第三話 魔獣から村を救ったロイン
ライラ達はそれから数週間かけて馬で来た道を戻り、国境を抜けると、森の中にぽつんとある小さな村を目指していた。ロインの所属する冒険家組合づてに、そこの村が最近魔獣の被害に悩まされていると聞いたからだ。
「確認されているのは魔狼の群れらしい。今は一、二頭が時折村に入り込む程度だが、どうやら少し離れた場所に三十頭近い大きな群れがいるそうだ。村を襲う前に、潰すぞ」
ロインが真面目な顔で淡々と話す。そうしていればかなりきちんとして見えるのに、どうして時々どうしようもなくアホになってしまうのだろうか。
「お前、勉強は結構できるのにな……」
「ん?」
「いいや」
ため息をつくと、ロッドが小さな声で「ライラ……でもロインは、僕と違っていいやつだから」と言った。
「いや、善良さで言えばお前もそんなに変わんないだろ」
「えっ……いや、僕はどうしたって闇の側の人間だからね」
「あ? 根暗ってことか? はは、それは確かにそうかもな」
「ね、根暗……」
クスクス笑っていると、なぜかロッドが俯いて悲しそうになってしまった。何か間違えたらしい。
「あ、違ったか? ごめん、でもお前のちょっと陰気だけど優しいとこ、嫌いじゃないぜ」
「そ、そう……?」
今度は俯いたまま真っ赤になった。もう二週間は一緒に旅をしているというのに、まだライラに対して人見知りが治らないらしい。大人しいロッドが少々粗野なライラを苦手に思うのはわからないでもないが、いい加減慣れてほしい。
「……あたしってそんなに乱暴かな?」
「え? いや……ライラは友達思いだし、その、すごくか、か、かわ」
「あたしのこと、嫌いじゃないよな?」
「えっ? 勿論……えっ、それってどういう、え、僕に嫌われたくないとか、そういう、それって」
「嫌われたいわけないだろ? 友達なんだから」
「あ、うん……友達、うん」
うじうじもじもじしているロッドから、目的地だというルシタレッタ村の方向へ目を向ける。そろそろ見えてきてもいいくらいだが、魔獣の気配は特に感じない。馬達も落ち着いている。
「ほんとにいるのか? 魔獣……」
「いる」
と、べったりロインに馬を寄せて歩いていたルーミシュが振り返って言った。
「何か……低い、唸り声がする。遠くから。空に響く、恐ろしい声……」
「え?」
耳を澄ますが、何も聞こえない。エルフほど長くはないが少し尖った耳をしているだけあって、ルーミシュは耳がいいのだ。
「今はこちらが風下だけれど、ずっとそうとは限らない。村へ急いで、馬を匿ってもらう必要がある。この子達は一角獣の血を引く
「それはそうだな。急ごう」
ライラが頷き、馬の腹にトンと合図を送って速度を上げた。ロインがすぐそれに続き、ルーミシュが「少し急いで」と馬に声をかけ、まだ乗馬があまり上手くないロッドの馬は、皆に合わせて勝手に速足になった。
「わっ」
ロッドが情けない悲鳴を上げ、慌てたように耳を赤くしてライラを確認するので、聞こえなかったフリをしてやる。更に速度を上げて
目の前のイーリの耳がぴくりとした。走りながら西の方に向かって耳をそばだて、少し落ち着かなげにしている。
「おい、ロッド。
「で、できない」
ライラの声にか細い声を返すロッドは、軽く走っているだけでもう精一杯なようだ。
「じゃあ一度降りて、私の後ろに乗れ! この中で二人乗せて疾駆できるのはイーリだけだ!」
「えっ」
ロッドはその後も困った声で何かもごもご言っていたが、問答無用で馬を止めさせ、後ろに乗せて走り出した。彼の馬は何も言わずとも後ろをついてくる。風のように、風になって、全力で村まで駆け抜けた。ロッドが悲鳴を漏らしながら腹にしがみついてくる。
「跳ぶぞ! しっかり捕まってろ!」ライラが叫ぶ。
「えっ!?」とロッド。
「行けるのか?」とロイン。
「ルェン族の馬を舐めんな! いいか、イーリの後に続け。しがみついてりゃ勝手に馬が跳んでくれる!」
ライラは「いくぞ、イーリ!」と言って先頭に躍り出て、魔獣避けと思われる木の柵を一気に跳び越えた。人の胸よりも高いそれを四頭の馬が次々に越えてくる様子を村人が目を丸くして見つめ、次の瞬間には悲鳴を上げて逃げ出した。
「恐れるな、我が名はロイン! 仲間と共に、村を脅かす魔狼を倒しに参った! 暫しの間、馬を預かってもらいたい。群れが近づいてきている!」
馬上で剣を抜き放ち、ロインが朗々と村中に響く声で言った。金髪碧眼に純白のマントを羽織った精悍な若者を見て、村人達が呆然とし、そして次の瞬間には「勇者様だ! 勇者様が来てくだすった!」と手を取り合って騒ぎ始める。確かに、見た目だけなら今のロインはかなり勇者風に見えた。
「勇者様、どうか我らをお助けください。魔狼どものせいで、村には商人の馬車も来ることができず、もう二月も自給自足の生活を余儀なくされているのです。もう小麦の蓄えも僅か――」
「わかっている! もう時間がない、魔獣が村へ押し入る前に迎え撃たねば! 村長よ、馬を頼んだぞ!」
「あ、いや、私は村長ではありませんぞ」
いかにも村長っぽい白髭の老人が、ちょっと嬉しそうに首を振った。が、ロインは聞いていなかったらしく、素早く剣を鞘に戻して馬を降りると、仲間達に「行くぞ!」と声をかける。
「瘴気の気配が濃くなってきた……急がねば」
「そんな気配するか?」ライラが眉間に皺を寄せる。
「しない。風上だから、声しか聞こえない」ルーミシュが首を振った。
森に走り出て、ルーミシュが指す方向へ向かう。駆けながらロインが「魔狼ども、こちらだ!」と叫び声を上げた。一見馬鹿みたいだが、魔獣は人間の匂いや声に向かってくる習性がある。村を襲わぬよう群れを引きつけたい今は、そこまで的外れな行動でもなかった。
ロインの声に反応したか、それから程なくして魔狼の最初の一頭が獣道から姿を表した。開けた場所で待ち構えていたロインが、「来たな……!」と、目で睨んで口で笑うようなちょっと気持ち悪い笑みを浮かべた。ライラは引いたが、ルーミシュは「ロイン……かっこいい、挑発的……」と目が釘付けになっている。いいから敵を見ろ。
「ロッド、魔術で牽制を――うわっ!」
ロインがまず指示を出そうとして、飛びかかってきた魔狼の牙を慌てて剣で受け止めた。待ってくれなかったらしい。
「おい、囲まれるぞ!」
ライラが叫ぶ。初めの一頭と戦っている間に、群れの残りは茂みに身を隠しながら一行を取り囲むように移動していた。低い低い、とても動物の唸り声とは思えない音が四方八方から聞こえる。漆黒の毛並みの中に真紅の瞳が光り、何かどす黒い、邪悪な気配が立ち込めた。
「……ま……ろ、僕……」
その時ロッドが呟くように何か言ったが、全然聞こえなかった。
「あ?」
ライラは弓を構え、あちこちに向かって矢を放ちながらちらりと振り返ったが、ロッドはすでに黒いマントのフードを目深に引き下ろし、真っ黒な表紙の魔導書を開いて呪文の詠唱を始めていた。足元に広がった陽光色の魔法陣が、ぐるりと光を回転させるなり黒い影の色に変わって、徐々に魔力の気配を大きくしてゆく。
「影よ、かのものらの意識を惑わせよ『ミラ=ハイル』!」
なんかちょっと余計な文句が付け足されている呪文が唱えられ、魔術が発現した。暗い影の色が魔法陣を中心にぶわっと広がり、魔狼達が潜む繁みの上を端からぐるりと、黒い球体が弾けてゆくような不気味なエフェクトが追う。
と、その魔力を浴びた魔獣達がぐらりと足元をふらつかせ、頭を振ってその場で足踏みを始めた。混乱の術だ。本来は爆発する黒い球体なぞ発生しない魔術のはずだが、ロッドは既存の術を「闇っぽい魔術」に改造することに心血を注いでいるので、あれはその成果なのだろう。
「助かった、ロッド!」
「ふん……この僕がまさか、人助けをするなんてね」
ロッドが卑屈な笑みを返すと、ロインが再び例の「挑発的な」表情を浮かべ、身を低くして何かの構えに入った。見たことのない姿勢なので、今思いついたのだろう。
「ロッドが動きを止めてくれたおかげで、『アレ』を試すことができる……我に加護を与えし光の神よ、その清き光を――」
そしてぶつぶつと何か唱え始めた。神に祈るならもう少しきちんとした姿勢を取った方がいいと思うし、今は祈っている暇なんぞないだろうとライラは呆れた。
「――閃光斬撃、スロ・ナ=アゼルシラ!!」
謎の技名を叫びつつロインが目にも留まらぬ速さで飛び出した。なぜかわからないが、本当に目で追えないくらいの高速で、真っ白な光の尾を引きながら薮の中を駆け抜けてゆく。繁みを突破するものすごいガサガサした音が続き、光が通り過ぎた後に、派手に飛び散った血飛沫と魔獣の死骸が残っている。
「おい、ふざけんな! 魔獣の血は毒だぞ! 返り血浴びるような斬り方すんな!!」
ライラは叫んだ。が、すぐにルーミシュが彼女の肩に手を掛けて首を振った。
「大丈夫……ロインは、私が守っている」
ロインがあまりにド派手なので気づいていなかったが、よく見るとルーミシュの右の手から淡い青色の光が放たれ、それがロインの全身を魔獣の血から守っているようだった。ひらめくマントは純白のままで、ロインは気持ち悪い笑顔のままだ。笑いながら敵を斬るのやめろ。
「ずっと気になってたけどさ、あいつ、なんで旅するのに白いマントなんだよ。どう考えても汚れるだろ」
「僕が闇なら彼は光……まあ、似合っているんじゃないのかな」
「いやそういうんじゃなくて」
相手にされなかったロッドがしょんぼりし、ルーミシュが「とても似合う……ロインのマントは、私が白く保つ」と囁いた。確かに、毎日彼女が浄化の魔法で綺麗にしているので、そこそこの距離を旅してきた今でもロインのマントは真っ白だ。
「うーん……でもなぁ」
「……ロッド、風を。村と反対に向けて、強く」
それでいいのか? とライラが唸っていると、ルーミシュが言った。どうやらロインが魔狼を一掃し終わったらしく、周辺一帯を浄化するようだ。
「スクラゼナ=イルトルヴェール」
ルーミシュが唱えると、青い光が一帯を埋め尽くし、そして泡立つように凄惨な血溜まりが空気に溶けて消えていった。しかし瘴気を根本から消し去れるという本物の勇者様と違って、普通の浄化の魔法は魔獣の血に含まれる毒素を薄めて押し流すことしかできない。
だから分解されて空中に溶け込んだそれを、ロッドが強い風で吹き飛ばすのだ。濃い瘴気は人を狂わせ凶暴にするが、こうして無害になるまで薄めて飛ばしてしまえば大丈夫だ。
「夜風よ、夜半に舞う猛禽の如く吹き抜けろ『シレ=イフラ=ヴァール』!」
本来なら古語の部分だけ言えばいいのに、また何か余計な自家製の文句が付け加えられた呪文が唱えられ、どうやったのか影の色をした突風が真昼の空をかげらせながら通り過ぎていった。
平穏を取り戻した森。きらめく木漏れ日を浴びながら、ロインが純白のマントを翻して戻ってくる。
「この、力……やはり」
そして自分を恐れるように、彼は少し震える己の両手を見下ろした。
「……まあ、確かに今までになく強かったっちゃ強かったよな」
ライラは腕を組んで言った。全体的にアホらしくはあったが、まあ神から特別な力を授かったと言われてもおかしくないような強さだ。彼女はほんの少しだけ、ロインの夢とやらが本当に神の啓示なのではと思い始めていた。ルーミシュがそんなライラとロインを見比べて、小さな声でそっと言う。
「……魔力は、特に増えていない。質も変わらない」
妖精混じりの彼女は感が鋭いので、相手の魔力を気配でおおよそ察知できる。それが大好きなロインのことともなれば、隣に座るだけで日々の体調まで察することができるくらい、常に精密に彼の魔力を把握していた。
「……そっか」
「ロインは、とても心が綺麗だから。信じる心は、人を強くする」
「ものは言いようだな」
ライラは肩を竦めて、一度だけ自分の手をちらりを見下ろすと、射った矢を回収しに繁みの方へ歩いていった。
地面に落ちた矢を拾って回る。彼女の狩りの腕は素晴らしかったが、その矢は魔獣の堅牢な毛皮に全て弾かれてしまっていた。思い込みだけで本当に強くなれるんなら、あたしも思い込んでみようかな……そう考えて、自分にはとても無理そうだと苦笑しながらため息をつく。
――こうして、ロインは魔獣の群れから村を救ったのだった。
(次回:『めっちゃモテるロイン』)
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