第3話 SNS消防隊③
ついに中指が―――
触れなかった。
上手く躱したbotは俺を馬鹿にするかのように、一度ジャンプすると路地に入り込んでいった。
「くっそ、調子乗ってんなよ!」
速度を落とすことなく、奴の背中を追う。
細い路地を何度も曲がり、俺を巻こうとしているようだが、俺の目はしっかりとbotの姿を捕らえていた。
必ず捕まえる。
お前らのせいで、苦しんでる人が大勢いるんだぞ!
再び距離が縮まる。
「今度こそ!」
指が背中に触れる。
捕らえた!
しかし、やはり触れただけだった。
またもや俺の手から逃れた奴は近くにあったアカウントの中に入り込む。
「何だと?」
他人のアカウントと言えど構ってられない。
「お邪魔します!」
すぐに玄関を開けると、中は文字通り真っ暗だった。
闇、と言う方が上手く形容できている気がする。しかし、闇と言っても完全な闇ではなかった。暗闇の奥の方に一本の白く明るい光の線があった。その明りのおかげでbotが白い線の方へ走っている姿も視覚できた。
一瞬、このまま進むか迷った。
この暗闇を走って行かなければならない。
仮に捕まえられたとして、果たしてここへ戻って来れるのか。全て真っ暗が故に距離感がつかめない。
でも、やるしかないよな。
心の憎悪が答えだ。
右足を上げ、前へ突き出す。続けて左足。
足元がわからない。ちゃんと地面を踏んでいるのかもわからないし、地面があるのかもわからない。
体感時間も麻痺してきていた。
何時間も走り続けているようで、数秒のようにも感じる。
本当に何もない闇。何もわからないのだ。
何なんだここは。ここはおかしいぞ。
気が付けば、botはかなり遠くへ行っていた。距離感はわからないと言ったが、さっきよりも差が広がっている。それだけはわかっていた。
あいつはどうしてあんなに動けるんだろうと思う。
そのbotの姿は白い線の中に入っていき、消えた。
「くそ!」
俺は一人、何もない空間で無意味に走り続けていた。
どうすればいいかわからない。
きっともう、SNSの世界にさえも戻れない……。
「お疲れ様、流」
聞き覚えのある声と共に、大きな手が俺の左肩に乗る。そのまま手首へ、顔へと視線を移し、その正体がイノヤマだとわかる。
「隊長! 救出は?」
「無事成功したよ。それよりもお前、よくここまで追いかけられたな。で、ここがどういう場所かわからずに戸惑っているって感じだろ。俺が教えてやるよ」
と、イノヤマは奥に見える例の白い線を指差し、当たり前のように説明を始めた。
「あの光はアカウントの持ち主の魂がある、『狭間』だ。俺たちはあちらの世界にはいけない。どうやら、あのbotは移動できるようだが」
そうイノヤマは淡々と語るが、それよりも気になることがあった。
「……どうしてここが?」
救助を終えたイノヤマにヨシオカやサイトウが俺のことを伝えたとしても、俺はかなり走って現場から移動している。距離も離れているはずだ。ましてや通信手段を持たないのに、こんな空間にいる俺の居場所をどうして?
「俺の能力はここみたいなアカウントの空間内を自由に移動できる能力だ。このアカウントに辿り着いたのは、botが入り込んだせいでエラー反応が出ていたからな。ちょっとバグが起きてるみたいだから、そこの仕事を少ししてから帰ろう」
そのバグが起きたのは、俺がbotを捕まえるのに手こずってしまったからだ。挙句、捕らえることもできずに、隊長の仕事を増やしてしまった。
「すみません……。俺のミスで……」
やはり、何もプログラミングされていない俺が、この世界で上手くやっていくことは不可能なのだろうが……。
「お前が何を考えているのか知らないがな。そんなに気負うなよ。突然こんな世界に投げ出されてしまって、かなり苦しいんだろ。HKMへの憎しみがさらにお前を苦しめてる。俺らからしたら、お前も被害者なんだよ。もっと被害者面しとけ」
「……隊長」
彼なりに励ましてくれたのだろう。決して苦しみがなくなるわけではなかったが、少しだけ気持ちは楽になった。
「さてと」
と、イノヤマが一歩前に出る。
「俺の仕事はなかなか目にする機会がないと思うからな。メインの仕事じゃないといえ、せっかくだ。俺のもうひとつのプログラムを目に焼き付けていけ」
ふぅーと息を大きく吸い込むイノヤマ。
周囲の空気が緊張する。
一度目を瞑り、一気に大きく見開いた。
「アクセス」
そのたった一言で、今まで真っ暗だった闇の中が薄い青色の『0』と『1』で敷き詰められる。
どこを見渡してもその二つの数字があり、先ほどの闇とはまた違う不思議な空間が生まれていた。
「こ、これは?」
「このシステムのアカウントを可視化しただけだ。これも俺の能力にひとつだ。自慢をするわけではないが、この業界の人は多くいるのに、俺のような複数のプログラムかつ強力なプログラムを持つ者は数えるくらいしかいないんだぜ」
とイノヤマは得意そうに笑う。
彼は目を凝らし、空間内に広がる『0』と『1』を眺めていると、突然「あれだ」と指を指す。
その先にあった『0』は他の青い数字と違い、赤く表示されていた。
「あれがエラーだ。あれを『1』に直せばいい」
イノヤマはその『0』に向かって歩きだす。
俺は全く移動できていなかったのに、これが隊長の力か。
「流も来い。今は俺の力が働いているからお前も歩けるぞ」
そう言われて、試しに一歩踏み出してみる。そして次の一歩。だんだんとペースを上げていると、打って変わって『歩いている』という実感があった。
「驚くのもしょうがない。こんな空間だ。たいていの奴らはよそのアカウントの中を気楽に歩けないからな」
「それはまた、なぜ」
「これはアカウントのセキュリティなんだよ。弱いプログラムはすぐに弾き出される。お前はプログラムじゃないから、異物と認識されにくく、弾き出されなかったんだろうな」
イノヤマに追いつき、近くで彼の仕事を見る。
彼が例の『0』に触れると、一瞬でそれは『1』へと姿を変える。色も他の数字と同様に青くなり、元通りになった。
「エラーの修理は俺くらいでもアクセスすればできるが、魂の救助は深くまで行く必要があるからな。サイトウにハッキングしてもらわなければ、俺のプログラムをもってしても難しい」
イノヤマいわく、魂が存在する『狭間』に近づけば近づくほどセキュリティが強く、移動が制限されるそうだ。
「だからまあ、今回はこれしか見せられないが、少しでもこの世界のことを知ってもらえたなら嬉しい」
救護室での様子からも思ったが、見た目の貫録に似合わず、優しい人物だ。隊長という役職にもふさわしい。SNS消防隊のメンバーは適材適所という感じなようだ。
「さて、一先ず署に戻るか。そこで今後の方針を考えよう。お前をどうするかについてもな」
なぜ俺はこの人のことを優しいと思ったのだろう。
すごく恐ろし気なことを言われたんだが。
「おっと、ひとつ仕事を忘れていた」
「まだあったんですか?」
「大事な仕事だ。被害者のアフターケア。ヨシオカの出番だよ」
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