エピローグという謎解き


 人間社会には刑法がある。

 しかしそれだけが果たして罪なのだろうか。

 ――潜在的に潜んでいるものは罪ではないのか。


「……うーん」


 しかし、最終的に私が今日したことはコンビニでトマト缶を買ってきたことだけだ。

 今日は変な一日だったなと思いながら全てを終えてしまってもいいのだが、……結局電話をかけることにした。どうせ出ないだろうと高をくくっていたら、意外にも2コールで相手は電話を取った。


『ちゃんと治療してもらえましたか、久留木さん』


 第一声がそれだった。


「……おかげさまで傷ひとつ残らなそう、ありがとうね」

『それはよかった』

「いくつか聞きたいことがあるんだけど、とりあえず今どこにいるの?」


 松下くんは私の質問にクスリと笑った。


『取調室にいます。今日はもう終電出てしまったのでこのまま泊まろうと思っています』

「……それきみが決められることなの? というかそんなところで電話してていいの?」

『任意の取り調べですし刑事も知り合いなので』


 と笑う松下くんの声の後ろで罵倒が聞こえる。しかし松下くんは『BGMとしてとらえてもらえればいいので』と言うのでそれは無視することにする。


『俺のなにを知りたいんですか、久留木さん』

「別にきみのことは知りたいわけじゃないんだけどね、……流れで色々話を聞いちゃったからさ、私の見解を話したくなったの。そうすると松下くんに話すのが一番的確な気がするんだよね」

『へえ? 聞かせてください。取り調べよりも楽しそうだ』


 松下くんは楽しそうに相槌を打つ。


「話を先月に戻そうか。研究棟の西側が建て直すことになったんだよね。松下くんの研究用に。廊下にお知らせが貼ってあった」

『ああ、そうですよ。建て直すというほどでもないんですけどね』

「でも喫煙所は外になったんだよね? 新しい喫煙所の場所は研究棟の裏だけど……研究棟の入り口の近くに吸い殻たくさん落ちてた。入り口で煙草吸うことは黙認されていたんじゃない?」

『よく気が付きましたね。そうです。人間は惰性の生き物ですから仕方がないですね』

「……惰性」


 食パンの上にトマト缶で作ったミートソースを乗せる。


「凪くんと宮本くんって仲いいんだよね?」

『ナギ……ああ、凪さんですか。二人とも同期ですし同じ研究テーマですから仲はいいんじゃないでしょうか』

「宮本くんは元々喫煙者だったんじゃないかな。でも禁煙していた。元から弱かった気管支系に問題が起きて、喫煙リスクが高くなったから」

『……どうしてそう思うんですか?』

「喫煙者の友だちは喫煙者が多いってこともあるんだけど……、凪くんたちの研究室には灰皿なかったんだよ。煙草くさくもなかった。換気扇もしっかり動いていたからね、ちゃんと分煙しているみたい。でも……凪くんって傲慢じゃん? 彼の性格的に友達にリスクがなければ、分煙している建物内でも普通に煙草吸いそうなんだよね。それで、そうかなあって。合ってる?」

『……久留木さん、凪さんの研究室にも行ったんですか?』

「うん、流れで……今、松下くん舌打ちしなかった?」

『話を続けてください』


 急に機嫌が悪くなったなと思いながらトーストの上にパプリカとベーコンを乗せる。


「でも喫煙所が移動して研究所入り口の分煙ができなくなった。それで……宮本くん、禁煙失敗してたんじゃないかな。多分、それは凪くんにも隠してたんだと思う。凪くんは宮本くんのこと大事みたいだけど癇癪もちだから。そういう相手にばれたら面倒くさいって思ったんだろうね。夜食食べてくるって言ってこっそり一服して、呼吸困難を起こした。それが昨日」

『なるほど、では退院したら徹底的に禁煙してもらわないといけませんね』


 松下くんがクスクスと笑う。私はトーストの上にチーズを降らせる。


「松下君って治験のバイトってしたことある? 私はあるよ。あれさー、結構ちゃんとやるんだよ。それまでの病歴とか、喫煙歴とか、色々聞かれるの」

『……治験……ああ、……なるほど。俺が宮本さんの病歴や喫煙歴は知っていると? ふふ、……ふふ、いいですね、久留木さん続けてください』

「……楽しそうね」

『自分を理解してもらえるのは楽しいですよ。ほら……それで?』


 私はトーストをトースターに入れる。


「松下くん、コンビニってなんでもあるように見えるけどさ、喘息の吸引薬は売ってないんだよね」

『はい?』

「松下くん、こうなること分かってたんじゃないの?」

『俺がなにを分かっていたんです?』

「宮本くんが呼吸困難になること。下手したら死ぬこと」

『ふふ、どうしてそう思ったんです?』


 松下君がくすくすと笑う。まるで私が言うことはもう分かっているかのような、生徒の正解を聞くのを待っている先生のような笑いだ。


「研究所の出入りの時間って研究員全員に共有されているんだってね。凪くんに見せてもらったよ、この一か月の松下くんの動き。大体いつも十時ぐらいに帰ってたのに二週間前一回深夜に帰ったでしょ? そしてそれからはずっと、十時ぐらいに一度帰って、三時ぐらいに戻ってきている」

『……よく調べましたね、そんなこと』

「ていうかこれは元々凪くん知ってた。彼はきみのストーカーだと思う」

『……え?』


 松下君のドン引きしている声が面白くてつい笑ってしまう。


「僻みっていうのは恋の別名だからね」

『え、いや、それはちょっと……』

「宮本くんもそうなの」

『は?』

「この三週間ぐらい忙しくて研究所にこもってたみたいだけど、深夜に研究所の外に出ていて……この辺から喫煙を再開したんだと思うけど……」

『……ああ、そういう意味ですか。はい、それで?』

「ん? うん、だから松下くん、深夜に宮本くんが喫煙してたの見たんでしょ? だから、……万が一のことを考えて喘息の薬を持ち歩いていたんじゃない? もしも発作をおこしたらすぐに対応ができるように」


 ふふ、と松下君が笑う。それは正解を喜ぶ先生の笑い方だった。


「いい子だね、松下くん」

『……宮本さんには小児喘息の病歴があります。今はすっかりよくなってると本人は言っていましたが、検査するとかなりリスクが高い状態でした。治験のお礼にその事をお話ししたら……そうですね、凪さんも協力の上で禁煙をされていました。まあ、たまに息抜きはしていたみたいですけどね。……ここ二週間は息抜きの方が顕著でした』

「禁煙は難しいのよ。一回痛い目を見てもやめられないぐらいね」

『あれ? 経験者ですか?』

「ううん、だから私は最初から煙草は吸わない。……ねえ、松下くん、もう一個聞きたいことがあるの」

『なんでしょう?』

「人が痛がってたり苦しがってたりするの、見てて、楽しい?」


 シン、と彼は静かになった。


「宮本くんの意識が戻ったら聞いてみたいな。松下くんがきみを見てたことに気が付いていた? って……」

『……どうしてそう思いましたか?』

「普通ね、死にかけるのなんて待たずに喫煙を止めるよ。喘息の薬持ち歩いたりしない」

『ああ……そうか、……そうですね、そうかもしれません。ふふ、……それが普通か……面白いですね、久留木さん』


 松下くんは、クスクスと笑う。ただ、クスクスと笑う。


「それにさ、あのコンビニの事故の直後だよ? そんな短時間で連続して『偶然の事故』が二件も起きるかな?」

『……偶然が重なったんじゃないですか?』

「重なったらそれは偶然じゃないんだよ。【なにか】あるの……【なにか】、ある」

『……それってなんですか?』

「……さすがにまだ分からない。でもきみ、【なにか】してるんじゃない? 私が聞きたいのは最初からそれだけなの」


 松下くんはクスクス笑う。私はトースターの中のトーストを眺める。とろとろ、とろとろ、チースが溶ける。


『……久留木さん、ごはんいきませんか?』

「は?」

『俺が奢りますから。デートしましょう。なにが食べたいですか? イタリアン? フレンチ? 久留木さんはお酒好きですか?』

「意味わかんないけど……私は自炊がすきだからお断りします」

『ならレンタルキッチンでごはんつくりましょう、一緒に』

「は?」

『それとも俺の家がいいですか?』

「いやそれはちょっと……」

『来週の木曜はお暇ですか?』

「……、雀荘の休みまで把握されている……」


 私がため息を吐くと『決まりですね。迎えに行きます』と松下くんは勝手に決める。私はお金を返していないことを思い出し「……まあいいか」とそれを了承した。私は流されやすいのだ。


『あれ? いいんですか? ……やったー』


 彼は嬉しそうに小声で言った。その言い方はとても可愛らしくて思えてしまって厄介だった。


「じゃあ、またね」

『ええ、また……』


 電話を切ってからトースターの中でチーズに焦げが入っていくのを眺める。

 きっと今日も寝られないだろうなと思った。


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