第1話 SNS消防隊①




 状態は安定しています。何の問題もありません。直に目を覚ますでしょう。


 そんな掠れた男性の声が耳に入ってくる。視界は真っ暗で何も見えなかったが、ただ目を瞑っているだけだとすぐに気が付いた。


「ありがとうございます」


 先程の男性とは違う、低い声。二人いるのか?


 重い瞼を何とか開くと、視界には保健室の天井と同じ景色が広がっていた。


「あ、目を覚ましたか?」


 突然、髭面の濃い顔をした男の顔が端から現れる。


「うわあっ」

「うおっ、すまない。驚かせてしまったな」


 と、彼は俺の驚きに対し申し訳なさそうな顔をした。この男は誰だ? そしてここはどこだ? 曖昧な記憶を辿っていく。 


俺は確か、ライブ配信でパクリだと中傷を受けて……それからどうなったんだ? ここは病院の個室のようにも見えるが……。まさか倒れでもしたのだろうか。いや、じゃあこの男は誰だ? さっきの会話から推測するにしてももう一人いた方が医者で、こいつは別の誰か……。


「まあ、そりゃあ困惑するよな……。何から説明すればいいのかわからんが、まずは謝らせてくれ」

「え?」


 ベッドの横にあった椅子から徐に立ち上がた彼を俺は見つめる。一体何を謝ると言うのだ。謝られるようなことをした覚えはないのだが。


「俺のミスでお前をこの世界に連れてきてしまった。俺の救助ミスで……。元の世界へ戻す方法もわからないんだ……」


 彼の表情は見えないが、心の底から謝罪しているのは語気から伝わってくる。とはいえ、『この世界』やら『元の世界』やら、わけのわからないことを言われているので、謝られている気分にはならない。


「その、こっちの世界とか、何のことっすか」


 純粋に疑問に思っていたことなのでひるまずに尋ねてみる。頭を上げ、険しい顔をしている彼はなぜか言いにくそうだった。


「……ネットワークの世界だ。お前がいた現実の世界とは違う、電子回路の狭間にできた世界」

「は? どゆこと」


 ネットワーク世界? サマーウォーズのOZ的なものだろうか。


 想像の斜め上の回答が来て、言葉が荒くなってしまった。いや、でもしょうがないだろ。ゲーム系ライトノベルみたいなこと言われても、普通に暮らしている人間からすればただの変な話にしか聞こえない。


「順を追って説明する。まずは俺の、俺たちのことだ」


 彼は腕を組み直し、一度咳ばらいをした。


「俺たちはSNS消防隊。ネットワーク上の炎上を鎮火するための部隊」

「ネット炎上……を?」

「そうだ。俺はその第四部隊の隊長のイノヤマ。主に鎮火と救助を行う。救助は絡まりまくったデータを魂から離してやることなんだ。魂は現実世界とネットワーク世界の狭間にあるんだが、それに失敗し、お前をこっちの世界に引きずり込んでしまったんだ」


 聞けば聞くほど嘘くさい。信じる方が馬鹿みたいだ。でも、それが本当ならば俺は元の世界に戻れないということになる。まさか、この世界で暮らせとでも言うのか? それこそライトノベルじゃないか。付き合ってられない。


俺はベッドの上に立ち、イノヤマの胸倉を掴む。しかし彼は動じず、俺を見下ろしたままだった。


「なんてことしてくれたんだよ! 助けを求めてないのに勝手に助けようとして、挙句失敗で元の世界に戻れないってどういうことだ!」


 俺の全ては現実世界にあるというのに。夢を叶えるチャンスも完全になくなった。例え、中傷を受けようとも、それでも音楽をしていたかったのに。


 それを、この人のせいで!


「……悪かった。俺の力不足だ」

「イノヤマ隊長は悪くないよ」


 無駄に貫録のある顔に殴りかかろうとした時だ。一人の青年が病室に入ってきた。俺より少し背が高そうだ。おそらく一八〇前後といったところか。年は俺の方が低そうだ。俺たちの方に向かって歩く姿は、どこか形容しがたい美しさのようなものがあり、一気に険悪なムードが消え去った。


「許せとは言わない。君の辛さが計り知れないのはわかっているつもりだよ。だけど、君にもイノヤマ隊長が悪くないことはわかってほしいんだ」

「……ヨシオカ」


 ヨシオカと呼ばれた青年は俺の手をイノヤマの襟から引き離す。


「俺たちSNS消防隊もあいつには手を焼いているんだ。『hokama』通称『HKM』にね」

「それって」


 聞き覚えのあるその言葉に、悪夢のような文字列が脳裏に浮かび上がった。俺をこの状況に陥れさせた悪魔。全ての元凶。


「そう。ネット界を騒がす放火魔だ。むやみやたらに白を黒に変え、燃やす。リーダー・閻魔が率いる集団だ。君を炎上させたのはそのリーダー」


 そんなやつ……。なぜアプリの運営が見放しておくんだろう。普通ならすぐに誰かが通報してアカウントが凍結されるはずなのに。


 俺の疑問に、ヨシオカは尋ねる前に答える。


「何が面倒って、その集団の規模が大きい事だ。アプリの運営にもおそらくメンバーが潜んでいる。だから彼らのアカウントが消されることはない」

「多くの人が犠牲になっている。俺たちは懸命に消化・救助にあたるが……救えなかった命もあった」


 続けてイノヤマが口を開いた。


「俺みたいな人が他にもいたってことですか」

「いや、違うんだ……。君はレアケースだ。死んでもいないし、生きてもいない」


 俺は死んでもいないし、生きてもいない。それはつまり、そういうことなのか?


「自殺してしまった人もいたんだよ」

「おい」


 ためらうことなく事実を言うヨシオカにイノヤマは一言で注意を入れる。ヨシオカはあまり反省していないようで、舌を出して返事をしていた。


 自殺してしまう人までいるなんて、なんて最低最悪な集団なんだ。あいつらのせいで辛い思いをしている人々がたくさんいる。あいつらのせいで俺みたいに夢破れた人が大勢いる。そう考えただけで胸が痛くなる。


「……許せない。絶対に許せない」


 心の叫びが表に出てしまう。しかし、止まらなかった。奴らへの憎しみが、恨みがどんどん体の底から湧いて出てきていた。


「そいつらが許せない。新たな被害者を出さないためにも、俺がこの手で葬りたい」


 ひとつ思付いたことがあった。どうせ元の世界に戻ることができないのならば、この世界でやれることをやる。それだけだ。


 俺は二人の目を見つめ、


「俺も消防隊に入れてください」


 と言った。


 イノヤマとヨシオカは俺のその言葉に一瞬驚いたよう素振りを見せた。しかし、ヨシオカは冷静に語る。


「俺たちもそうしたい気持ちで山々だけど、この俺たちでさえ手を焼いているんだ。何もプログラミングされていない君には、何もできないだろう」

「プログラミング?」


 またこの世界の新たな情報が出てきた。二人の説明によると、SNS消防隊は現実世界の人間によってプログラムされた浄化システムらしく、メンバーそれぞれに特有の力があるらしいというのだ。


「ヨシオカはカウンセリングが得意だ。被害者のアカウントにDMを送って心を癒すんだ。相手の応答によって適切な言葉をAIが選ぶから、生身の人間のカウンセリングよりも効果があるとされている」

「今日もそのために会いに来たんだ。君には必要なさそうみたいだけどね」

「そして俺のプログラムは……」


 イノヤマが自身の能力を説明しようとした刹那、非常ベルのような高い音が響き渡る。


『近くのアカウントで炎上発生。第四部隊に出動要請』

「え、ここって病院なんじゃ」

「あ、ああ。ここは署の医務室だ」


 え、そうだったのかよ。てっきり病院だと思い込んでいた。いや、今はそんなことを考えている場合じゃないようだ。


「君、名前は?」

「速水流です」

「流、君も一緒に来るか? プログラミングされたものがなくても、何かできることがあるかもしれない」


 イノヤマはそう言って俺に手を差し出してきた。


炎上で苦しむ人々を救い出してやりたい。そして『hokama』をこの世から消し去る。音楽に対する想いよりも強い野望が胸の内で燃えていた。


隊長の手を強く掴み、ベッドから降り立つ。


「もちろんです」

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