死刑教師 ~最凶死刑囚がポンコツ令嬢を鍛えたら歴代最強の勇者になってしまったんだが

最上へきさ

第0話 はじめての個人指導

 思えば。

 貴族令嬢の私室に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。


 繊細なレースのかけられた窓、差し込む陽光、活けられた花から漂う甘い香り――

 白を基調とした清廉かつ優美な部屋の中で。

 ただ一人、俺だけが浮いていた。


 つい昨日まで独房で死刑を待つばかりだった俺。

 晴れて無罪放免になった、というわけでもないのに。


 一体どうして、ご令嬢の私室で頭を垂れているのか。


「お初にお目にかかります、お嬢様。俺はカズラ。退役騎士です。母君からお聞きになっているかと思いますが、今日からあなたの専任教官として――」

「まあっ! ではあなたが、わたしの練習相手・・・・なんですねっ」


 ご令嬢は嬉しそうに笑いながら、両手を胸の前で合わせる。


 掛け値なしの美少女だった。

 柔らかくうねった銀髪とルビーを思わせる赤の瞳、そして白くきめ細やかな肌は、伝説に謳われる『勇者ブレイヴ』と同じ。

 十五歳という年齢の割に成熟した身体つきは、彼女の母親と同様。


 勇者とも母親とも違うのは、眼差し。

 というか、纏う気配そのものだ。


 まるで太陽のような――と言っても熱く燃える朝焼けではなく、眠気を誘う木漏れ日のような、柔らかな雰囲気。


「わたし、ソフィア・モーニングスターと申します。どうぞよろしくおねがいしますね、カズラ先生っ」


 護国の英雄『勇者ブレイヴ』の血統クラスを受け継いだモーニングスター公爵家のご令嬢。


 俺のような――故国を焼け出されて騎士団に拾われ、血と泥にまみれて戦場を駆けずり回った挙げ句、今や死刑囚に身を落とした男とは、真逆の存在。

 輝ける未来と希望を体現したかのような乙女。


「それじゃ、ちょっと恥ずかしいですけど……早速、見てくださいっ」


 ソフィア嬢は握りこぶしを作って宣言すると、おもむろに――

 ブラウスのボタンを外し始めた。


「んしょ、んしょ、んしょっ」

「……えっ?」


 彼女は何をしている?


 ……理解が追いつかない。

 俺が仰せつかったのは、ただの家庭教師だ――死刑囚を、深窓の令嬢の教育係に任命するという発想自体がただごと・・・・でないことはさておいて。


 このゆるくてふわーっとした、勇者ブレイヴ向きには見えないホニャホニャっとしたご令嬢を騎士として鍛え上げ、母親と同じ地上最強の騎士――勇者ブレイヴにする。


 そうすれば数々の罪を許し、死刑を免除してくれる。

 そういう契約のはず。


 なのに。


(ご令嬢の夜伽は、条件にないぞ――)


 などと俺が動揺している間に、ソフィア嬢はすっかり準備を整えたようだった。


 広げた襟元から覗く、豊かな胸の谷間。

 下着に施された細やかな刺繍をブラウスに浮き上がらせながら、しなっとした仕草で、


「ワタシィ、胸ガ苦シイノォ……擦ッテクダサラナイィ?」


 ……だから、何をしているんだ?


 まさか笑わせにきているのか? 公爵家秘伝のジョークなのか?

 美人局あるあるを敢えて三文役者風の棒読みでドヘタクソに演じてみせることで笑いを誘い、こちらの緊張を和らげようとかそういうなんか超長期的な視座に立った複雑かつ高高度な戦略的手法なのか――


「……どうですか?」


 どう、とは。


「あの、その……ドキッとしましたか?」


 もしかして、ここで「いえまったく。私はお嬢様をそういう目で見ることは一切ありません」と答えなかったら即解任即斬首とか、なんかそんな感じの初回テスト的なヤツか。


(いやダメだ。分からん)


 考えてもさっぱり分からん。

 ご令嬢は何がしたいんだ。


「……お嬢様。これは私のモラルを試しているのでしょうか?」

「お嬢様だなんて。どうぞ気軽に、ソフィア、とお呼びください、カズラ先生っ」


 呼べるか。アンタは公爵令嬢だぞ。

 皇帝陛下に次ぐ権力を持つ大貴族モーニングスター家のご息女なんだぞ。

 公爵にして少将の地位を持つアンタの母親の機嫌を少しでも損ねたら、こっちは即死なんだ。


 ……そんな事情をご令嬢に説明したら、もちろん斬首なのだから、まったく少将閣下は抜かりがない。

 まあ死刑囚を娘の家庭教師にしたなんて誰かにバレたら困るのだろうが。


「……ソフィア様」

「ソ・フィ・ア、です」

「…………ソフィア…………嬢」

「あ、ソフィアちゃん! ちゃん付けでもいいですよっ」


 ああもう、呼べる訳ないだろうが!


「……ソフィア君」

「むー。仕方ないですね、良しとしましょう。君付けは先生っぽくてちょっと素敵ですし」


 やれやれ、面倒なお嬢様だ。


「それで、ソフィア君。今のはなんだったんでしょうか」

「色仕掛けですよっ! 『勇者』の血統クラスを受け継ぐ“器”として、より優秀なパートナーを捕まえるための交渉スキルですっ」


 なるほど本気だったのか。

 うん。


 ますます、どうリアクションしたら良いか分からない。

 ちょっとでもバカにしたら八つ裂き刑かもしれん。


 ……話を本筋に戻した方が良さそうだ。俺は世辞が得意な方じゃない。


「……ソフィア君。俺は現役時代、近接戦闘兵種クラスの騎士でした。ここには、戦闘用のスキルとノウハウを教えに来ています。あなたを聖クリス・テスラ女学院で最も優秀な勇者候補生ルシファーにするために――」

「ええ、分かっています! でもそれは無理なので諦めてくださいっ」


 オイ何を言ってるんだお前は。

 ……喉元まで出かけた言葉を、必死で飲み下す。


 ソフィア嬢は悪びれもせず満面の笑みで、


「わたし、お母様のような“剣”には向いていないと思うんですっ。ですから、血筋を次代へつなぐ“器”を目指そうと思って!」


 再び両肘で豊満な胸を強調しながら。


「だからカズラ先生には、わたしの魅了チャームスキルの訓練を手伝っていただきたいんですっ」


 いやそっちの方が向いてないだろ。


 ――あまりにも堂々とした訓練放棄ボイコット宣言に、俺はめまいを憶える。


(クソ、一体、何なんだこの状況はッ!)


 そもそも、どうしてこの俺が――殺人、強盗、誘拐、共謀テロ、脱獄未遂、その他諸々の罪で死罪を言い渡された俺が。

 よりにもよって、こんなスットボケた公爵令嬢の家庭教師なんてやる羽目になったんだッ!?

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