第35話 黄昏の忘れ形見

 嬌声が響き渡る宵闇へ、足を踏み入れる。

 降りてみれば、案外大したことはない。どころか、黄昏時の薄暗がり程度で、多少目を凝らせばどうとでもなる程度だ。

 どこか、昔懐かしい商店街の裏路地。アスファルトは敷かれておらず、咲良にとっては実に慣れた砂の足元だ。

 はて、と咲良は首を捻る。

「……さっきの、なんだったんでしょう?」

「分からんな。軍にでも報告すれば、多少なりとも分かるだろうが」

「そうですかぁ……」

 少なくとも、科学的にどうにかした、という説はこれでほぼ払拭された。

 車も多少トランクがひしゃげた程度で、他に何か仕掛けのようなものもない。その横では異変まみれの獣人が二十四時間耐久中出しセックスを行っているのだが、咲良は見ないことにしていた。

「……異常であることは確かだな。ちょうど午後の三時だ、まだ日の入りには早かろう」

「そうですよね。さっきまで、住宅街でしたし」

 こつこつ、と地面を叩いてみる。それで崩れ去ったりすることはなく、普通に歩けるようだった。

 一歩、踏み出してみる。

 ちゃんと歩ける。まるで、ちゃんと現実であるかのように。

「……歩けた」

「そのようだな。幻覚や暗示の類ではない、か」

 まるで要領を得ない発言ばかりだが、しかしそれも仕方のないことであろう。事実、狐に化かされたような状況である。

 互いに首を捻りながら、ひとまず存在するであろう表の道へと向かった。


「……しかし参ったな、人の気配がしない」

 こつこつ、と表通りを歩く。

 非常にいかがわしく生々しい音声群が、ようやく遠ざかっていたものの――しかし、恐ろしく閑静である。

 確かに商店街だ。店も意気揚々と看板を上げ、扉も歓迎するように開いている。だがしかし、そこにいるはずの店子の声はおろか、姿さえない。

 異様であった。

「確かに、どこにもいませんけど……」

「一キロ四方に未知の人間はいない。それより遠くも、概ねそうだろうな。静かすぎる」

「そんなにですか!?」

 そんな中の、あまりにも絶望的な発言。ぽてぽて歩く咲良の足が、急速に重くなる。

 まるで、街を模した牢獄だ――そう、吐き出したくなった。

「あの、普通の『なれはて』って……こんな大変なんですか?」

「異能は強力な可能性が高いが、お前がいれば素通りできる――そう踏んでいたんだがね」

「うぅ……」

 若干の申し訳なさに、軽くうめいた。

 そもそも異能が絡んでこなければ、咲良もただの人である。

 健康体には変わりないが、並大抵の高校生より貧弱。頭脳も並大抵の高校生程度である。大した異能を持ち合わせているわけでもない。強いて特化したところがあるとすれば、それこそ外見くらいのものである。

 自分自身が、かなり足手まといの部類になる――ということは、嫌というほど実感していた。

「未知の仕組みを行使する相手であれば、軍も手出しできまいよ」

「そうですね。兵隊さんも、人間ですし……」

 ――もう随分前の話になるが、大陸から帰ってきた青年がいた。

 先の世界大戦の折に、徴兵された人らしかった。幸いにして生きてはいたものの、前線に出ていたせいだろう、酷い神経症に悩まされてすっかり人が変わっていたのだ。

 子どもはおろか、大人すら寄りつかない。なんとなく秘密基地みたいで居心地のいい場所だった。

 だからこそ、ぼんやり覚えている。

「ひとえに私の見通しの甘さに問題がある。股を開いてお詫びしよう」

「そ、そんなことないですよ……!?」

 まぁまぁと諫める咲良を無視し、勢いよくジッパーを下ろす。

 所狭しと詰まっていた超絶巨乳が、レザーという檻から解き放されて膨張した。乳房と頭が同じくらいの大きさをしている、迫力の大爆乳である。咲良は一時、言葉を失った。

 最も、驚愕の理由は何もサイズ感だけではない。

 ジャケットの下には、下着以外は何も身に纏っていなかった。圧倒的露出狂が如きその姿に、動揺したのである。

 バキバキに鍛え上げられ、筋まで浮かぶ腹には、ところどころ傷跡が残っている。軽く下げた腕も、また素晴らしい筋肉に覆われていた。

 そして見上げれば、更に成長してしまった柔らかな下乳と、それを支えるブラジャー。

 歴戦の勇士たる証と、女らしさの証を併せ持つその姿に――咲良は、見とれた。


 そして。

「なんでお洋服を脱いでいるんですか!?」

「誠意の身体払いだ。知らなかったのか?」

 すっとんきょうな理論を前に、咲良のツッコミは玉砕した。

 そして、いくらの咲良でも、『身体で払う』ということがどういうことなのかは理解していた。

 より正確に言えば、今までのドスケベ語録も無意識下で認識から追いやっていたのだが……流石にこの段に来て、無視も許されなくなってきたのである。

 もしかしてまりえはとんでもないドスケベ女なんじゃないか、という一種の疑念は、ここに来て確信に変わった。

「……身体で払う、ってつまり『そういう』ことですよね?」

「セックスは通貨であり経済だからな。素晴らしい思春期力、そのちんぽで共に社会を輪姦まわそうじゃないか」

「やっぱりそういう意味じゃないですか!」

 クズの妹は、手に負えないビッチであった。むしろ身内に手が伸びる分、とつぐよりもなおたちが悪い。咲良には知るよしもないが、まりえには常識改変系抜きゲー程度の貞操観念しか備わっていないのである。

 身の危険を感じ、がむしゃらに走り出す。

 このままだと食べられる――という直感のままに、涙目で逃げる。

「男と女が二人きりだぞ、セックス以外に何をするんだ! 半日も禁欲しているんだぞ!?」

「それは普通の人の常識だと思うんですーっ!」

「待て! 未精通童貞おちんぽを持ち去るな!」

 だがしかし。

 元、かつ佐官とはいえ、相手は職業軍人。その上、足だけで咲良の身長の九割を賄える巨躯の持ち主である。

 哀れ咲良は、数秒もせずに、性欲大魔神ハイパークソビッチ花桐まりえの手に落ちたのであった。


「ファッ!? チャート壊れる……どいつもこいつもイベントフラグをなんだと思っているんですか」

 一方、園原探偵事務所。

 一通りの看病を終えた玲奈は、自室で美少女にあるまじき奇声を上げていた。

 パソコンのディスプレイの前に陣取り、咲良達の動向を追っている。いわば監視だ。

 当然ながら、依頼者の親がばっちり洗脳快楽堕ち中出しセックスに励んでいる様も監視していたが――それはさしたる問題ではなかった。

「おっと、汚物濃度が跳ね上がりました。コンプラを遵守しなければ」

 当然ながら、部屋は無人である。故に、完全な独り言だ。

 完全に想定外と化した出来事の数々に、玲奈は頭を抱えるしかない。

 もちろん魔法の指パッチンで即時解決、などということは可能だが――それでは困るのだ。

 玲奈にとて、目的はある。それ故に、あらゆる全てが円滑に進まれては話にならない。

「しかし、少々まずいですね。てかこれおバグり申し上げてません?」

 ぱちぱち、と七色に光るキーボードを叩く。

 内部のデータを参照し、何があったのかを解析し――玲奈は概ね、何が起きたのかを察した。

「……バグってるじゃないですかやだー!」

 そして、壁に向かってキーボードを投げる。哀れにも角からぶつかったゲーミングキーボードは、盛大に大破。

 そのついでに、壁まで大破した。

 隣で完全に復活し、不幸にも苛立った状態のとつぐが、あまりの騒音に耐えかね最短最速でクレームをつけにきたのである。

「うるさいわね黙りなさい! こっちは病人なのよ!?」

「病人が壁を蹴破る事例は一度も見たことありませんけどねー!」

「いいわよあんたも病人にしてあげる! 大体何よ、電源もつけてないパソコンの前でぶつぶつぶつぶつ!」

「国民的美少女の独り言を騒音と仰いますかぁー!? えぇ!?」

 そして、またしても乱闘が始まったのは――また別の話である。

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