第20話 空白の騎士
“
任務中だった
奴を殺すために、俺は今日まで生き延びてきた。
(……マリア・デイブレイクが“
甲冑の下の顔を見たわけではない。
だが、ヤツはかなりの長身だった。マリアは中肉中背といったところだ。
(なら、どうして名家のご令嬢が――あの殺戮者のように戦える?)
テクニックやスキルだけの問題ではない。精神面でも――あれほど気負いなく敵の命を奪えるのは、尋常ではない訓練を経たか、ある種の天賦を持つ者だけだ。
(まさか。デイブレイク家が関わっているのか?)
だから騎士団の上層部は、あの事件を隠蔽したのか。
まさか。そんな、いや、しかし。
「――あの、先生? また怖い顔になってますけど……どうしたんですか?」
ソフィア嬢の声で我に返る。
彼女は上目遣いで俺の顔を覗き込みながら、
「はい、これ。ちゃんと取っておきましたよ、ビスケット」
目の前に差し出されたビスケットを反射的にかじると。
「ひゃっ、あっ、せ、先生っ!? 今、これっ、あーん、あーんじゃないですか先生っ!?」
ボリボリと咀嚼しながら、俺は立ち上がった。
「ソフィア君。すみませんが少し用事ができました。残りの試合を見たら、先に屋敷へ帰っていてください」
「な、ななな、えーっ、なんですかっ!? 置いてけぼりですか!? ちょ、待ってくださいよせんせーいっ」
呼ぶ声を背に俺は客席を降り、選手用の通用口へ向かった。
試合を終えたマリアは必ず通るはずだ。
(どうする。どうやって近づく。情報を手に入れる)
考えをまとめながら歩いていると通用口まではあっという間だった。
候補者や従者でざわついている中で【
やりすぎかもしれないが、万が一“
しばらく待っているとマリアが出てきた。
遠目に見たときと同じく物静かな風貌の少女。ブルーグレーの瞳は伏し目がちで、真っ直ぐに伸ばされた髪は薄暮のように柔らかな黄金色。首元には彫金されたチョーカー。
(重要なのは彼女じゃない。周囲の人間に注目しろ)
あの徹底した殺戮方法をマリアに叩き込んだ人間がいるはずだ。
(まさかこんな形でヤツの手がかりが掴めるとはな)
不向きな家庭教師業に励んだかいがある。
貴族令嬢のご多分に漏れず、マリアも親衛隊とメイドを三人ずつ連れていた。
全員が女性で、飛び抜けて長身の者はいない。
(……一人を除いては)
正確には、
纏っている
親衛隊のコートには、デイブレイク家の紋章に因んで紫苑が配されている。
だが、女のコートは純白だった――潔癖と言っていいほどの。
(アイツが)
あの日から探し続けてきた相手なのか。
サクヤを、ベルヒカ隊長を、みんなを殺した仇なのか。
「……ど、ど、どうしたの、ローズ先生?」
「いえ……何でもございませんよ、マリアお嬢様」
マリアと白衣の女――ローズの視線が重なる先に、俺はもういなかった。
危ういところだった。
感情に流されて【
こんなことで失敗しては
(必要なのは情報、そして計画だ)
ローズという女に関する情報。
そして、ヤツを確実に仕留める方法。
冷静になれ。
ようやく本来の仕事にかかれる時が来たのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人類の希望と繁栄の象徴、帝都ソル・オリエンス。
綿密な計画のもとに生み出された
その周縁部には、支配下にある植民地や遠い異国との取引を担う港がある。
日々さまざまな人や物資が行き交うこのエリアは、帝都の大動脈であると同時に澱みでもあった。
真っ当なルートからこぼれ落ちた人や情報や金が集ううちに生まれた、帝都の暗がり。日陰者が集まる場所はどんな街にも存在するが、世界最大の都の影となればそのサイズも大きくなる。
潮風に混じって届く腐臭ともつかぬ気配に、俺はうんざりとしていた。
(いつ来ても嫌な気分になる場所だな、ここは)
失意とともに騎士団を去り、後悔と憎しみに塗りつぶされた日々を思い出すからか。
それもあるがそれだけではない。
(もっと昔を思い出すからだ)
騎士団に拾われて救われたかと思ったが、放り込まれた難民キャンプも荒野と大差ない環境だった。人と人との摩擦がある分、なお悪かったかもしれない。
ここは、あのキャンプに似ているのだ。
快いものは何一つなく、照りつける日差しも乾いた土も腐った水も、すべてが自分を殺そうとしているように思えたあの場所に。
……俺はつまらない空想を捨てて、足を速めた。夜明け前にはモーニングスター邸に戻らなければならない。
「……まだここにいるといいんだが」
潮風と日差しで痛み、いつ崩れるとも分からない安普請。それがいくつも重なって谷を成した通りというのは、仮に清潔だったとしても足を踏み入れるのに勇気がいる。
アメリア少将から支給された上等なブーツのつま先が汚物に触れたのを見て、俺は少しだけ罪悪感を覚えた。
通りの奥、袋小路にある朽ちかけたスイングドアをくぐる。
「まだ開いてねェよ。帰んな」
そこは酒場だった。
といっても、あるのは酒だけで客はいない。いくら落ちぶれたスラムの住人でも、茶色い汚れのこびりついたグラスで酒を飲みたいとは思わないのかもしれない。
「相変わらず暇そうだな」
「……嘘だろ。とうとうオイラも幻覚を見るようになっちまったか」
カウンターの向こうにいた髭面の男が、額を抑えて呻く。
「どうせ見るならこんな嫌味な野郎じゃなくてマリーちゃんの幻覚が良かった。口以外をラバーで覆った姿のマリーちゃんが」
「それ誰だか見分けつかないだろ」
俺が言うと、髭面は持っていたグラスを取り落した。
砕け散る音。
「……まさか。本当に
「まともな酒どころかまともな情報も手に入れられないんじゃ、処刑されるのはお前が先だな、ジェームズ」
カウンターに並べられたスツールに腰掛ける。歪みがマシな物を選んだつもりだったが、軋みは断末魔に近かった。
「そッ、そういや
「つまらない質問に答えるためにわざわざ来たと思ってるのか?」
騒ぐジェームズを視線で黙らせる。
「デイブレイク家に出入りしている家庭教師の素性が知りたい。女だ。名前はローズ、二十代後半、中尉。所属は分からん。白い騎士用の
説明しながら、コートに下がっていた階級章を思い出す。
ジェームズは首の下まで達した顎髭をグシグシと揉みながら、
「オイオイ、セキュリティの固ェ名家の情報だぞ? 脱獄囚の財布にゃいくら入ってんだ?」
「貸しがあるだろう」
「治安部隊の連中を追い払ったってェ件なら、ありゃもうチャラだ」
俺は右手をカウンターに置く。
「なら、俺を治安部隊に売った件はどうだ」
「オイオイ、人聞きの悪い話はやめてくれよ。オイラァ、信用第一の商売やってんだ、客をお上に売るなんて真似は――」
そして素早くジェームズの顎髭を捉えた。
逆の手で、彼がカウンターの下から抜き出そうとした包丁を抑え込みながら。
「俺が知りたい情報を素直に教えるか、指を全部切り落とされてから教えるか。好きな方を選べ」
「ちょっ、待っ、待て、待ってくれデイガン! 誤解だ、全部誤解なんだよッ!」
抑えていた手から包丁を掠め取ると、ジェームズの右手をカウンターに縫い付ける。
溢れる血と悲鳴。
「いっ、ぎゃっ、アッ、アッ、あああああああッ」
「必要なことだけを喋れ。一つでも嘘を言ったら殺す。言い訳をしても殺す」
俺としては丁寧に説明したつもりだったが、ジェームズにはまだ伝わっていないようだった。ナイフを軽くひねる。
「違っ、オイラぁ――ぎゃああああああああ」
「言い訳も経緯もどうでもいい。ローズ中尉の情報だ。ご自慢の人脈と記憶力とやらの成果を見せろ」
元は兵站部隊の一兵卒だったジェームズがこんなスラムで店を構えているのには、それなりの理由がある。
理由と言っても悲しい過去などではなく、単なる商機と能力、そしてモラルの欠如だが。
スラムで生き抜くには十分すぎる理由ではある。
「……デイブレイク家の、家庭教師っ、ヤツぁ、特殊部隊のっ、出身だっ」
「部隊名は」
「経歴書ではッ、
悲鳴の上げ方からして、どうやら本当らしい。
「任務歴は? 二年前、どこで何の任務に当たっていた?」
「言っただろッ、全部、
具体的な情報はゼロ。所詮は街の情報屋か。
(少将閣下がもったいぶるほどの情報が、こんなところに落ちているはずもなかったな)
俺は包丁をジェームズの手から引き抜くと、手刀で叩き折ってから捨てた。
「最後に教えてやる。俺が脱獄したって話は売ってもいいが、金にはならんと思うぞ、ジェームズ」
「う、うるせェッ、このッ、クソ野郎ッ! テメェなんざ、治安部隊の連中に生皮剥がされて死ねッ、クソがッ!」
聞くに堪えない罵声を無視して、俺は酒場を出た。
……ジェームズが情報を流したせいで俺が捕まったのは事実だ。
ヤツのせいで俺は最低の独房暮らしをせざるを得なかった。
脱獄が成功した暁には、犬に食わせるぐらいの復讐はしてやろうと思っていたのだが。
だが、今となってはどうでもいい。
結局は巡り巡って、あの女――ローズを見つけられたのだ。
どうにか接点を作り、事実を確かめる。
ヤツは何者なのか。何故、任務中の
どこかに黒幕がいるのか。
(殺すのは、その後だ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます