第二十話 捕虜の反撃
無数の風切り音の正体――それは、コウモリの大群だった。
同じ一つ目の小型で、おそらく上空の魔物は親玉に当たる。例えるなら女王蜘蛛と子蜘蛛のような関係か。
コウモリの大群が、三人へと襲いかかる。
「やばい!」
俺は不自由のまま腰へと手を伸ばす。ローブの下に隠し持っていたビギナーズナイフへ――。
まごついている間、リドとキナリが踵を返しくる。コウモリたちを背後に引き連れそのまま逃げ帰ってきた。
「「うわぁぁぁあああっ!」」
――よくもまぁそんな様で洞窟の探索に臨んだな。
苦々しくも苦笑いを浮かべてしまうほどに、彼らは自身の涙を置いてけぼりにして不恰好に逃げ回っていた。
「きゃあぁぁあぁあっ!!」
遠くでは――ひとり取り残されうずくまっている妹の姿。コウモリの大群に囲まれ、身動きが取れなくなっている。
俺はナイフで手のロープを切ろうと試み――手こずる。捕まった映画の主人公を思い描いて華麗に切り落とそうとしたが、そうそう上手くはいかなかった。
上空のゲイブエンペラーが大きく翼を鳴らす。
地上を見守っている様子から、獲物に狙いを定めたよう。巨大な目がぐるりと奇矯な動きを見せた。
肉食動物がハントするときは、ターゲットは決まって体が小さく機敏に動けないものを対象に定めるわけで――。
「やばっ!」
魔物が翼をはためかせ、突進するように彼女へと落下していく。叫ぶと同時に、ロープが切れた! そのまま右手を背に――。
少女が片目で上空を見上げては、
「きゃあぁっ!」
身を固くして悲痛なまでの悲鳴をあげた――。頭を抱え、うずくまったままの彼女へ、魔物の爪が襲い掛かろうとし――。
がきんっ!
すかさず間に入り、その攻撃を耐魔の盾で受け止めた――。
間一髪。俺という障害に
次いでもう一度背に手を伸ばす。器用さとわずかな幸運に恵まれて鉄の剣の柄ががすっぽりと手に収まる。
それを振り回し、彼女に群がるコウモリたちを追い払った。
小型のほうにやられたのか、彼女の手からは線を引くように血が流れている。 いまだ防御姿勢を解いていなかった彼女の手を取り、俺の持っていた手ぬぐいを包帯代わりに巻いた。
気づいて、涙袋に水を貯めた大きな瞳が見上げてくる。唖然と呆然をないまぜにしたような表情だった。
それにしても――妹、妹ねぇ。
「……名前は?」
「えっ?」
「名前だよ名前。ひとりだけまだ聞いていなかったから」
突拍子もない質問だったようで、ただでさえ大きな双眸がより一層丸くなる。
正確には、あのやかましい赤髪の名前もまだ聞いてはいないけど……まぁ今はどうでもいいか。
「……あ、あたし? ……ゆ、ユメナ」
「そ、ユメナね。――ユメナ。これ持っててくれるか?」
そう告げては左手の耐魔の盾を差し出す。
小人族であるためやはり大きいのか、持たされたユメナは盾の底を地面へ落とすようにぶつけた。軽い素材でも、少女の細腕には重荷のようだ。
それでも、ユメナの呆然としていた口がぐっと閉じられ、黙ったまま力強く頷いた。
ユメナの弱々しくも頼もしい表情を認めてから、俺は鉄の剣を両手で握り直す。
上空でこちらを見下ろす敵を正視――。制空権を得ているつもりか余裕をひけらかすように羽ばたいていた。
スキルを発動。
名称:ゲイブエンペラー
種別:蝙蝠種
ランク:G
ステータス:通常
???:???
???:???
??:??
??:??
???:???
うーん……やっぱり明らかにされている項目が少な過ぎる。
戦いを有利に進められそうな情報は得られない。
剣を構えなおすと、背後から声がかけられた。
「えっと、おまえ! これを使え! ――あと、これ、もっ!」
リドから投げられたのは、どうやら俺から奪っていた『力の指輪』――。取り零しそうになりながらも何とかキャッチし、すかさず左手の指へと嵌める。
次いで飛んできたのはスクロール。
「お前は戦わないのかよ!」――とも思うが、はなから期待はしていなかった。
それよりも、
「これ、封印されていて使えないんだよ!」
スクロールは固く結ばれたままだ。不思議な力――おそらく魔術か何かで開かないようにされている。
「ユメナが開けられるから!」
「へ? そうなの? ――って、そういうことは最初に言ってくれよ⁈」
昨日も同じようなことを言ったな……。俺は盾を預けた背後の少女へと首を向ける。
「ユメナ、これ開けてくれるか?」
「……」
返事がない、ただのしかばねか? とかそんなどうでもいいセリフが浮かべながら様子を見遣る。彼女は瞳に胡乱げな色を宿しながらこちらを眺めていた。
――手には俺が施した手当の痕。コウモリに麻痺毒などあっただろうか。
「ユメナ……?」
「……ん? あ、ご、ごめんなさいっ!」
我に返ったようにユメナの細い肩が跳ねる。瞳に光を戻した彼女は、俺の手にあるスクロールへと両手をかざした――。
何やら呪文のようなものを唱え始めると、ユメナの手の下で淡い光が漏れ出る。
短い間の静寂。そんな空気を割るようにばっさばっさと上空から音が下りてきた。上空へと視線を向けると、ゲイブエンペラーが間合いを図るように広い天井を旋回していた。
「……『ルミパス』」
ユメナの呟きめいた詠唱に視線が呼び戻される。巻物の紐が枝から落ちる蛇のようにするりと抜け落ちた。
「サンキュッ!」
「…………」
まただんまりのユメナを後にし、俺は勢いよくスクロールを広げる。
これでよしっ………………、
「――って読めないっ!」
いくらか覚えたこの世界の文字とも異なり、象形文字のような文字列をしている。
すると、俺の悲痛な叫びに答えてくれたわけでもなしに、縦書きの長文、その最後が光った。なんとなしに、目を凝らすような感覚でスキル『真眼』を発動。
――読めた! 俺の幸運タイムはまだ続いているらしい。
「…………これは……」
同時に聞こえる三度目の風切り音――。見上げると、滑空する直前のようにホバリングする魔物の姿――。
「えぇい、どうとでもなれ!『グラキス・ブリュー……』」
瞬間、取り巻く空気に冷気が混ざる。
――かと思えば、俺の左右に複数の細い氷塊が顕現する。
「……へっ?」
口から疑問を混ぜた息が漏れ――、
「――魔物に向かって手を振り下ろしてっ!」
俺が唖然としている様に、背後からの声。ユメナの叫びだった。魔物が上空から巨大な体躯を、重力に任せるように突進してくる。
「こう、か?」
俺は敵に向かって手を振り下ろす。氷の弾丸が斉射のように敵へと飛んだ。
先端の鋭利な氷が、敵の胸を、腹を、翼を刺し、血しぶきをあげさせる。
「ぎゅうぅいっ!」
コウモリ型の巨体、魔物が叫びをあげる。
最たるダメージは翼だった。穿たれた穴は空気抵抗でさらに広がり、羽ばたく姿を保てなくなる。地面へと激突した魔物は、その衝撃で胸や腹に刺さった氷がさらに食い込ませる。断末魔のような鳴き声――。
魔物は最後の力を振り絞るように、見ようによっては痙攣しているように身を震わせている。まだ――息の根はあった。
「…………悪いな」
俺は数秒だけ視線を落とし、手元の剣を逆手にして掲げた。
そして地面に向けた刀身の切先を、ゲイブエンペラーの喉元へと突き下ろす――。
短い声を最後に、魔物の動きが完全に停止した。
「ふぅっ……」
何に対するため息かもわからずただただ深く息を吐く。
次いで感じたのは、足元を伝ってくる地響き。
小型のコウモリのほうは、親玉が死んだからか蜘蛛の子を散らすように逃げていった。「――新手の魔物か⁈」そう思った矢先、俺の体は急激な重さに負け、膝をついた。
「やった! やったなお前! お前結構強いんだなぁ!」
「感心感服ですっ! まさかあんな大物をやっつけることができるなんて!」
「あわ、あわわわっ」
小ぶりな衝撃は――リドとキナリだった。背中と脇へ。体当たりを受けた俺は喉の奥からの酸っぱさを覚える。
ユメナは離れたところで盾を引きずって立っており、ときおり手が前に出たり引っ込んだりしている。二人に倣って飛びついていいのか、引き剥がすべきなのか、寸尺するような戸惑いが垣間見えた。
「いって、いってえぇなお前ら! ってかおりろ!」
乱暴に肩を叩かれ堪らず声を荒げながらに二人を振り落とす。俺のぞんざいな扱いにも、リドは小人らしい俊敏さに軽やかな着地を見せた。
「まったく……それにしても、スクロールの封印を解除できるなら最初からやっとけよ」
「だって、団長の前でやったほうが俺たちの株があがるかなぁ、って思って」
にししと衒いもない笑顔を浮かべるリド。
薄く口を三日月に曲げ、眼鏡の位置をなおすキナリ。
かすかに愁眉を浮かべながらも口の端を綻ばせるユメナ。
三人揃った顔貌に根負けしたようで、俺もつられながらほっと笑みを零す。わずかな達成感のようなものがじくと胸へと去来した。
ユメナが控えめに一歩を踏み出し、盾に顔を隠しながらポツリと呟いてくる。本当に独り言のようでまるで聞こえず、それが質問だと気づいてから俺は耳を近づけた。
「……ひゃっ…………あ、あの! その……お兄さんの、名前…………」
あ、そうか。そういえば一方的に聞くばかりで、俺の方こそ名乗ってもいなかった……。そんな当たり前のことに今さらながらに気づき、暇が無かったとはいえわずかに恥じながら、
「俺はイツキ。
ファミリーネームとの間にわざと一拍置く。
「イツキ……」
ユメナがぽつりと呟く。
「オレはリドナ!」
「私はキナリです」
兄のほうは「リドナ」だったか。これで「リドニー」の線は無くて「リド兄」が確定だ。
「あぁ、よろしくな」
――とりあえず、一寸先のことは一時的に脇に置き挨拶を交わす。
俺がいまさらのように手を差し出すと、リドナもむず痒そうに頬を掻きながら応じた。
「おぅ! よろしく!」
リドナが大げさに握手を上下させる。満面の笑みは、彼の年齢よりも小人族の体格に相応しいものに感じられた。
まぁそれはそれとして――
「イツキ、イツキかぁ。いい名前だな。ヒイなんとか難しくて呼びにくいけど。――まったく、捕虜のくせになまい、き、だ……ぞ……」
語尾に向かうに連れ目を見開くリドナの瞳。瞳孔が小さな玉みたいになっているのがなんとも笑えた。
その目にはきっと、さぞ俺の嗜虐的な笑みが映ったことだろう――。
リドナの首が油を差していない歯車のようにぎこちなく動いてはキナリへと向けられる。キナリもその様子に何かを察したようで、「あっ」とも「ひっ」とも取れる擦り切れたような息を吐いた。
ユメナだけが状況を把握できないようで、首を傾げている
――さてと、身体も自由になったことだし――。
「お前ら……」
「「ぎくっ‼︎」」
心の深淵から絞り出したような声が俺の喉を通り、握ったリドナの手を離さすまいと力を込めた。ただでさえ力の差がある種族間のうえ、俺のほうは『力の指輪』を装備している。
きっと万力のような圧を感じたことだろう。俺もそれくらいの私怨を込めて手元をぎちぎちにさせた。
二人が汗の玉を浮かべ、それがだらだらと頬を伝っていく。対する俺は意図的な笑みを貼り付け、顔を上げた。
「覚悟はできてるんだろうな…………?」
静寂さを取り戻した洞窟内――リドナとキナリの悲鳴はとてもよく響いた――。
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