終末の試練に世界樹の加護あれ! 〜柊一樹のダンジョン冒険奇譚〜

秋元 あきむ

序章

第一話 ドライアド

「さぁ、選びなさい」


 何も無い真っ暗な空間――。

 見渡しても一切の光が認めれない世界にいた。


 俺の名前はひいらぎ一樹いつき。順当に数えればもうすぐ高校二年生だ。

 趣味はアニメと漫画という、至って普通仕様の高校生――。


「選びなさい」

 

 そう促してくるのは眼前に佇むひとりの女性。

 只人ではないことは先ほどの自己紹介でも知った。優美な唇から滑り出た言葉は端的で、名前すらも名乗られはしなかった。

 ただ一言、「ドライアドの者です」と。


 ファンタジー定番の種族で、姿は想像に違わず美しいものだった。

 緑の髪質はどちらかというとターコイズブルーに近く、お約束の豊満ボディはシルクのドレスに包まれている。

 美しい肌を胸元から拝むことはできないが、首やら袖やらから覗く白磁のような肌は十分にその魅力に適ったものだ。


 ――だけど、そんなことはいったん脇に置いておくことにする。


 それ以上の状況説明もされないまま、ドライアドが差し出してくるのは一枚の紙だ。そこには、判読できないもののどうやら文字列らしきものが箇条書きに九つ並んでいる。


 俺は紙片へと視線を落としたまま、睨むようにして固まっていた。

 

「……」


 彼女は促すように再度無言で紙を突き出してくる。「選びなさい」と言外に表しているようだ。

 「異世界の文字だから読めない」とか、そんな空気の読めないことを言うつもりもない。


 そうではなく、それ以前の問題だ。

 俺は理解が追いつかないながらも逡巡し、顔を上げ、躊躇いながらも口を開く。


「あの……」


 目前の秀麗な姿を堪能したいところだが、今はそれどころではない。

 考え違いでなければ、紙の記載と彼女の言動は全く一致しないのだ。


「なんでしょうか?」


 ドライアドは首を傾げる。穏やかな弓なりの双眸にうっすらとした笑みを浮かべていた。

 「なんなりとお聞きを」と、なめらかな挙動は貴族のベテランメイドを彷彿とさせるよう。


「選べと言われても、もうすでに二重線が引かれているのですが……」


 紙片の文字列――九つのうち、八つには二重線が引かれていた。

 互いしか認められない夢現の真っ暗な空間で、しかも自らをドライアドと名乗る相手も大概常軌を逸しているが、それでも文字の上から線を引くという行為の意味するところは解釈の通りと信じたい。

 

「……」


 女性の首がさらに深く曲がった。おそらく「言っている意味がわからない」との仕草だろうが、それでも崩れない笑顔がちょっと怖い。


 女性は携えている紙を翻して自身へと向ける。

 「あらやだ」と口元に手を当てるドライアド。存外おばさんみたいだなとそんなどうでもいいことを思った。

 

「私ったら……うっかりしていたわ……」

 

 やっぱり、何かの手違いだったみたいだ。

 そう思っていると、またしても彼女は何も変わらぬその紙を俺の眼前へと突き出してきた。 


「お選びなさい」


 ――いやそれちょっと丁寧な口調になっただけじゃないか。 


 整った顔立ちから覗かせる、うっすらとした瞳は見る相手に畏怖すら抱かせる。透明度が高いのに底が見通せない湖を覗き込んいるみたいだ。

 有無を言わせぬ同調圧力に、後ずさりしそうになるのをなんとか踏み止まり、


「……ちなみに、この二重線が引かれたものは選べるんですか?」

 

 唾を呑み、薄氷を踏むような心境で返事を待つ。


 ドライアドが、咳払いをひとつした――。


「選べません」

「だったらー! これはもう『選べ』っていうか、むしろ『これにしろ』ってことですよね⁉︎」


 彼女がそれに応えてくれることはない。


「はぁ……なんでこんなことになってるんだ……」


 俺は額に手を当て肩を落とす。

 そうたしか――こんな状況になる前は、雪がうっすらと積もる寒さの厳しい日だった――。



= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =



「これ、よろしかったらどうぞ」


 夕日が沈んだあとが街中で、俺はとある女性から何かを渡された。

 雪のちらつく空模様の下、やや薄着とも思われた彼女の顔は目深に被られた帽子でよくは見えなかった。


 ティッシュあたりだろうかと高を括って受け取ったもの――――それは想定に違わずビニールの感触で、ただその中身は想定よりもはるかに硬い感触のものだった。


「…………種?」


 手のひらサイズの透明なポリ袋に入れられた、数粒の種。

 バレンタインでクラスの女子がお菓子を配布する(もらったことないけど)ために百均で買うような袋に、テトラポッドみたいな形の黒い種子がぱらぱらと十粒ほど入っていた。

 表面に貼られたシールには「樹の種子」と書いてある。


「そもそも、木って種から育てられるのだっけ?」 


 植物を育てるという行為は小学校のアサガオぶりで、種そのものに触れたことも夏のカットスイカ以来だろうか。


 ふと浮かんだ疑問に、気づけば自身の部屋でPCを立ち上げていた。


 「スマホを便利だけど調べ物をするならPCに限る」と誰ともなしに独り言ちながら、カチカチとマウスを動かしては検索エンジンにたどり着き、「木 種」と打ち込む。


 ――あったあった。求めたページはスクロールするまでもなく検索結果直後の画面に映し出される。


 発光する十四インチの画面には「種子から育ててみよう」とか「木のタネを発芽させてみた」などという見出しが躍っている。

 花やイチゴならともかく、苗木を植樹するイメージしかなかった自分としては意外なことながら、種から芽吹かせるのはそれほど難しいことでもないらしい。

 適当にカーソルを持っていき、クリックする。


「なんだこれ?……『休眠打破』?」


 受験生のドリンク剤みたいな名前だ。


 種子からも樹木の生育は可能らしいものの(当たり前か)、草花の種子と違って「休眠状態」というものになっているらしい。


 要は殻にこもった中身に、刺激を与えなければ芽が出ないとのこと。

 今は十二月――。当然ながら外に植えても芽吹くとは限らず、暖かな室内なら事情は異なるかもしれないとも思う。


「……そんな簡単に芽が出るなら苦労しないよなぁ」


 ぼやきかながらさらに画面をスクロールし、掲載の写真と解説を斜め読みする。どうやら庭や鉢に限らず、適当な保存容器に土を入れてもいいみたいだ。


 ――そう。きっかけなんてものはいつだって偶然からで、時に気まぐれだったりするもの。


 気づけば俺は、キッチンから料理用のタッパーを拝借し、広くもない庭から土を入れると説明の手順に従って種を撒いていた。

 芽が出るのは……出るとしてもどうやら数ヶ月後らしい。


 コップに入れた水を、自室の机に置いた容器へと注ぐ。黒茶の土を蟻の巣のように水分が浸透していくのが透けて見える。


 ――数ヶ月後ということは、これを毎日にように繰り返し続けなければならないということだ。


「――なにやってんだろ。アホらし」


 寝るか。


 家族も含め人目を避けて作業したため、隣にあった置き時計の針はとうにてっぺんを超えていた。

 種の休眠を打破する前に自分のほうが眠気に負けそうで欠伸をひとつする。

 自室のベッドに体を潜り込ませると、俺は厚く布団を被り眠りへと落ちた――。



= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =



「――だったはず。そこまでは、覚えています」


 俺は意識が遠のく前のこと思い出し、顎に手を当てた。

 目が覚めたらこの有様だ。


 まさか、と王道的な展開が頭を過ぎる。

 次いでのドライアドの言葉は俺の考えを裏付けるようで、その口調にはどこか悟らせるための語気が含まれていた。


「あなたは、異世界へと導かれたのです」

 

 ――やっぱり。


 そもそもドライアドなどという存在自体がその証左だ。

 それが事実なら確認したいこともある。


「俺は、死んでしまったのでしょうか?」


 もしこれが、いわゆる「転生」なら俺は死んだことになる。ベッドで苦しんだ記憶はなく、ぽっくりと逝ったならまだしも幸いだったかもしれない。

 元の世界に大した未練もない――もちろんゼロとは言わないまでも、自身の近況を省みると将来への期待よりも諦念のほうが強かった気がする。


 すると、ドライアドは変わらずの笑顔で首を曲げた。


「あなたの姿をご覧なさい? ――――」


 気のせいでなければ薄く囁くような声で「バカなの?」と聞こえた。

 見た目に反して結構辛辣――――今後は言葉を選ぶことにしよう。


「あなた自身の姿を保っているのだから、あなたは異世界へと召喚されたのです。と言いますか、私が召喚させて頂きました」


 ドライアドは胸の前で手を重ねると、覚束ない空間を確かな足取りで歩き出す。


「あなたの植えた種子が、召喚に必要なソナーポイントとなりました。加えて必要だったのは、種子を、植物を慈しむような心――――決して誰でもよかったわけではありません」


 「気まぐれに植えただけです」とは今更口が裂けても言えないので噤む。種子を慈しむと評されるといくらか居住まいの悪さを自覚した。


 とりあえず曖昧に手を振って見せながら、その一方で興味は次へと移っている。


「……ということは、異世界で勇者や魔王のポジションで無双状態になっ――」

「――期待を裏切るようで可能性の芽を潰すようで申し訳ありませんが少なくとも今のあなたはだたの貧弱な人間です。えぇただの人間ですとも。それと人の話は最後まで聞きなさい」

「……すみません」


 ――怖。

 質問が食い気味だったことは反省するが、それにしたってそんなにまくし立てなくても……。貼り付けられた仮面のような笑顔に、鼻白んで謝辞まで口にしてしまった。


 ドライアドが肩を持ち上げ短いため息を吐き、すっと細めた目でこちらを伺ってきた。


「あなたには、やってもらわなければならないことがあります」


 何を? と逡巡していると、ドライアドが俺を正視してくる。瞳の揺れは俺を値踏みをするようでいて、意外なほど柔和な笑みが称えられていた。


「だからこそ、スキルが必要なのです」

「……スキル?」

 

 ドライアドが静かに頷く。

 この相槌は、間違っていなかったらしい。


「そうです。あなたはただの人間で、このまま異世界へ送っても糞の役にも立たないでしょ」


 ――せっかく顔立ちはいいのになぁ。

 綺麗な花には棘があるというけど、これはむしろ毒だな。「トリカブト」とか「附子ぶす」とかそんな単語を思い出した。


「っていうことはここはまだ異世界ではないのですね?」

「ここは召喚過程で、あなたのような人間に能力を授ける場所です」


 「そして――」とドライアドは自身の腰のあたりへと手を回すと、一本のスクロールを取り出した。羊皮紙然とした黄土色に、茶色の紐が巻かれている。

 中央には小さな臙脂色の封蝋。


 ドライアドが手をかざすと、その封蝋が発光しながらに消え去り、蔦の紐は見えない手に引かれるようにするすると解かれていく。


「さぁ、選びなさい」


 彼女の手の中には一片の紙が残った。

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