透き通った夜の向こうに
前 陽子
透き通った夜の向こうに
黄色の雄蕊と雌蕊は花弁の紫色を一層華やかにし、なのにうら悲しくもあった。或るフォトグラファーのfacebookに接写の一輪の花を見つけた。
《ミヤコワスレ》
武蔵丘陵森林公園にて
「花言葉は“別れ“。花言葉はだいぶ覚えてきました。結構役に立ちます。贈り物なんかにね。……でも思ったんです。人生で別れはつきものなんです」
彼は自然系の写真を撮るプロのカメラマンだった。毎日のようにクレジット付きの写真にタイトルと短いコメントを添える。
師と仰ぐお弟子さんや『いいね!ファン』からは、
「どうしたんですか?」
「何かあったのですか?」などと心配するコメントがいくつも投稿されていた。
けれど、かほるには分かった。
それは最後のメッセージだった。
徹夜続きで、それでもまだ仕事が終わらず、焦りと右肩の鈍痛はピークになった。強迫観念とでも言うのだろうか、天井は次第に迫り来て挟み込まれるような圧迫を感じ背中は丸まり両腕は固まっていた。空腹だし、なのにコーヒーの飲み過ぎで気持ちも悪い。
こういうときは気分転換を図った方がいいに決まってる!
提出にはまだ時間があることだし今日はスッキリ行くか!
と、かほるはパソコンの電源を切った。ついでに、
「あー、今日は思いっきり食べて呑んでやろう」
ひとりしか居ない事務所で自棄になって声にした。
「ファァー」両手を天井へ突き上げ、背骨を伸ばす。
天井の位置は正常に戻った(気がした)
既に深夜だ。
ファミレスか居酒屋くらいしかやっていないかあ。でも“チン“料理もレトルトも口にしたくない。使い回した古い油の揚げ物なんぞ、そりゃあこんな状態で食べたらお腹は一発でゴロゴロだあ。手作りの美味しいものが食べたい! と、みぞおちあたりが欲している。
かほるは、一度行ったことのある中華屋まで歩くことにした。
春一番が吹き荒れた直後のようで、街路樹の枝葉が散乱している。
理不尽、虚偽り、惨めさや悲しみ……、ワルイモノ全てをすっ飛ばし、枯れ葉にしがみついて居るかのようだった。帳には微塵の埃も無く、暗闇なのだが透き通っているのが分かる。透明な夜の向こうにはちゃんと朝があり、やがて新しい一日が始まるのだろう。この仕事が終わったら徹にはハッキリ言おう。かほるはそう思いながら、外気の冷たさに背骨をシャンとさせた。
店に着くと、餃子に棒棒鶏、生ビールの大ジョッキをガブガブ、ビールを小さくし唐揚げを、紹興酒に変えて牡蠣の炒めものも頼んだ。此処はメニューの殆どをハーフかミニにしてくれる。このあとにもつまみをひとつふたつ頼んで、最後は炒飯かラーメンか、それとも今日はフカヒレそばにでもしようか、と悩んでいる矢先だった。入り口付近のテーブルから視線を感じる。
かほるは自身の後ろを振り返ってみたが、背中の壁には生ビールのポスターが貼ってあるだけだった。気にも止めずにかほるは紹興酒のお代わりをする。
視線を送る男は隣に居る女子グループに話しかけている。知り合いなのだろう。楽しそうに話す彼の視線はときどき逸れるのだが、それでも直ぐに戻ってはかほるを注視した。
頭にゴミでも着いているのかとも思ったが、食べること以外に本能は働かない。貪り喰う姿をどう思われようとお構いなしと思いながら半チャンラーメンに向かっていると、その男は近付いて来て、少々酔ってはいたがしっかりした口調で言った。
「あのー、相席させて頂いてもいいですか?」
連れの男二人は直ぐに帰るそうだ。隣の女性は、ただ話しかけただけだと付け加える。かほるもいい具合に出来上がってきていたし、徹夜明けの開放感から「どうぞ」と言ってしまう。
「……好きなんです。あっ、初対面なのにすみません。僕、カメラマンなんで被写体がどうなってるのか分かっちゃうんですよ」と奇妙なことを言う。
「心の中が見えるんですか? わたし、結構ワルモノですよ」意地悪く口を曲げて、かほるが笑いながらそう言うと、
「そんなことないですよ。貴女は心がまあるくてアッタカイ人だ。それに……、ちょっと寂しいモノを抱えているでしょ、そこがまた素敵です。眩しいです。だから引き寄せられちゃった」と笑う。
あまりにも直球の台詞は恐怖さえ感じず、目尻の笑い皺は人の良さを演出し、怪しさも嫌らしさも吐出していなかった。淋しいことは図星だったし、一緒に呑むぐらいなら……、とふたりで紹興酒を傾けることになる。
紹興酒はレモンサワーに変わり、3時間ですっかり意気投合する。
薫とかほる、カメラマンとデザイナー、職業的な視点と発想、母親の介護と東京へは週一で通う山と海の田舎暮らし。名前も一致し共通点が幾つもあり、話題はコロコロ転がってゆく。
その朝、かほるは薫の事務所で浅い眠りについた。カメラが持てなくなったら困るだろうと咄嗟に思い、憧れだった腕枕はやめておいたが3時間前に出遭ったばかりのふたりは、言葉も交わさず重なった。
小一時間も眠ってはいないだろう。ふたりは、酒が残る胸を摩りながらも互いに仕事に向かった。
LINE交換をしただけで、本性も素性も分からない。大胆不敵な行動に、どちらかと言えば古風なかほるは我が身を疑ったが、仕事は捗り、ルンルンしている自分に罪悪感はなかった。……徹に申し訳ないとも思わなかった。
その夜、LINEが入る。
『仕事大丈夫でしたか?』吹き出しを見ながらニンマリ。
『さすがにキツかったけれど、素敵な夜だったので捗りました○』ハートマークを付けて返信。
『今晩も会えませんか? 僕は仕事終えたところです』
本当は帰る約束をしていたが、介護ヘルパーさんの了解を得ると、
『いいですよ。わたしも終わりにしようと思ってたところ、明日も東京なので』
と、かほるは徹にも嘘をつくことになる。……徹はもう眠っているだろう。
中華屋の同じ席で、昨夜の続きが続く。周りから見ればもう何年も前から付き合っているかのような、いや、夫婦に見えるかもしれない。
薫とかほるがややこしいので、おーちゃん、ほーちゃんと呼び合った。
感動した景色や好きな音楽、他愛もない話……、でも、価値観や感動するツボ、考え方、好物が一致することに高揚し、かほるの心は満ち足りていった。
……徹と離婚を考えていたからではい。
『ほーちゃんをも一度抱きたい』
『来週は何曜日に来るの?』
『そのときは僕の事務所で会いたい』
翌日自宅へ帰ると、おーちゃんらしい直接的なLINEがいくつも入る。かほるは年甲斐も無く舞い上がった。徹に気づかれないように、トイレや風呂場でポワーンと視点の定まらない顔をした。徹と別れるために付き合ったのではない。それだけは断定できた。
翌週は互いに日程が合わず、会うことは叶わなかった。
もう遭ってはならない、いいえ、ただ会って食事ぐらいなら。行ったり来たりの迷いは強い鼓動を打ち続ける。
その翌週も逢う日は無かった。
かほるは『薫』を頼りにfacebookのおーちゃんを尋ね人のように探す。未練がましい種類の感情ではない。
膨大な投稿の中で、おーちゃんらしい一枚の写真を見つけた。
〜《雀のお宿でスズメの口づけ》〜
神代植物園にて
「僕は生来蕎麦好きで、仕事柄、神代植物公園にお花の写真を撮りにやって来ては蕎麦を食べる。雀のお宿は気にいってる蕎麦屋。雀のお宿に丁度スズメがチュンチュン。今日は仕事だけど、今度は二人で来ようね!」
中庭なのか、二匹の雀が寄り添う。
先週の日付だった。お花と言ってみたり、今度は二人で……。もしや……と、胸は高鳴る。かほるはスクロールしながら、しばしfacebookを覗き込む。星や山の風景に花の写真は限りない。多摩川の土手や立川昭和記念公園などで撮ったモノだと直ぐに分かった。
互いに蕎麦好きで、かほるは国立、薫は国分寺生まれだった。多摩湖半で撮った写真も多い。多摩湖半に自宅があると言っていた。……おーちゃんだと確信する。
3ヶ月後の3回目、ふたりは同じ中華屋で再会する。
3回目の夜は、翌日の晩までベッドに潜り込んだままだった。
かほるは腕枕の中、秩父や秋川渓谷、吉祥寺の植物園や府中の郷土の森など、武蔵野の花暦の話を聴いた。武蔵野には自生する植物が沢山あるそうだ。
かほるは、facebookを観るのが日課になってゆく。
しかし、それから逢えない日々は続く。
案の定だった。覚悟というか予測はしていたし節操ある大人の掟だと観念していた通り、しばらくするとLINEはブロックされた。
〜《独り言》〜
雪が覆いかぶさった松ぼっくり
『苦しいのかい? そう言って僕は雪を払い除けた。きっと誰かに会いたがっているのだろう」
〜《風の中の恋》〜
緑色の蝶の交尾
「オヤジには似合わないタイトルを付けてみた。笑 でもクリエイトにこういう気持ちは必要ですよね」
多摩湖半で撮ったのだろう。
彼の呟きを垣間見て、かほるも思いを馳せる。
半年が過ぎていった。
〜《私を忘れないで》〜
滴が光る朝顔
「アサガオもユウガオも同じ花言葉だそうです。でも、誰が考えているのでしょうね? 花言葉って」
〜《淋しさに耐える》〜
野草園に群生するカタクリの花
「花言葉シリーズ。僕は花の写真も多いので、花言葉の勉強中です。が、まさに今の心境でもあります」
薫に奥さんが居るのも、東京へ来ているのも、facebookを覗けば解ることだった。かほるも東京へは行っていたし、薫の事務所も知っていたから押し掛けにも行けたと思う。けれど、かほるも彼の心内と同じだった。
そして、最後の写真、……別れのミヤコワスレ。
ふたりだけの、3回だけの、秘密の恋だった。
不倫というのかもしれない。が、後ろめたさも後悔もなかった。
あれから2年が経つ。互いに活躍している。
きっと神様がいて、疲れた気持ちを癒し、心の隙間を繕ってくれたのだろうと思っている。
今年も春一番が吹いた。
透き通った夜の向こうには新しい朝が待っていた。
徹はいつものように「おはよう」と言った。
了
透き通った夜の向こうに 前 陽子 @maeakiko
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