第2話 告白と妹
「ずっと……好きでした! 付き合ってくださいっ!」
淡彩色の夜闇を明かす朝日の輝きが、真っ赤な顔をしながら熱烈な告白を行う目の前の女子生徒を眩く煌めかせる。
俺は、わざとらしく目を細めながら数分前に読んだばかりのラブレターを懐にしまいこむと、改めて彼女のことを直視した。
顔は、お世辞抜きにしても可愛い。
スタイルも、良い。
性格も、多分。
そんな見るからにモテそうな優良女子からの対面告白。
喜ばない男子などいるはずもないだろう。無論、俺だって嬉しい。
だが――申し訳ないことに彼女の告白を受け入れられない理由が、それはそれはとてつもなく深い理由が、俺には存在していた。
「ありがとう。こんな俺なんかに好意を抱いてくれたことは素直に嬉しいし、勇気を出して手紙を書いてくれたことにも胸を打たれたよ。だけど、俺には君とは付き合えないとある特別な事情があるんだ」
「……事情? 何ですか!? 私、先輩と付き合えるんだったら何だってする覚悟がありますよっ! 髪型ですか? 言葉遣いですか? それとも……」
必死に食い下がって俺の断り文句を撤回させようとする女子生徒。
まさか、俺なんかのためにここまで言ってくれるなんて。懐に余裕さえあれば感謝の意を込めて花束の一つでも送っていたことだろう。光栄という他ない。
……だがっ!
それでも俺は、彼女と付き合うことができないんだ。
可能ならば、事情の中身については深く言及することなくこの場を去りたかったのだが。
ここまでの誠意を見せてくれた彼女に俺も最大限の敬意をもって返事をするのが礼儀というもの。
「それじゃあ、何でもしてくれるっていう条件、早速で悪いがこの場で行使してみてもいいかな?」
「えっ……あ、はい! もちろん、です」
口には出してみたものの、まさか本当に俺が何か要求をしてくるとは思っていなかったらしく、彼女はいっそう顔を紅潮させて目を泳がせた。
春特有の柔らかな風が体を通過して、草花が揺れる音だけが耳に届く。
ゆっくりと浅い息を吐いて覚悟を決めた俺は、僅かに流れた静寂を縫いながら、実に高らかに次の言葉を紡ぎ出した。
「それじゃあ、俺の妹になることはできるかな」
それは、まさに一瞬のことだった。
つい数秒前まで信号機を思わせるほどに俺への好意を表情として見せていた彼女の顔から、一切の熱が引いていくのがわかった。
恐らく、長い高校の歴史の中でもこれほどの短い時間で恋心を消滅させた男など一人としていなかったことだろう。
結局彼女は、それから一言の声も発することなく背を向けると、何か悪い夢でも見てしまったという鈍い足取りでその場を立ち去った。
「さて……と、これで明日から俺のあだ名はシスコン変態野郎に決定だな」
女子が傷つかない告白の断り方なんて義務教育で履修したことのなかった俺は、こんな不細工な方法しか思いつくことができなかった。
まぁ、ラブコメの主人公になり得る人材なんて俺じゃなくても他にたくさんいるだろうからな。出番を窺っていたキューピット様にも今回のところは臨時休業ってことで勘弁願いたい。
そんな捨て台詞を心の中で呟きながら、俺は右手をポケットに突っ込んで帰路を辿った。
通学時間徒歩三十五分、築五十年で一階建ての木造アパート。それが俺の自宅だった。
四部屋あるうちの三部屋が空き部屋になっているのは、交通の便が絶望的に悪いことと幽霊が出そうなこと、極めつけは建物名が壊滅的にダサいことに起因していた。
「……うん。やっぱりほうれん荘はないよなぁ」
正面から見たアパートの屋根下に大きく掲げられた看板の文字を見て、俺は呆れ顔を浮かべた。
なんだろう。
ここのオーナーは農業組合の会長でもやっているのだろうか。
仮に俺の一番好きな食べ物がほうれん草だったとしても許容しがたいネーミングセンスだよ?
ポパイも苦笑いしながら見て見ぬ振りしちゃうレベルだからね?
俺は吐息交じりに、これまた今にも剥がれ落ちそうな表札を半目で見送って敷地内に入ると、アルミホイルみたいな色をしたドアノブを捻った。
キィィッという音と共に見飽きた薄暗い廊下が目の前に現れる。窓の隙間から入る風の音とギシギシ軋む床の音以外に室内から聞こえてくる情報はない。まぁ、このアパートで使用している部屋がここだけだから、というのもあるがそれはさして関係ない。
いないのだ。
俺のもとに、父や母が。
離れた場所に実家があって、別々に暮らしているから? いや、違う。
家、どころか最初から、俺には両親が存在しない。
だからってわけでもないが、俺は今コンビニと食品工場のバイトを掛け持ちしていて、生きていくために日々お金を稼いでいる。
今日は、コンビニの日だ。
一息つくこともなく着替えを済ませると、俺はスクール鞄からバイト用のワンショルダーバッグに持ち替えた。
「よし、行くか……」
俺がリビングを出て玄関に向かおうとしていたそのとき。ろくな物音すら聞こえていなかった外から、軽くて落ち着いた足音がこちらに向かって近づいてくるのがわかった。
敢えてその足音の主を視認しなくとも承知している俺は、思わず口元を綻ばせた。
「ただいま」
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