Ⅷ 強盗の事情



 炊き立てのターメリックライスに豚バラカレーをたっぷりとかける。


「松下くん、パクチーいる?」

「じゃあ少し。おじさんはパクチー好きですか?」

「え、いや、俺は……パクチー苦手……」

「じゃあ代わりにコリアンダーかけておきますね」

「おじさん、冷蔵庫からビール出してー」

「俺は運転があるからコーラがいいです。コップはそこの食器棚にありますので」

「え、あ、分かった」


 食卓にカレーを並べて、ビールをグラスに注ぐ(松下くんとおじさんはコーラだけど)。ゆらゆらと湯気のたつカレーからは食欲をそそるスパイスの香り。ターメリックライスの黄色は鮮やかだし、カレーを吸っててらてらと輝いている。


「美味しそう! これは大成功じゃない?」

「それは食べてから判断しましょうか、久留木さん」

「あ、生意気! 絶対ぎゃふんって言わせてあげるから!」

「ふふ、そうですね」


 そんなことを話しながら手を合わせる。


「「いただきます」」


 言葉が揃ったことにふたりでクスクス笑いながらスプーンを持ち、カレーを一口頬張った。

 最初に感じたのは熱さだ。といっても吐きだすほどの熱さではない。ほふほふと息を吐きながら豚バラを奥歯に運び、噛み締める。油の旨味が溶けだすとスパイスの香りと混ざり合い、身もだえしそうになるぐらい美味しかった。


「ぎゃふんでしょ、これは! 松下くん!」


 目の前に座っていた彼は、静かに目を閉じていた。しかし見ている間にもその口元がにまにまと笑い始め、目を開ける頃にはとろける笑顔になっていた。


「……うめえ」


 松下くんは一言そう呟くと、いきなりガツガツと勢いよく食べ始め、あっという間にカレーを平らげてしまった。それから思い出したように私を見る。


「これはぎゃふんですね。本当に美味しいですよ、お代わりしてきます……あれ?」


 松下くんが口の端を舐めてからにこりと笑う。


「どうしました? 可愛い顔してますよ、久留木さん」

「……そんな素直に負けを認めるとは……」

「勝ち負けなんですか? それにしても本当に美味しいですよね、おじさん……あれ?」


 松下くんの言葉を聞いてからその視線の先を見る。


「うっ……」


 おじさんが泣きながらカレーを食べていた。


「……え、おじさん、どうしたの?」

「おいじいぃ……」


 どうやら私は泣くほど美味しいものを作ってしまったらしい。責任を取るために、立ち上がりおじさんの背中を撫でる。すると松下くんも立ち上がり、私を真似するようにおじさんの背中を撫で始めた。

 私たちに背中を撫でられておじさんはついに顔を覆って泣き出してしまった。


「なんっ……なんでっ、おまえらっ、やさしいの……っ、ナイフっむけたっのに、……」

「大丈夫だよーそんなの。誰も怪我しなかったんだから気にしないの、ね、もうね……」

「ひどいことしてごめんなさいっ……」

「特にひどいことされた覚えがないので、気にしないでください。カレー食べましょうよ……俺は早く二杯目食べたいです」


 べそべそ泣くおじさんの背中を撫でながら松下くんを見る。


「そういえばあのナイフどうしたの?」

「踏みつけたら折れました」

「器物損壊じゃん……」

「いやさすがに正当防衛ですよ。弁護士呼びますよ?」

「俺ェっ!」

「えっ」


 急に会話に入ってきたおじさんが「俺ぇ……弁護士、俺ぇ……」と言って手を挙げた。私たちは目を合わせてから「「やっぱり」」と声を合わせた。



 べそべそと泣くおじさんの話をまとめると、彼はある製薬会社の顧問弁護士をしていたらしい(正直そんな風には見えなかったが、彼が出してくれた名刺には確かにその肩書があった。松下くん曰く「うちの競合ですね。最近できた企業です」と付け足してくれたから詐称でもないようだ)。しかしその会社は火の車だったらしく、つい二週間前に解雇されてしまったらしい。急いで再就職先を探したが、おじさんは色々と問題を抱えているとかで雇ってくれる企業も法律事務所がなく途方に暮れていたらしい(おじさんは家のローンもあるしシングルファーザーだし元鬱病らしい)。そしたら解雇してきた企業の偉い人が「バスタルドを潰したら再就職させてやる」と連絡してきたそうだ。後がなかったおじさんは、そういうわけでここ三日ぐらい松下くんをつけ狙っていたらしい。


「……スパイス、たくさん勧められた……ぐすっ……」

「買うつもりもないのに店員さんに絡まれ……怖かったでしょうね……」


 付け狙われていたというのに松下くんは変なところで同情を見せた。彼は共感を示すのが苦手なのかもしれない。


「でもなんで松下くんを狙う必要があるの? 会社潰すのってもっとなんか……黒い噂流したりーとかじゃダメなの? 社長が部下に手を出した、とか……」

「バスタルドの従業員は俺と時任さんしかいません」

「そうなの⁉」

「あとは単なる学生です。だからおじさんの目の付け所はいいですよ。俺に何かあれば……バスタルトは潰れるというか潰します。……時任さんも同意してくれると思いますよ。彼ほどの研究者なら行き先はいくらでもありますしね」


 へえ、と私が相槌を打つと「興味なさそうですね」と松下くんは笑った。ひとり自営業でやってきた私に会社のことはよく分からないのだ。


「それでなんでこんなことになったんですか?」


 おじさんとしては、松下くんにちょっと怪我をさせようとしたらしい。しかし人に怪我をさせたことなどないおじさんは、どうしたらいいか分からなくなってしまったそうだ。他の住人と一緒にマンションのなかに入れてしまい、しかも共有部分のキッチンの扉も開いてしまうなんて思ってなかったそうだ。そこまで来て後に引けなくなったが、だからといって人を刺すことなんてできず、苦し紛れに金などを要求してしまい、……今に至る。

 おじさんの話を聞き終えて、松下くんはため息を吐いた。


「……俺はあなたのような人を生むために会社を作ったわけじゃないのですが、……なかなか上手くいきませんね……」


 松下くんは眉間にシワをよせ、おじさんは「ごめんなさい」と謝りながら涙を落とす。そうこうしている間にもカレーが冷めていく。

 私はおじさんの背中を軽く叩いた。


「いてっ」

「じゃあ、おじさん、バスタルドの顧問弁護士になればいいじゃない?」

「「え」」

「そしたら万事解決でしょ? ね?」


 松下くんは「うわぁ……久留木さん……そんな、うわぁ……弄ばれている、俺……」と呻いた。そんなつもりはなかったのだがどうやら松下くんは私の言うことはなんでも聞いてくれるつもりらしい。


「よかったね、おじさん。これで大丈夫だよ」

「え、いや、俺は暴行罪でこれから出頭するから……」

「そんなことしたらおじさんの子どもどうなるの!」

「あの子は、……きっと別れた妻が……」

「そもそもなんで奥さんと別れたのよ?」

「……あいつの、その、……DVから、逃げてきたんだ……」


 ひどい話だが、それは納得がいった。だから彼の強盗はあまりにもお粗末で逃げ腰だったのだ。彼は人に暴力を振るうどころかその現場にいることすら怖いのだろう。


「なるほど、住民票が移せない状態なんですね?」

「あ、うん……俺、仕事、バレてるから、その……あんまり大手には……でもここから引っ越すのも、……あいつにばれるかもって、怖くて、……でも、……娘も犯罪者に育てられるよりはあいつの方が……」


 馬鹿なこと言い出したおじさんの頭を軽くはたいておく。


「そんな人にお子さん預けたりしたらぼこぼこにされちゃうじゃない! なに考えてんのよ! 馬鹿!」

「でも、俺、ナイフ、人にナイフ……」

「あんな小刀じゃ皮ぐらいしか切れないわよ! ……松下くん、どうするの?」


 松下くんは眉間の皺を深くして、大きく息を吐いた。


「……わかりました。俺が引き取りましょう」

「なにを? おじさんの子どもを?」

「違いますよ。彼を雇います。……実際、顧問弁護士はそろそろ雇いたかったんです。はあ……でも先に経理が欲しかったんだけどな……」

「俺、っ、会計士の資格も持っていますっ!」

「へえ……でしたら今週中に履歴書と経歴書を送っていただいてもよろしいですか? 前科はありませんよね?」

「今日……」

「今日はもういいですよ。他にはないですね? 前職の給与はいくらでしたか?」

「ないですっ! 三百万でしたっ」

「……それはそれは……ずいぶんと足元見られていたようで……」


 松下くんが急に私の肩を引き寄せた。耳に松下くんの唇が一瞬触れる。


「ありがとう久留木さん。いい買い物ができたみたいです」


 松下くんが私の耳に入ってきた囁き声はとても楽しそうだった。


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