六 御台所の力
「新田の姫?」
ヒメコが尋ねたら阿波局は頷いて教えてくれた。
「御所様の腹違いの兄君、源義平殿の未亡人なんだけど、御所様はほら、源氏の血統を殊更に大事にするじゃない?だからその新田の姫を側室に迎えたかったみたいなの。でもそうすると、御台所つまり大姉上の立場が脅かされるのよ。だから父が裏で動いたの。御台所が大層お怒りだぞ、と。新田庄を取り上げて妹の嫁いだ足利に下げ渡すつもりだと脅したのよ。そうしたら新田殿は慌ててその姫を他の男に嫁がせてくれたわ。ま、でも実際の所、その新田の姫は他に好きな相手がいたので、元から御所様に靡くつもりなんかなかったみたいなんだけどね。御所様からの文もずっと無視してたくらいだし。でもそれに痺れを切らした御所様がいよいよ動き始めたので、私が父に知らせたの。それで父が新田殿を脅したってわけ。だから新田の姫は結果的にその好きな相手の元へ嫁げたんじゃないかしら。というわけで、落ち着くべき所に落ち着いたんだけど、可哀想に新田殿は御所様のご不興を買ってしまったらしいわ。でもさ、嫡男が産まれるかどうかという大事な時期に兄の未亡人に艶書送って横恋慕するなんて無体なことをしたのは御所様じゃない?なのに自分の思い通りにならなかったからって機嫌損ねるなんて、ただの八つ当たりよね。子どもみたい。昔から権力を握ると調子に乗る男は多いって聞くけど本当ね。呆れちゃうわ」
辛辣に言い放つ阿波局に圧倒されつつ、ヒメコは途中の言葉が気になって尋ねた。
「御台様には、新田庄を取り上げるお力がおありなんですか?」
阿波局は頷いた。
「ええ、十分にあると思うわ。御所様は大姉上こそ正室だと定めて、皆に御台所と呼ばせているんだもの。そして大姉上は嫡男を産んだばかり。正室の男児が嫡流となるのはどこも同じでしょ。そしてその母たる正室は、夫と同等の権限を有する。じゃないと夫が亡くなった時に一族郎等が困るもの。夫が存命中でも同じよ。夫がいつ死ぬか京に呼ばれるかわからない中で家人を束ねて領地を他の土豪との争いから守らなくてはならないから心身共の逞しさが求められるのよ。東国の女が強いと言われるのは、そうでなきゃ生きていけないからよ。で、その強さと逞しさを兼ね備えた大姉上は御家人衆にも絶大な支持を得てるの。昨年、大姉上が病に罹った時、鎌倉中が大騒ぎになったでしょ?流人だった佐殿を押し立てて鎌倉殿へと立身出世させ、また今回無事に跡継ぎも産んで武家の妻としての務めを見事果たした大姉上は、甲斐性ある妻の鏡。諸将が揃って崇める存在なのよ。特に佐殿の流人時代から付き合いのある武将達は半ば盲目的に大姉上を尊敬してるわ。家内の切り盛りや家人の扱い、その度量の大きさも気性の激しさも身近で見て知ってるからね。あれこそ東女だ、佐殿は京育ちながら見る目があると褒めているのを聞いたことがあるわ」
「へえ」
ヒメコは感心して阿波局の話に相槌を打った。
「でもね」
阿波局がそっと声を落とす。
「その通り、御所様は京育ちなのよね。京女に囲まれて十二まで育ってるから京に憧れを抱いたまま。そりゃあ誰だって生まれ故郷は大切じゃない?だから御所様は大姉上を正室として大切にはしているけど、心の中では京に焦がれてるのよ。先の戦でも、早く上洛せねばと焦っていたと皆が言ってたわ。上総や千葉、三浦などが懸命に宥めて鎌倉に戻ったって。だから亀という女性に惹かれるんでしょうね。京生まれらしいから」
「京生まれ」
ヒメコはぼんやりと繰り返した。祖母も母も京生まれだ。京とはどんな所なんだろう?ヒメコの中には源氏物語の絵巻の印象しかない。
「佐殿、いえ御所様が伊豆に居た時からその亀という人の所に通ってたのは父も大姉上も知ってたんだけど、佐殿が北条に入り婿することになった時に手を切らせたのよ。なのに、まだ続いてたばかりか鎌倉にまで入れてるとはね」
「どんな方なのですか?」
「色白でふっくらおっとり大人しげで、まぁ男が好みそうな感じ。男って美人がいいと言いながら、結局は女に母親を求めるらしいわよ。その亀という人も源氏物語の花散里みたいな感じだったから御所様にとっては母親がわりに寛げる存在なんでしょうね。大姉上とは正反対だから、それがまたいいんじゃない?でも、男って欲張りよね。こんな女がいい。でもこんな女も欲しい。女が同じことしたらどう思うのかしら?」
阿波局はまだ未婚だが、侍女たちに囲まれているからだろうか。耳年増だった。
「あの、それで、御台様はこのことは?」
阿波局は、シッと人差し指を口の前に立てた。
「知らないわ。もし知ってしまったら大変よ。大姉上は約束を破られたり嘘をつかれたりするのが一番嫌いだもの。御所と一悶着どころか、大蔵御所が損壊しちゃうかもしれないわ」
「そんなまさか…」
ヒメコは首を横に振ったが、数ヶ月後にそれは現実のこととなる。
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