の明かりに照らされていた目が、闇に慣れれば慣れる程、闇の奥から浮かび上がるように小さな星々がどんどんどんどん溢れ出してきた。


「あっ」


 誰かの小さな悲鳴が聞こえ、人々がどこかを指差す。また別のところでも声が上がり、空に向けられた手が違う方向を示す。


「ねえ、見た?」

「うん。今、こっちにも」


 興奮した声で呼びかける遥に応え、僕も今見た星の軌跡を指し示す。

 星が、降っていた。

 初めて見る流れ星が、一つ、また一つと、視界の隅でチカチカと輝き、燃えるように消えていく。


「ふたご座流星群だ……」


 呟くように言い、うっとりとした表情で夜空を見上げる遥に、僕の胸はぐっと押されたような痛みを感じた。

 そのまま僕は、次々と星が降る夜空と遥の横顔をいつまでも見つめていた。

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