第10話

『冬華。起きろ!』


 男の人が私を起こそうと、布団を剥がしてきた。


「うう……。あと五分……」

『いつもそんなこと言って、ギリギリに家を出てるだろ。今日は待たないからな』

「なんでよ。いつもギリギリだけど、間に合ってるでしょ?」

『知らないよ。俺が冬華と同じ学校だったら別だけど』


 彼は布団を持ちながら、少し強めに言い返してきた。


「あれ、違う学校だった? 同じ学校だったような気がしたけど」

『去年、卒業したって言っただろ? 忘れたのか?』

「言った?」

『言ったぞ』


 彼は布団を床に置いて腕を組むと、私のベッドに腰掛ける。


「どうしたの? 急に私のベッドに座ってきて」

『起きなさそうだから、ここで待っていることにした』

「わかった、起きるから。起きるから降りてください」

『本当か? 本当に起きるのなら、優しいからどいてやろうじゃないか』


 彼は悪戯に笑うと、すっと立ち上がった。全く、上から目線なのは変わらない。


『まあいいや。早く起きろよ。優しいから、今日は送ってあげるよ』


 そう言うと彼は、部屋を出ていってしまった。


「ドアくらい閉めていってよ……」


 私はぽつりと呟くと、クローゼットから制服を取り出した。



 ――数分後。


 私が着替えを済ませてリビングへ行くと、男の人が朝食の支度を済ませて待っていた。


「ごめん。遅くなった」

『ううん、大丈夫。今終わったところだから』


 私が椅子を引いて座ると「早く食べようぜ」と笑って言った。


「うん、早く食べよ」

『よし、それじゃあ』


「『いただきます』」


 私達は手を合わせると、声を揃えて言った。


『そういえば、学校はどうだ? 楽しいか?』

「うん、楽しいよ」

『そうかそうか。辛い時は無理するなよ?』

「大丈夫! 無理なんてしないよ」


 私が手をぶんぶんと振りながら言うと、彼はほっとしたような表情を浮かべた。


『まあ、辛い時も水稀君がいてくれるだろうし、俺は安心して任せられる』

「なんか聞き覚えのあるセリフだなと思ったら、よく父親が結婚の挨拶に来た彼氏に言うセリフじゃないですか〜。そんな関係じゃないですけどね」


 結婚どころか、まだ付き合ってすらいない。「まだ」とか付けていると、付き合う可能性があるように見えるな……。


『なーんだ。付き合っているかと思ったのに』

「付き合っていません」

『とか言って実は?』

「本当に付き合っていません」

『そうなのか……。ふーん……』


 私が全力で否定すると、彼は少しいじけた表情を浮かべた。


 しばらく私たちが黙々と食べていると、時刻は家を出る五分前になった。

 私たちは急いで食器を片付け、歯を磨いて家を出る。


『よし、行くぞ』


 彼はバイクのエンジンを付けると、私にヘルメットを渡してきた。


「ありがと」


 私は素直にヘルメットを受け取って被ると、彼の後ろに乗った。


『忘れ物はないか?』

「うん。大丈夫だと思う」

『よーし、じゃあ行くか』


 彼がハンドルを掴んだのを見て、私も彼の腹部に腕をまわす。彼はそれを確認すると、バイクを走らせた。


『久しぶりだなあ』


 彼は呟くように言ったが、声が風に流されてきたのだろうか。微かに聞こえてきた。


「何が?」

『あぁ、聞こえていたか。いや、冬華を後ろに乗せるの、結構久しぶりだなって思ってさ』

「そうだっけ? そこまで久しぶりに感じられないよ」

『そうか……』


 私は白い息を吐きながら、彼に言い返した。


 彼は少し寂しそうに言うが、どうして寂しそうに言っているのか私にはわからなかった。


 しばらく彼のバイクで走っていると、突然車体が大きく傾いた。彼が言うに、凍った路面でスリップしたとかなんとか。


 そして次の瞬間、目の前に電柱が現れた。

 身体中に痛みが走り、私の視界はどんどん真っ黒になっていった。


『……』


 私が気を失う寸前、彼が最後の力を振り絞ったような声が聞こえたような気がした。

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