第9話
「先生。早く授業に戻りましょう」
秋野は先生のスーツを引っ張りながら言った。心做しか圧のある言い方に恐怖を感じた。
「わ、わかったから引っ張らないでくれ」
「早くしないと授業終わってしまいますよ。それとお二方も。トイレへ行くのであれば、早く行ったらいかがでしょうか」
「は、はい……」
水稀は秋野の圧に負けたのか、少し萎縮して言う。
「それと冬華さん。あなたトイレに行くと言って授業を抜け出しておいて、トイレへ行こうとする素振りが見られません。これは一体、どういうことでしょうか。もしかしてですが、冬華さんは勉強をしに学校に来てる訳ではないのでしょうか?」
秋野は私を睨みつけながら強く言ってきた。正直、とても怖い。
そしてこれが秋野……委員長の本性だ。
秋野は興奮状態になると、思ったことを全てぶつけてくる。俗に言う「怒るとずっと喋り続ける人」である。
そんなこともあり、秋野は表で『委員長』そして裏で『真面目なお喋りさん』と呼ばれている。
ちなみにだが、秋野は正しいことしか言わない。
確かに思っていることをぶつけてくるが、当てずっぽうに言っている訳ではないのだ。
「はい。すみませんでした……」
私は急いで謝罪する。しかし秋野には聞こえなかったのか、何も言わずに教室の方向へ戻っていった。
「……」
秋野の姿が消えると、廊下に静寂が訪れる。
廊下が静まり返ると、先程まで聞こえなかった音が聞こえてきた。その音は黒板にチョークで文字を書く音や、先生の話し声などだった。
「二人とも。早くトイレへ行ってね。そうしないとまた言われるよ……」
先生はこちらを見ながら、少し震えた声で言ってきた。先生の足元は、心做しか震えているように見えた。例えるなら産まれたての子鹿。
「先生も早く戻った方がいいと思いますよ」
水稀は先生に向かって言い返した。
「そ、そうだね……。雨宮さんも早めに済ませて戻ってきてね。晴山さんに怒られちゃうから」
「はい。早めに済ませてきます」
先生が私に対しても言ってきたので、素直に返事をした。
普段の先生は怖いと思っていたが、今の先生は少し可哀想だなと思ってしまった。
やはり委員長は強いな、と改めて思った。
「冬華。早めにトイレ行こうぜ」
水稀は私に向かって言うと、一人でトイレの方向へ行ってしまった。
私は水稀を追いかけるように、後を追いかけた。
「待ってよ。歩くの早い!」
「仕方ないな。一分間だけ待ってやる」
「三分間の間違いかと思ったんだけど、さすがに違うよね」
三分間だけ待ってやる。誰かが言っていた気がする。
「いいや、合ってるぞ。よく分からない呪文を唱える系のやつだったと思う」
「目が!」
私が盛大にふざけると、水稀はニヤニヤとしながら見てきた。
「どうしたの? そんな、おじさんが女子高生を見るように見つめてきて。正直気持ち悪いよ」
「いや、だってさ……」
水稀は少し躊躇うように言う。
「何よ。気になるんだけど」
「だって、ずっとついてくるから。このまま男子トイレ入る気か?」
「あっ……」
私は水稀に言われるまで気付かなかった恥ずかしさに、顔を手で隠す。
話に夢中になると、周囲を見ることができなくなってしまう。これは私の悪い癖だ。
今回は水稀が言ってくれたから良かったが、言ってくれなかったらトイレの中までついていくところだった。
「冬華もトイレ行くんだろ? 先に済ませたら、来るまで待ってるぞ」
「ううん。私は行かないから、
ここで待ってるよ」
「そうか。じゃあ、一分だけ待ってくれ」
「うん、わかった。待ってるね」
私が行ってらっしゃいと言うと、水稀はトイレへ入っていった。
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