十四 架け橋
具親との結婚の後、ヒミカは具親に願って、京の公家の風習を子らと共に身に付け、また具親の血縁や歌人としての交友の縁を伝って九条家や西園寺家などとの親交を深めた。具親は初めは難色を示していたが、その内に進んで人を招いてくれるようになった。
「珍しなぁ、お人嫌いのあんたはんが仰山、人呼んで和歌の会催すなんて、雹でも降るんやないやろか」
そう茶化す人に
「しょんないどす。うちの北の方は宇津田姫やさかい、春が来るとじっとしとられんらして」
そう返して、ヒミカや母が用意した、京では珍し気な料理や酒を振舞い、客人をもてなしてくれる具親。ヒミカの浅い考えなどお見通しだったろうが、具親は何も言わずにヒミカの好きなようにさせてくれた。
「あー、しんどぉ。定家卿はほんま話が長ぅてかなんわ」
「おおきに。有難う御座いました。肩が凝りましたでしょう。お湯を沸かしますので、どうぞ夕餉前にゆっくりなさって下さいませ」
「それは有難い。では」
だが、具親が立ち上がるやいなや子らがその足に纏わりつく。
「ね、相撲しようよ」
「え、駄目だよ。今日は舞を教えてくれる約束だよ」
「えぇっ、シゲ、お前、舞なんか覚えてどうすんだよ。そんなのは女か白拍子に任せておけよ。それより、あの鐘を鳴らすヤツ。今日は俺の方が沢山鳴らしてやるからな。覚えておけよ」
「兄上は肩に力が入り過ぎてるんだよ」
「何だと?お前、シゲのくせに偉そうに」
「ほらほら、喧嘩してるなら、私は先に湯を浴びてしまうぞ」
「駄目!待って、待って!」
トモもシゲも具親によく懐いていた。ヒミカは家族と共に穏やかな時を過ごし、やがて具親の子を身籠もる。だが出産を真近に控えた頃、嫌な噂が流れて来た。
「先の将軍の源頼家公が、隠居されていた修禅寺で殺されたと。それもひどく惨たらしい殺され方だったとか。その誅殺を行なったのは、先の将軍の叔父、江間義時とかいう尼御台の弟らしい」
「叔父と甥の諍いはあちこちでよぅ聞く話ではおじゃりまするが、やはり鎌倉は所詮吾妻夷の集まり。野蛮でえげつないわぁ。嫌やなぁ。初代の将軍様は京で生まれ育ったさかい、堂々として見栄えもよろしおしたが、今の将軍様は鎌倉生まれ。どないなんやろなぁ」
聞こえてくる噂をヒミカは心を塞いで流した。
——コシロ兄は今もずっと戦い続けているのに。
やがてヒミカは具親の第一子を産む。元気な男児だった。だが産後の肥立ちがあまり良くなかったこと、また殿上人の子としての外聞も憚かって、産まれた子の世話は母や乳母に預けることにして、ヒミカは公家らとの親交を再開した。絵師である具親の祖父の弟子となっていたヨリを見守り、絵を依頼してくる人々とのやり取りを通じて京の様子を鎌倉のアサ姫に伝え続けた。
思えば、幼い頃には祖母の命令でアサ姫の身辺や人柄を探った。それが今はアサ姫の為に京の様子を探っている。そういう宿縁なのかも知れない。
「ヒミカ、根を詰め過ぎですよ。たまにはのんびり休んで息抜きせな。ほら、庭でも眺めて」
具親はそう言って縁に胡座をかくとヒミカの手を引っ張って、その上に座らせて腕の中に閉じ込めた。子らに見られたらと立ち上がろうとするヒミカを具親はしっかりと捕えて離さない。
「貴女は前に私に会う為に京に来たのだと言いました。でも、なかなかじっとしていない。貴女はいつも何かを護ろうと自ら盾になって動いていますが、たまには私にも時を割いていただけたら嬉しいのですが」
言われて勝手に動き過ぎていたことに気付く。具親は黙って力を貸してくれていたのに。
「ほら、庭をご覧なさい。風が吹いて気持ち良いですよ。鳥も鳴いている。近頃貴女が庭に姿を見せないと寂しがってるのです」
ヒミカは具親と共に庭へ下りた。秋の庭は風が心地よく吹いていた。色付いた落ち葉が風に吹かれて一枚、もう一枚と降ってくる。久しく箒を掛けられていなかったと襷を掛けて庭を掃き清め始める。いつの間にか具親は裸足で四股を踏み始めていた。その背に向かって呟く。
「私、架け橋になりたかったのです」
「架け橋?」
「はい。泰平の世の為に、京と鎌倉を結ぶ架け橋。帝の安寧な治世には帝と、その武である鎌倉の幕府との近しい仲が大切だと思ったて。鎌倉の将軍様は穏やかな方で、和歌を好み、その妻室に御家人の姫ではなく、京の姫をお望みとか。でも、京の方々には鎌倉への抵抗がお有りでしょう。降嫁への躊躇いを少しでも和らげられたらと」
「そうですね。京の人らは、どうしても東国を下に見がちだ。見えないからでしょう」
「見えない?」
「狭い所に居ると目の前のことしか見えず、内に目が行きがちです。でも見る位置を変えれば、見えなかったものが見えるようになる。例えば、龍になって天から見たら、京の都の中の人など豆粒のようなものでしょうね」
「あ、俯瞰ですね」
ヒミカが言ったら具親は頷いた。
「でも、きちんと見ようとしないと上から見ても見えない。ほら」
具親は庭の隅を指差した。陽の当たる庭の片隅で、草葉に隠れるようにして、青紫の小さな蕾が綻びようとしていた。
「わぁ、竜胆。もう咲きそうだわ。本当ですね。うっかり見逃して掃いて潰してしまう所でした」
「先程私たちが座っていた辺りからは真正面。あちらからよく見えていたのですよ。でも貴女は見えていなかった。よく気のつく貴女が。色々考えず、風を感じ、鳥の声を聴いて、少し休みなさいと龍が言ってるのが聴こえませんか?
——リンリン。
鐘の音が鳴った。振り向けばシゲが両腕を天に向かって伸ばしていた。
「橋は一本だと弱い。だから二本、三本と重ねて架ければ良い。私はその二本目になりますし、シゲも他の子らもきっと助けてくれる。貴女一人で背負い込まなくて良いのですよ。その為に私たちはいるのですから」
——リン。
涼やかな音がヒミカの記憶をくすぐる。
「昔、ある人にもそう言われました。甘えていいのだと。初恋の相手でした」
「先のご夫君か?」
「いいえ、尼御台様です。私はあの方に初めてお会いした時に、その凛々しさと神々しさに、私の光の君だと思いました。佐殿を妬む程に。龍の珠をその身の内に秘めておられた」
「貴女が妬むとは、尼御台様は余程の女丈夫だ。では、その佐殿、つまり初代将軍様は龍の珠を手に入れて出世したというわけだ」
「ええ、そうかも知れません」
その時、ヒミカは小鳥がチョンチョンと竜胆の蕾に近付くのを見て、慌ててそちらへ駆け寄った。
「待って、待って。この子は啄まないで。もうすぐ開くから」
竜胆を腕で囲って守るヒミカに具親は微笑んで口を開いた。
「我が宿の 花ふみしだく とりうたむ 野はなければや ここにしもくる」
「鳥うたむ?」
「紀友則。古今集です。とりうたむ、とは竜胆の花のことを指すのだそうです。とりうたむ、の中に『りうたむ』と、竜胆の名が隠されているでしょう?」
「あ、ええ。そう言われれば」
「竜胆は源氏と縁が深い。その根が苦味を持つからなのか、その高貴な色か、または竜という字に惹かれてなのかわかりませんが、日が射している時だけ空に向かって真っ直ぐ凛と立つようにして咲く。貴女に似ている。強くて美しく気高い。でも目を離したら折れてしまいそうで不安になる」
そう言って、具親はヒミカを後ろから抱き締めた。
二人の目の前で竜胆はゆっくりとその花弁を綻ばせた。鮮やかな紫色に二人は暫し黙して見惚れる。
「私の真名のヒミカは、祖母が付けてくれました。お日様の日と、水と、そして風。漢字では日水風だと。草木や花は、お日様の光と水、そして風があれば元気に育つ。そのように自然に逆らわず逞しく生きろと言われました。また、お日様も水も風も目立たないけれど、いつも身近にいる大切な存在。そんな人になれと、とても難しいことを言われました。だからそうありたいと精一杯努めてきました。でも具親様の仰る通り、周りも自分自身も見えていませんでした。確かに私は本当は甘えたかったのかも知れません。休みたかった。だから、貴方に会いに来たのでしょう」
具親はふんわりと微笑んだ。
「ええ。私はその為にここに居るのだと思っていますよ」
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