Ⅰ 仕事と仲間


 コンシーラーで隠しきれないクマができている。だから派手な口紅を塗り口元に注目させて誤魔化す戦略をとることにした。無駄なあがきとも言う。

 化粧直しを終えてトイレから出ると「舞ちゃーん」と声をかけられた。

 小柄で童顔、まるで女子中学生のような女性が私に向かって軽やかに駆けてくる。両手を広げて受け止めた。


「由美さん!」


 五十嵐由美いがらし ゆみ――今日の対局相手のひとり――はえへへと笑った。甘い香水の香り。


「由美さん公式戦久しぶりじゃない?」

「そうなのー、やっと本職やれるー」


 同じ女流雀士とはいえ、由美さんはグラビア、ドラマや映画にもひっぱりだこの麻雀界の稼ぎ頭。今日の対局(生放送でネットに配信される)も彼女の知名度でなんとかスポンサーが集まったと聞いている。私の三倍は稼ぎ、五倍は忙しくしている人だから、こんな風にゆっくり話せる機会はとても貴重。そんな尊敬できる先輩だ。


「また旅行しようよー温泉行きたーい」

「いいね、どこ行く? 箱根?」


 それでも由美さんは、私にとっては気安い友人のひとり。


「熱海でもいいよねー、あ」


 不意に、由美さんは思い出したような声をあげた。


「そういえば見たよー『鋼の女王』!」

「ああ……それね……」

「あははっ嫌そうー」

「由美さんは『卓上に舞い降りた天使』だからいいかもしんないけど」

「この年で天使って言われるのもきついんだぞー!」


 由美さんはキャラキャラと笑いながら私の脇腹をくすぐってきた。私より十近く年上のはずなのにこの愛らしさと透明感。これはモテるわと思いつつ由美さんの頭をつかんで引きはがす。


「やめてよ、おなかに肉ついたの!」

「うそうそー舞ちゃん細いじゃーん」

「細く見せてるだけ。もうショートパンツきついの……」

「ワンピースにしたらいいじゃーん」

「やだ! ショートパンツ好きなんだもん!」


 そんな風にトイレの前でいちゃついていたら、遠くから「ババアがはしゃいでんじゃないよ」と野次がとんできた。

 今日の対局相手のひとりである『最高位』こと斎藤さんだ。

 由美さんが「うるさーい、ジジイー」と返すと斎藤さんは嬉しそうに「うるせーババアー」と笑う。


「久しぶりだなあ、舞ちゃん」

「久しぶり、斎藤さん。……私を未だにちゃん付けするのは斎藤さんと由美さんだけよ」

「お? なんだついに高校卒業か?」

「初対面のときすら卒業してたわ。もう私も今年で三十路よ」

「三十なんてまだまだケツ青いわ。それより顔色悪いぞ。ちゃんと寝てんのか?」


 斎藤さんが乱暴に私の顔を掴み「ほうれん草食え」と笑う。このジジイ殴るぞ、と思うが相手は師匠なので「やめろや、ジジイ」に抑えておいた。「おうおう、口が悪い女だな」と斎藤さんはけらけら笑う。

 このジジイは未だにモテるのはこういうところからだろう。口は悪いが情に厚い人だ。


 ――四天王が集った! 『第一回ニャン動画雀王』決定戦!


 今日の対局の煽りはそれだが、実際はネット上でアンケートを取って選ばれた四名による普通の対局だ。『斎藤組』三名と由美さんなんて、私個人としては新鮮味がないがネット上では夢のマッチングらしい(ちなみに『斎藤組』というのはこのジジイ――斎藤隆さいとう たかし――を師匠に持つ雀士の集まりで、上は九〇歳、下は二一歳まで幅広い年齢層が集まっている)。

 ネット上の需要はよくわからない。

 とはいえ斎藤組最年少『ネット王子』こと矢田喜一やだ きいちくんと打つのは久しぶりなのだけど……。


「それで舞ちゃん、『王子』がどこにいるか知らねえか?」

「見てないよ。どうせ遅刻でしょ」


 斎藤さんは「またか」と頭を掻く。私に腕を絡めていた由美さんが「師匠でしょー連れてこれないのー?」と笑うと、斎藤さんは「あいつが俺の言うこと聞いたことは一回もねえよ」と眉を下げた。

 斎藤さんと由美さんという麻雀界の大御所二名を待たせられる人は『王子』ぐらいしかいない。困ったものだと私たちは肩を竦めた。


「舞ちゃん、『女王』だろ? 面倒見てやれよ、姉弟子としてあの『王子』さあ」

「正直あの子苦手なのよね……」

「そう言わずにさ……頼むよ」

「うーん、直接打ったことあんまりないからなあ……今日ちゃんと話せるといいんだけど……」

「悪いな、舞ちゃん」

「また 引き受けてないよ、斎藤さん。見捨てるつもりもないけどさ……」


 矢田くんは漫画で麻雀を覚えたという新世代雀士だ。

 彼はデジタル機器に強く動画配信なども積極的に行っているため、ネット上で人気を博しているらしい。だがその実力については……まあ、ご愛敬だろうか。

 それより問題なのは時間通りに来ないこと、対局相手に敬意を払わないことだ。

 実力からではなく傲慢さから『王子』とあだ名をつけられているのも見ていて痛々しい。

 どうしたものかと思いつつため息をつくと「矢田くんかー」と由美さんが口を尖らせた。


「私もあの子ちょっと苦手ー、初対面のときに『あ、老害だ』って言ってきたんだよー? ありえなくなーい? 隆ちゃんさー、なんであの子破門しないのー?」

「そんなことしたら可哀想じゃねえか。まいったなあ。なんであいつ敵ばっかりつくるのかな? 女は特に苦手みたいだしよぉ……インターネットで友達できたならいいんだけどよぉ……」

「できるわけないでしょ。『ネット王子』なんて、からかわれているだけー。そうじゃなかったらこんな対局組まれないでしょー、こんな……」

「そうだよなぁ……今日の対局があいつにとって薬になりゃいいんだけど……」

「まあ劇薬だよねー……」

「下手したらトラウマになるぜ」


 斎藤さんと由美さんはそんな話をしながらじとっとした視線を私に向けてきた。


「……なんでふたりして私を見るの?」

「……」

「……」

「私はなにもしないよ? 普通に最後まで打つだけだよ?」

「……」

「……」

「え、なんで? 今回、飛びなしでしょ? 飛ばせないよ?」

「『鋼の女王』だよねー」

「本当になー……」


 そんなことを話しながら三十分待つとようやく『ネット王子』が現れ、やっと対局を始めることができた。



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