六 流鏑馬

七月初旬、ジリジリと日が照りつける午後、京に出掛けていた将軍並びに御家人衆は鎌倉に帰ってきた。だが、何か様子がおかしい。元は父の屋敷で、今は比企能員の屋敷となった隣が騒々しくなる。

「京からお戻りの御台さまがお寄りになっているそうです。軽服の為だとか」

隣の様子を伺いに行った藤五がそう教えてくれる。

「軽服?どなたかお亡くなりになったのですか?」

「そこまではちょっと分かりかねたのですが」

「殿はどうされたのかしら?」

「隣の警護の者の話では、将軍様、若殿、他の御家人衆は御所へと向かわれたそうです」

「では、殿は将軍様と共に御所に居られるのね」

「はい、恐らく」

アサ姫と姫さま方が軽服ということは北条の誰かが亡くなったのだろうか。気になりつつも、隣を訪れる訳にもいかない。結局、詳細がわかったのは、その数刻後にコシロ兄が戻った時だった。

「え、四の姫様がお亡くなりに?」

コシロ兄の妹で、稲毛重成殿に嫁いでいた四の姫は長く病の床についていたが、つい先日に風邪が元で亡くなったという。

「四の姫様が」

幼い頃に逗留した伊豆の北条館。姫君たちの中で一番ヒメコと歳が近かったのが四の姫だった。ひいな遊びが大好きで、あどけなくとても可愛らしい姫だった。

「稲毛重成殿は大層嘆かれて、帰洛の途上だったが駿馬を与えられて先に領土に戻られた。御台さまは近い親戚にあたるので、そのまま御所に戻る訳にいかず、隣の比企の屋敷に逗留されている。父と俺も御所には入らず、将軍をお見送りして来ただけだ。明日、父と時連と共に伊豆北条に下ることとなった」

「そうですか」

ヒメコはそっと床の木目をなぞった。ここずっと近しい人を失ってばかり。そういう年回りなのだろうか。人は死ぬものだとわかっていても、やはりそう簡単に割り切れるものではない。


翌月、ヒメコは呼び出されて御所へと向かった。

「姫御前、わざわざ御免なさいね」

小御所にアサ姫の姿はなく、八幡姫だけだった。

「母上は、仏事で留守にしてるの。阿波局もそう。だから退屈でね、呼んだのよ」

八幡姫はいつもの顔をしていた。

「お元気そうで宜しゅうございました」

「あんまり元気ではないけれどね。南都はまぁ楽しかったけれど、京はひどく疲れたわ。古臭くて堅苦しくて、何を話してるのかよくわからないし。そりゃあ私は田舎者だけど、それを小馬鹿にされてるように感じて気分が良くなかったわ。表向きは丁寧な口調をして、親切で、さも親しげな風を装ってる癖に、その裏ではひそひそ陰口を叩いてるのが聞こえてきてゾッとしたわよ。特に丹後局という人はとんだ女狐だわ。顔も声も表裏があって、使い分けてるのがありありと見えて気持ち悪くなっちゃった」

「丹後局?」

 以前、牧の方のお供で京に行った際に牧の方が参列した法会は、建春門院の乳母子で、門院亡き後に、後白河院法王の寵愛を手にしたという丹後局が催したものだった。そう言えば、父が亡くなる前に訴えを起こされた最勝光院は建春門院の建てられた寺院だった筈。思いがけず繋がる縁の糸。でもどこかその糸に居心地の悪さを感じるのは何故だろうか。じっと黙ってしまったヒメコの前で、八幡姫は慌てて手を振った。

「ああ、御免なさい。愚痴を言うのはいけないわね。いいの。約束したし、自分で決めたことだからちゃんと入内はするわよ。そんなことより。そう、今度の鶴岡八幡宮の放生会は流鏑馬が十六騎も出る盛大なものになるそうなの。その射手の中に頼時の名が入ってたわ。おめでとう」

「そうなのですか。知りませんでした。有り難う御座います。戻ったら褒めてあげなくては。海野殿や望月殿は?

「ええ、幸氏は勿論射手に入ってるわ。あ、でも望月重隆は射手ではなくて将軍の調度懸けの大役に抜擢されたそうよ。大喜びらしいわ」

「それはおめでとうございます」

「義高様もこれで少し安心して下さるかしら」

「ええ。きっとお喜びですよ」

そうね、と答える八幡姫は笑顔だったけれど、でもどこか儚げで光に溶けて消えてしまいそうだった。

「そう言えば、小四郎叔父上は鎌倉にお戻りなの?」

「ええ。でも戻ったと思うとまたすぐ出掛けてばかりで、なかなか落ち着かなくて」

「ヒメコは江間に行かないの?普通、御家人は妻室を領土に置いているのでしょう?」

「はい。私もそろそろ江間に行く頃と思うのですが、殿はずっと京でしたし、今回は服喪の為に遠慮しました」

「小四郎叔父上は鎌倉で父上の側に居ることの方が断然多いものね。ヒメコを遠くにやりたくないんでしょう」

「え」

単に時機が合わなかっただけだと思うけれど、もしコシロ兄がそのように考えていてくれたなら嬉しいと思う。でも確かにそろそろ行かなくてはいけない頃かもしれない。

「何はともあれ、今度のその流鏑馬には軽服の為、母上は参列されない予定なの。阿波局もそうだし。重隆や頼時の勇姿を一人で見るのは寂しいわ。だからヒメコ、その日は私の隣にいてくれない?一緒に幸氏と重隆と頼時の晴れ姿を見守りましょうよ」

晴れやかな八幡姫の笑顔にヒメコも笑顔で頷いた。

そして迎えた八月十五日、ヒメコは頼朝や八幡姫の斜め後ろに控えて、頼時の初めての流鏑馬をそっと見守った。立派に成長して凛々しく馬を駆る頼時の姿を見ながら、彼が産まれた頃のことを思い出す。あれは丁度、木曽から義高殿が八幡姫の婿にとやって来た頃で、ヒメコは忙しい日々を送っていた。あれからもう十数年経つなんて信じられない。立派な若武者になった頼時を見ながら、木曽の義高殿と同じくらいの歳になったのだと思う。その時に義高殿の従者としてやって来た海野幸氏と望月重隆は、今や将軍のお側にて弓の名人と言われる程になっている。幼かった八幡姫もあと一年と少しで二十歳だ。

次々と駆け行く馬と射手を静かに見守る八幡姫の横顔をそっと見つめながら、ヒメコはそろそろ江間に行こうと思った。鎌倉を離れるのは寂しいけれど、頼時も立派に成長し、八幡姫も入内するなら、ヒメコの乳母としての役目は済んだことになる。頼家殿のお子らには、比企能員殿の姫君らが乳母として源家の血筋を守ってくれるだろう。自分は次はコシロ兄の妻として江間の領土を立派に守らなくては。射終わって馬の首を巡らす騎手達に拍手を送りながらヒメコは御所での夏を終えた。

この時の流鏑馬が、ヒメコが鎌倉で見た最後の流鏑馬となった。


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