第一話 運命の仲間を集めたロイン



 草原の民ライラは、特産の蜂蜜菓子を仕入れるためにエリューセンの村を訪れていた。


 遊牧の民であるルェン族は、ヴェルトルート国の中でも太陽の恵みが特に濃い「大草原」で馬を育てて暮らしている。


 そんな暮らしはやはり少し質素になりがちで、時々こうして美味しい菓子なんかを手に入れるのは、一族の女達にとってとても重要なことなのだ。


 彼女は買い出しのついでに、鮮やかな織模様の布で飾り立てた馬を五頭連れていた。エリューセンは国境に近いこともあって、商人や旅人が補給のためによく訪れている。そんな彼らに、この艶やかな毛並みの馬達を見せてみろ。あっという間にありったけの金貨をはたいて買い取られてゆく。


「お嬢さん、ちょっと、その白馬を見せてくれないか」


 ほらみろ、こんな調子だ。


「お目が高いね、布商人の旦那。でも、こいつはあたしの相棒だから売れないよ。こっちの薄茶のアリンなんかどうだい? うちの馬の中でも稀に見る持久力の持ち主さ」

「ほう……因みに、いくらだい?」

「金貨百五十。でも、そこの左に積んである紫紺の染めの布を売ってくれるってんなら、ちょっとおまけしてやってもいい」

「……こっちの青紫じゃダメかい?」

「ダメ」


 そうしてひとしきり交渉し、ライラは寄ってきた人間に馬五頭を相場の一割増しの値段で売りつけ、上等な布を三巻と赤瑪瑙あかめのうの装身具一式、山盛りの蜂蜜菓子を手に入れた。これは母さんも姉さんも大喜びするぞ、とにんまりする。


 とその時、通りの向こうからこちらへ向かってすごい速度で駆けてくる人影があった。愛馬イーリが不安そうに足踏みしたので、ポンポンと首を叩いてやる。


「大丈夫だ、イーリ。あれは危ないやつじゃない。アホだけどな」

「ライライラ! いいところに。君を探していたんだ!」


 一人の青年がライラに向かって手を上げる。きらめく金髪に深い青色の瞳、恐ろしいほど整った顔立ち、よく通るいい声――周囲の人間が思わず振り返って彼を見つめた。背が高く、体つきも引き締まっていて、絵本の王子様をそのまま実体化したような姿だ。


 爽やかな笑顔で手を振る彼を、ライラは数秒の間ちょっと感心して見つめ、そして腹の底からこう怒鳴った。


「――ライライラって呼ぶなっつってんだろ!!」


 彼女は自分のふざけた響きの名前が大嫌いで、友人にはみな彼女のことを「ライラ」と呼ばせていた。けれど、ロインだけは何度言い聞かせてもしつこく『ライライラ』と呼び続けるのだ。


「何度も言っているだろう、ライライラ? 君の名は美しいと……とても、いい名前だ。自信を持て」

「うっぜええぇぇぇっ!!」


 歩み寄ってきららかな笑顔で両腕を広げるロインに、ライラは両手で頭をかきむしりながら叫んだ。手綱から手が離れたが、イーリは逃げ出すことなく、気の毒そうにライラの髪を食んだ。草原の民はみな馬達と以心伝心の仲であるため、手綱などあってないようなものなのだ。


「で、何なんだよ、ロイン」


 ひとしきり苛立ちを放出し終わったライラは、ため息をつきながらロインに尋ねた。ロインはそんな彼女をほほえましそうに見守っていて、ライラのこめかみが再びぴくりとした。


「俺は、旅に出なければならない」

「そうだろうな、お前冒険家だし。で、それが何?」

「いや、これは……いつもの宝探しとは全く違う旅なんだ」

「は?」

「長く、危険な旅になるだろう……」

「え?」


 ライラはしばし眉間に皺を寄せてロインを見つめ、そして少し顎を引くとおずおずと尋ねた。


「それって……なんか、親御さんが病気で、腕のいい医者を探しに行くとか、そういうやつ?」

「え? いや、両親は健在だ」

「じゃあ、何の旅に?」

「ライライラ……これを見てくれないか」


 ロインはそう言って手のひらに魔力を集め、「ルシラ!」と唱えた。まばゆい光が目の前で炸裂し、ライラは驚いて叫んだ。


「ふっっっざけんな!! 眩しいって! おい、引っ込めろ!!」


 ロインは光を消して、「わかるだろ?」と言わんばかりにライラをじっと見た。ライラはロインの頭を引っ叩いた。


「痛っ!」

「全っ然、意味わかんねえんだけど! 馬鹿じゃねえの!?」

「……詳しくは、後で皆が集まってから話す」

「は?」


 ロインが人目を気にするように声をひそめ、ライラは「何だよそのノリ」と思ったが、とりあえず黙って腕を組んだ。


「……わかんねえけど、とにかく、馬が必要なんだな?」

「いや、必要なのは馬ではなく君だ、ライライラ」

「は?」

「共に旅立ってくれないか。運命の仲間達と共に」

「は? やだよ、意味わかんねえし。……運命の仲間達って?」

「ロッドと、ルーミシュだ」

「おい、なんで二人は愛称で呼んでんだよ。あたしのこともライラって呼べよ」

「それは……お前が、自分の名を愛せるようになったらな」

「うぜぇ」


 ロインは爽やかな笑顔で「行くぞ、ライライラ!」と声を上げて走り出し、ライラは彼の頭をもう一発ぶん殴りたいのを我慢しながらその後に続いた。親友のルーミシュがこのアホに巻き込まれないよう見ていてやらねばならなかったし、なんだかんだ言って、いつも明るくて彼なりに誠実ではあるロインをそこまで嫌いではなかった。


 走って追いかけようとして、すぐに諦めてイーリに乗った。あの男は、本当に人間かよと思うくらい足が速いのだ。





 二人は村の東の外れまでやってきて、そして一件の小屋の戸を叩いた。魔術師であるロッドが何やら怪しげな研究をするために使っている小屋だ。「……はい」とぼそぼそした声が聞こえ、扉が細く開いて、陰気そうな黒髪の青年が顔を出した。


「あ、ライラ……」


 そして彼は目の前に立っているロインには目もくれず、後ろの方で退屈しているライラを見ると、神経質そうな細い指でよれよれの前髪を撫でつけた。青白い頬に少し赤みが差して、亡霊のような雰囲気が少しだけ人間らしくなる。


 彼もロインやルーミシュと同じ、ライラの幼馴染の一人だ。とはいっても遊牧民のライラはたまに村を訪れるくらいであったので、彼らほどいつも一緒にいたわけではない。だから人見知りのロッドは、ライラがいると少し気後れしてしまうらしい。本当はひどい猫背なのに、ライラの隣ではピンと背筋を伸ばして緊張しているのだ。


「ロッド、君の力が必要だ」

「あ、ロイン。いたんだ」

「これを見てくれ――『ルシラ』」


 ロインがいきなり光をぶちかまし、ライラがもう一度ロインの頭をぶん殴り、ロッドは暗い苔色の目をぱちくりとした。


「これは……もしや」


 驚きに掠れた声。なぜだ。


「俺と、旅に出てくれるか」

「ロイン、君は……」

「長く苦しい旅になる……君が光の中を好まぬのは知っているが、しかし、俺にはどうしても君のその魔術の才能が必要なんだ、『黒の魔術師』ロイロード」

「……仕方ないね」


 ロッドは妙に芝居がかった調子で肩をすくめ、ふっと卑屈な笑みを浮かべると「少し時間をくれるかな。僕にも準備ってものがある」と囁くように言った。ロインは「もちろんだとも。東の森の入り口に集合でいいか? 『湖の聖女』を呼んでくる」と返した。


「湖の……ルーミシュか。わかった、では東の森で」

「ああ」

「なあ……それ、何のノリなわけ?」


 ライラが白けた顔で口を挟んだ。隣で馬も鼻を鳴らした。


「それについては後で話す。『大地の乙女』ライライラ」

「いや、変な二つ名つけないでくれる?」

「……ロイン、旅にはライラも?」


 ロッドが濃鼠こいねず色のローブの腹の当たりをそわそわ触りながら尋ねると、ロインはいい笑顔で「ああ」と頷き、ロッドは「そうか……」とうつむいて頬を赤くした。


「いや、一言も行くとは言ってねえし」


 ライラが言うと、ロッドが「えっ……」と呟いてとても悲しそうな顔になった。それを見て、あんまり頭ごなしに拒否するのも悪いかもしれないと思ったライラは、イーリのたてがみを撫でながらしかめっ面で言った。


「……話くらいなら聞いてやってもいいけど」

「感謝する、大地の乙女ライライラよ……」


 すかさずロインが厳かな調子で言い、胸に手を当てて優雅に頭を下げた。ライラのこめかみに青筋が立った。




 いそいそと旅の準備を始めたロッドを置いて、ロインとライラは村を出ると東の森の湖へ足を伸ばした。宝石のような青色がうつくしい湖畔に、半分樹木と一体化したような不思議な家が立っている。ルーミシュの家だ。母親がエルフなので、こうして常に森に触れていられる場所に住んでいる。


 二人がやってきた時、エルフ混じりの少女ルーミシュは湖に浮かべた小舟の上から水面に手を浸し、結構夢中でちゃぷちゃぷして遊んでいた。遠目に見れば実に可憐だが、よく見ると目が本気だ。魚でもいるのかもしれない。


「ルーミシュ!」


 ロインが片手を上げて声をかける。するとルーミシュはガバッと勢いよく起き上がり、すぐさま小舟を岸まで動かし始めた。しかし舟にかいはついておらず、彼女が視線を動かすだけですーっと進む。ルーミシュは水を操る魔法が得意なのだ。


「……ロイン」


 ルーミシュは、彼女にしてはかなり華やいだ声で、しかし知らぬ人間が聞けば平坦な囁き声にしか聞こえぬ声でロインの名を囁くと、湖畔を踊るような優雅な足取りで駆け、そして流れるようにロインの腕にしがみついて肩に頭をくっつけた。


「ロイン、好き……」


 艶やかな銀髪にきらめく青緑色の瞳、真っ白な肌に少し尖った耳をした美貌の少女ルーミシュは、彼女にしてはうっとりした真顔でロインの肩に頬をすりすりとこすりつけた。ロインは空いた手を額にやって「全く、はしたないぞルーミシュ……やれやれ、困ったな……」と呆れたように言ったが、耳が真っ赤だ。


「ルーミシュ、実は旅に出ることになっ――」

「私も行く」


 うっとりした囁き声のまま、食い気味にルーミシュが言った。ロインが「そ、そうか」と少したじろいで頷く。ライラは一連の流れを白けた目で眺めながら、「ルーミシュはこのアホな男のどこがいいんだろう」と真剣に考えていた。


「感謝する、『湖の聖女』よ」


 ロインが再びうやうやしく胸に手を当てて言うと、ルーミシュはそれをじっと見つめて「かっこいい……」と囁いた。「マジかよ」とライラは思った。


「でも……湖の聖女って、何?」

「君のことだ」

「私のお母さんは、沼エルフだよ」

「……沼?」

「そう。青い湖のリファール・エルフじゃなくて、緑の沼のルフターヌス・エルフ。私の名前はリファール語風だけど、それはお父さんの趣味」

「いや……よくわからないが、そういうんじゃなくて、君が湖畔に住んでるから」

「……聖女というのは、勇者伝説の癒し手のこと」

「あ、うん……ええと、うん。ルーミシュは、癒しの術が得意だろう?」

「うん、得意」


 ロインが段々とあたふたし始め、ルーミシュはそれをキラキラと憧れの目で見つめた。彼女はいつもこうして色々突っ込んだ質問をしてはロインのペースを崩してしまうのだが、なぜか昔からロインが大好きなのだ。顔が良いからだろうか?


「……森の入り口で、ロッドと待ち合わせをしているんだ。魔術師として、準備があるらしい。術の触媒とか」

「触媒、なぁ……」


 腕を組んで唸る。因みに、ロインのように本能的に光を放ったりするのが「魔法使い」で、魔法陣――つまり思い通りの術を使うための設計図を描いて現象を引き起こすのが「魔術師」だ。


 とはいえ魔法陣は魔力の線で描けばいいので、持ち物といえば杖を一本持って行くくらいでいい。ロッドがいつも触媒とか言って薔薇の花を燃やしたりしているのに、特に魔術的な意味はないはずだ。


「……それなら、私もライラと旅の準備をしてくる。二人はきっと、マントと武器と、杖と魔導書、干し肉とパンとか、そういう『ぽい』のしか持ってきていない。軽量天幕と、下着の替え、栄養価の高い携帯用非常食、抗生剤……実用的なものは、任せて」

「あ、うん……抗生剤?」

「感染症は、水の術と相性が悪い。少なくとも、私の腕では癒せない。火の癒し手を連れて行くか、薬に頼る方が安全」

「あ、うん」


 ロインがこくんと頷き、ライラは「あたし、まだ行くって決めてないんだけど……」と困った顔で言った。するとルーミシュが綺麗な薄緑色の目でライラをじっと見つめ、言った。


「旅の目的が何であれ……ライラは、一緒に来る。ライラはどうせ、私達を放って置けない」

「……かもな」


 ちょっと顔を赤くしたライラがふいと目を逸らしながら呟き、ロインが満面の笑みで「では行くぞ、運命の仲間達よ!」と腕を広げた。ライラが「は?」と一蹴し、ルーミシュは「ロイン、かっこいい……」とうっとりする。



――こうして、ロインは彼と運命を共にする仲間達を集めたのだった。






(次回:『伝説の剣を手に入れたロイン』)

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