漫画家のメイドさん?

無頼 チャイ

第1話

 良く晴れた青空と程よい気温。風は適度に吹き、遠くからさざ波の音が聞こえる。

 肺の空気を入れ換えて、かすかな不安の重りを軽くする。


「研修はしたし、大丈夫よアタシ!」


 胸の前でぎゅうっと拳を握るが、段々と緩くなりしまい込んでいた失敗の想像が垂れ流れてしまう。

 失敗したらどうしよう、お客さんに失礼はしないかな、お皿とか割ったらどうしよう?


 目の前の一軒家を注視した。海に近く白色が基調の二階建ての家を。


 自分の手によってボロボロにならないか、締め切りが迫った時のように落ち着かない。


「もう時間ね」


 仕事道具を詰めた手提げ鞄から、手を扉横のインターフォンに移動させ軽く押す。目の前の扉越しに音が反響するのが聞こえた。

 その後、ドタドタと濁った音。反射して体が強張った。


「大丈夫、この感覚も含めて経験よ。メイドさんがどんな気持ちなのか調べないと」


 それは先月の事、編集者から突然メイドさんを題材にしたマンガを描いてほしいと依頼されたからだ。

 何を狙ってるのかは分からないけど、メイドさんというものを調べて、それを紙に描くのだ。


 恋愛漫画で新人賞を取り、アニメ化、ドラマ化を果たした自分のプライドにかけて。


 スッと息を吸い、息を吐き出した。

 自分なら出来ると暗示を数度かける。


『……はい、何でしょうか?』


「ひっ……!」


 インターフォンから男性の低い声が発せられ、心を大きくよろけさせる。

 大丈夫かな、ううん、研修はしっかりした。自信持ってアタシ。


「家事代行サービスの白井 メイです」


 不安を見せぬようはっきりとした、それでいて穏やかな口調を務める。


『分かりました。今扉を開けます』といって音声が切れ、太鼓を鳴らすような軽快な震動がこちらに迫る。



 無意識に体が震えだし、腕を握って抑える。


 待つこと数分、扉が開かれる。


「おはようございます! 本日はよろしく……」


「あれ? もしかして白井か? どっかで聞いた名前だなと思ったけど、まさか同級生が来るなんてな」


 言葉とは反対に、興味無さそうに見下ろす彼は、同じ高校に通う吉川君だ。

 同じクラスではあるけど、一匹狼で何を考えてるか分からない怖い人。


 固まってるアタシを余所に、吉川君は仏頂面で話を進める。


「同級生なら堅苦しく話さなくていいな、入れよ」


「お……お邪魔します」


 促されるまま玄関を上がり、リビングへと案内される。

 テーブルやテレビ、台所がある。ベランダもあり、その奥には洗濯竿が確認出来る。


「やってほしいことはこの部屋の掃除と昼食の支度だ。部屋は綺麗にしてあるから時間かけなくて良い。料理は基本的に何でも食べれるから十二時までに適当に作ってくれ。材料は冷蔵庫に詰めてあるから」


 何かあったら二階に来てくれ、それじゃ。といって消えた。


 依頼内容の確認も出来ずに一人残されてしまい、どこからか木枯らしが吹く。


 何てマイペースな人何だろう、話してみると嫌な人だな。

 無表情の依頼人への文句も程々に仕事へ取りかかった。


 まず最初に、服の汚れをクリーナーで取り、終わったら手を洗う。その後鞄に入れていたエプロンを身に付け髪を輪ゴムで結わい付ける。


 清潔な格好になったことを確認し終え、置いてあった掃除機のコードをコンセントに差し入れる。空気を吸い始めた頭を器用に動かし、床全体の埃を吸い上げる。


 それが終わると、台所にあったバケツに水を入れ雑巾を投入する。掬い上げて軽く絞ったら、床を丁寧に拭きだす。


「思ったより楽だな~」


 表情が綻んでいく、気付いたら鼻歌混じりに仕事を進めていた。

 全体が拭き終わり、ベランダを開けて換気する。心地よい海の鈴音すずねが部屋中に響き渡った。


「海って良いな、こうして漫画描いたら捗りそう」


 海を見ながら優雅にペンを走らせる自分を想像する。窮屈な作業場とは違い、開放的で何にも縛られない自分を。


 想像に没頭すると、心の奥がチクっとした。

 自由に漫画を描いていた頃と違い、今は締め切りに迫られ、苦しくてもペンを握らなくてはいけない。


 楽しそうに漫画を描いていた自分が遠く感じ、完成したときの感動さえ掠れて思い出せない。


 溺れたような息苦しさをゆっくりと頭を振って追い払う。


「今度描くお話しの舞台は、海が見えるところにしようかな」


 名残惜しみながらも、部屋に戻った。


「さて、次は昼食だね」


 冷蔵庫を開けると食材が豊富に用意されていた。

 いくつかの食材を取り出し、料理を進める。


「メイドさんって言ったら、やっぱりオムライスよね」


 我ながらくだらない連想をしたものだ。

 業界の色に染まってしまったことへ苦笑しつつも、手早くケチャップライスを用意する。


 料理は得意なので、作業はスムーズに終わり、あっという間にオムライスが出来上がる。サラダとスープ、デザートにリンゴを追加し、拭いたテーブルの上に並べた。


「ちょっと時間があるな、どうしよう」


 食事を作り終えたら、依頼人と会社に報告して帰るつもりだったが、時間は微妙に残っていた。


「せっかくだし、料理の感想聞こうかな」


 上手く出来たので、仏頂面の同級生が美味いといって頬張る顔を見てやりたくなった。

 二階へ上がり、いくつかあるドアから一つだけ物音がした。

 きっとここだと確信し、ノックをして部屋に入る。


「吉川君、昼食が出来たから下りてきて」


「悪い。今手が離せない」


 部屋に入ると、吉川君は何かに向かってペンを走らせていた。

 何だろうと覗き込むと、それはよく知るものだった。


「吉川君、漫画描いてるの?」


「ああ、そうだ」


 コマの中で真剣な表情の青年が少女の肩を握って何かを叫んでいる。


「これって、何かな」


「主人公がヒロインに告白するシーン」


 事務的に答えるが、ペンを持つ手は忙しく動く。

 青年や少女の格好を見るに、ファンタジーマンガでも描いているのだろう。

 部屋を見ると、カーテンは閉じられ、ベッドの上には紙が散らかり、床は本や教科書、制服まで散らかっている。


 何故この部屋を掃除させなかったのか疑問に思えた。


 とりあえず止めさせようと声を掛けるが、生返事が返るだけ、数回声を掛けたが、どれも気の抜けた返事ばかり。


 人に対して失礼過ぎる、ここはきちんと言わないと!


 今までの失礼な態度も合わせ、一言言ってやろうと机に片手を勢いよく乗せ、顔を覗き込んだ。


「さっきから失礼じゃない! 一言ぐらいお礼も言えないの!」


 エコーでもかかったように部屋中に反響する声、でも、吉川君は手を止めない。


「……漫画なんて苦しいだけなのに」


 口から溢れるように本音がこぼれた。


 もう止めようかって何度も考えた。頭を抱えてまで描きたいとは思わない。普通の女子高生として生きたいとも思った。


 それなのに、何故か今も描いている。


 そのせいか、黙々と描いている吉川君が憎く思えた。こんな苦労して描いているのに、涼しい顔して描かないでって。


 すると、吉川君は手を止めてアタシを見た。


「苦しい時もあるけど、でも――」


 無表情の顔が、穏やかな色に染まり。


「楽しいだろ」


 聞いた瞬間、初めて漫画を描いたときの喜びを思い出した。


 暖かくて、誇らしいあの感覚を。


「白井、大丈夫か?」


 突然の声、吉川君の声だが、何故かとても恥ずかしい。

 血液が沸騰したかのように顔が熱い。


「白井?」


「こ、こ、今回のお仕事は終わりました! そ、それじゃあ!」


 制止する声に耳も貸さず、逃げるように鞄を持って家を飛び出した。


 数分すると落ち着いたが、思い出すとあの台詞が何度も木霊した。


 でも、少しだけ幸福に感じた。

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