第32話 新たな門出

「――それでは本年度の新入生を代表し、ソフィア・モーニングスター候補生、前へ」


 立ち上がる少女はあたかも大輪の百合のごとく淑やかで、それでいて神秘的に見えた。

 講堂に椅子を並べた少女達のささやき声が、そこかしこから聞こえてくる。

 こころなしか居並ぶ教師の間からも。


 曰く、古今無双の天才剣士、見目麗しく聡明叡智、自由奔放にして唯我独尊、怜悧冷徹なる策略家、逆らえば教師であろうと容赦しない悪逆無道の暴君、史上最強にして最悪の反逆児、彼女を諌めるにはあのアメリア少将すら手を焼くという――


「ただいまご紹介に預かりました、ソフィア・モーニングスターと申します」


 そんな噂話も、登壇したソフィア嬢の第一声でぴたりと止んだ。


「この度は新入生代表という大変な栄誉を預かり、いささか緊張しています――」


 透明感がありながらも芯が通った声は、確かにアメリア少将から受け継いだカリスマを感じさせる。

 まあもちろん、徹底的に鍛え上げたよそ行き・・・・の声音だが。


(夜を徹してスピーチの訓練に付き合ったかいがあったな)


 安堵と共に襲い来る眠気と戦いながら、俺は胸中で呟いた。


 当然、演説の指南役は別の専門家が雇われていたのだが、何故か俺も同席させられたのだ。

 ソフィア嬢曰く、観客がいると燃えるとかなんとか。


(……珍しく張り切っていたな)


 実のところ、今回の入試で主席に選ばれたのは二名だった。

 ソフィア嬢とマリア嬢。

 座学、対人試合、そしてダンジョン探索の全てにおいて最高の成績を残した二人。


「――ダンジョンで不慮の事態に遭遇したとき、わたしはマリア・デイブレイクさんやルシア・ドーンコーラスさん、それからジェーン・ネイトさんという仲間に助けられました――」


 さらには学院に潜伏していたテロリスト討伐のおまけをつけて。


 これは史上初の事態だ、とは少将閣下のお言葉だ。

 女学院の理事会はかなり頭を悩ませたそうだが、成績に拠らず評価に差をつけることは学院の信頼を損なうとして、最終的な決断を下したらしい。


「――本来であればマリアさんこそがここに立つべきだと、わたしは思っています――」


 だがマリア嬢は合格発表に姿を見せず入学式も早々に欠席を決めた。

 公にはダンジョン探索時に負った傷の療養のため、という名目だったが。


(よほど堪えたんだろうな……あの戦いが)


 おそらくマリア嬢にとって初めての殺人。

 それがあんなにも無残な形になったのだから。


(命を救ってくれたマリア嬢への恩返し―――彼女に恥じないスピーチを、か)


 好奇心と友情。

 自由奔放で天衣無縫なソフィア嬢を突き動かす、数少ない理由。


「――今回の入学試験で、わたしは思い知らされました」


 おや、と気付く。

 これは用意された台本にはなかった言葉だ。


「わたしには力が必要です。もっと強くて賢くて、どんな危険も脅威も退ける。そんな人間にならなければいけないのです」


 壇上のソフィア嬢がこちらを見た。ような気がした。

 俺が立っているのは従者席――つまり巨大な講堂の端で、末席も末席だ。


 いくらなんでも、この距離で俺を見つけられるとは思えないが。


「そうでなければ何もできないと――何も得られず、何も守れないと分かったのです。わたし自身が望むすべてのものを」


 それでも、あの赤い瞳が輝くのが見えたような気がして。


「わたしはなりたいのです。わたしが心から愛して――敬愛して止まない先生・・・・・・・・・・のような、強く優しい人間に」


 その瞬間。

 俺は背筋に寒気が走った。


 見回さずとも分かる。

 大量の視線が俺に集まっている。下手すると講堂全体の視線が。


(名家の子女に仕える若い男の家庭教師というだけでも、学院では目立つと思っていたが)


 今や彼女は女学院で最も名を知られた生徒で、その上、公衆の面前でとんでもない噛み方をしてくれたのだ。

 最悪、社会的どころか物理的に抹殺されてもおかしくない。


「――聖クリス・テスラの名に於いて妖魔ダスクをくじき人々を助く騎士とならんがため、粉骨砕身の覚悟で努めることをここに誓います」


 俺が危機感に苛まれているとはつゆ知らず、ソフィア嬢は朗々とスピーチを終える。


「以上。新入生代表、ソフィア・モーニングスター」


 講堂を包む拍手はまさに万雷の如く。

 何故か感極まって咽び泣く生徒すらいる。


 これがアメリア少将譲りのカリスマか。ソフィア嬢がその気になれば、百万の騎士が喜び勇んで崖を飛び降りるかもしれない。


(……つくづく、勇者向きの人材だな)


 演壇を降りた途端、こっそり安堵のため息をつくソフィア嬢。

 その横顔を遠く見守りながら、俺は思わず呟いていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「カズラ殿。今のうちにはっきりさせておきたいのですが」


 あからさまに不満そうなシャーロットの声を背中で受け止めながら、今にも朽ち果てそうな階段を降りていく。

 つい先日までそこら中で青々と茂っていたツタや根の類は、すべからく枯死していた。


 かつて“深緑の塊根ディープ・グリーン・ルート”と呼ばれたダンジョン――核となった暗黒結晶ダーク・スフィアを失った今は、ただの巨大な枯れ木に過ぎない場所。

 ここは、その深部にある古い建物の残骸――肥大化したトレントの体内に取り込まれながら奇跡的に原型を保っていた屋敷の一部だ。


 騎士団が作り上げたマップにも記されていない隠しエリアを、俺達は進んでいた。


「自分は確かに『犯人が正騎士ならば罪を償わせるべき』と言いましたが、それはカズラ殿に協力するという意味ではなく」

「俺の復讐が続く限り、いつソフィア嬢に累が及ぶか分からない。だったらさっさと終わるように手を貸した方がいい。コソコソ監視する手間も省けて一石二鳥。違うか?」


 振り返らずともシャーロットが苦い顔をしているのは分かる。


「アメリア少将だって情報提供を約束してるんだ。部下であるお前が協力を拒む理由もないだろう」

「……実際に犯行を手伝うのは違う気がしますが」

「これ以上監視を振り切られたくないなら、大人しくついてくることだな」


 シャーロットの深い溜息。

 掲げた松明の炎がわずかに揺らいだ。


「一つお尋ねしてもよいでありますか」

「やることは現地についたら教えるから、今は足を動かせ」

「そうではなく……もしカズラ殿が復讐を遂げたとして、その後の話であります」


 つと、足を止めそうになる。


(……考えたこともなかったな)


 俺が復讐すべき相手は正騎士――つまり、この帝国そのものといっても過言ではない。

 だからといって諦めるつもりはないが、すべてが終わった後に俺自身が生きている確率は限りなく低い。


 万が一“白い鎧の騎士ホワイト・ライダー”と刺し違えずに済んだとしても、良くて憲兵に捕まって公開処刑、最悪は私刑――生きたまま妖魔ダスクどもの餌にされるといったところか。

 それぐらいの覚悟は、もう済ませてある。


 ――俺の沈黙をどう捉えたのか、シャーロットが続けた。


「必要な情報を得たら、カズラ殿は家庭教師の任を降りるのでありますか?」

「……よかったな。お前達の望みが叶う」


 大切なお嬢様の傍に居座る危険な異邦人。

 親衛隊として排除しておくに越したことはないはずだ。


「それは――誤解であります。カズラ殿」


 今度こそ俺は肩越しに振り向く。

 揺れる炎に照らされた新緑色の瞳が、こちらを見つめていた。


「自分はこれまで見てきました。あなたがお嬢様の心に火を点けたのを。傷つくことも傷つけることも恐れていたお嬢様が自ら剣を取ったのを。何よりも……お嬢様があなたに心を寄せているのを」


 敵意も侮蔑も懐疑もない。

 ただ真っ直ぐに俺を捉える眼差し。


「降りてほしいのは家庭教師ではなく、復讐の方であります。カズラ殿」


 俺は。

 咄嗟に返す言葉を思いつけず、黙ったまま正面へ向き直った。


「……ベルヒカ隊長は、ただの痩せたガキだった俺とサクヤを拾って訓練してくれた。生きる術を教えてくれた人だった」


 我ながら唐突だと思う。

 だが、他に話すべきことが思いつかなかった。


「サクヤというのは妹だ。血の繋がりはない。難民キャンプで頼る家族がいなかった子供の遊びみたいなものだ」


 扉の残骸を押しのけ、枯れ草やツタを切り払いながら廊下を進んでいく。


「メトットは臆病だったが、立てる作戦は綿密だった。大物の相手はいつもウェンライがしてた。アローの正確な弓には何度救われたか、数え切れない。ホグダとドミトリの手にかかれば、不味い保存食も絶品に変わった。シェワンナは本当にだらしない女で――」


 俺は語り続けた。

 “宵星部隊ヴェスパーズ”の連中のことを、思い出せる限り。


 やがて目的の部屋にたどり着くまで。


「今はもう誰もいない。憶えてもいない。俺以外の、誰も」


 錆びて朽ちかけたドアノブに手をかける。


「あいつらの死は揉み消された。いなかったことにされたんだ。“白い鎧の騎士ホワイト・ライダー”を操る連中の手で」


 震える手が――込めた力が、ノブを砕きそうになる。


「俺まで、あいつらをいなかったことにはできない」


 あいつらが受けた仕打ちを、痛みを、怒りを、苦しみを。

 ぶちまけずに生きていくことはできない。


 ――耳朶をひっかくような軋みをあげて扉が開く。

 崩れかけた小部屋には、一人の女性が横たわっていた。


「――この方は……まさか」

「そういえば、お前も知りたがっていたな。こいつが何をしたのか・・・・・・・・・・


 ローズ中尉――妖魔ダスクに体内のマナを吸い尽くされた女騎士は、未だ意識を取り戻さないまま、ベッドの残骸に横たわっていた。


「この女の目を覚ましてやってくれ、シャーロット。言葉が話せる程度にな」

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