二人
翌日の朝のホームルームで、今度は石橋の行方がわからなくなった、と宇都宮が深刻な顔で話しはじめた。
「今回の石橋の件も末永の件も、先生としては
石橋はどうしてしまったのだろうか。昨日は学校に来ていた、と前方の
右斜め前に座る川本を見ると、鬼のような形相でこちらを睨む彼女と視線がかち合った。
昨日の末永のときといい、川本は俺に何か個人的な恨みでもあるのだろうか。彼女が迷惑に思うようなことをした覚えはないし、それどころか積極的に関わったことすらない。どちらかといえば、真面目一徹で冗談が通じなさそうな彼女を避けていると言ってもいい。
「なぁ、アイツらグルなんじゃね?」
一時限目が終わると和田が俺の席まで来て話し掛けてきた。都市伝説とか噂話とか流行りとか、そういったことにいち早く飛びつくのが和田だ。もしゃもしゃの緩い癖毛も相まって主婦というアダ名が付いている。
「なにが?」
「末永と石橋だよ」
「なんで?」
「だってアイツら仲良いし、いつもつるんでるじゃん」
短絡的な考え方だ、と思っても口には出さない。
「そうかもなぁ」
「なんだよ、菊池は興味ねぇのかよ」
「ない。俺には関係ないし」
「でもクラスメイトだぜ?」
クラスメイトだからどうでもいいんじゃないか。
「俺が末永と喧嘩したの知ってるだろ」
次の授業の教科書を準備しようと机に手を入れた俺は、「だから二人をブッ殺したのか?」という声で顔を上げた。和田の向かい側、俺の机の左側に立つ小松崎の険しい顔が目に入った。太っているせいで顔に愛嬌があり、凄まれたり睨まれたりしても怖くない。奴はいわゆる末永グループに属する一人で、連中とは関係のない石橋とも仲が良かった。
「はぁ? バカじゃねぇの。んなわけねぇだろ」
「オレ見たし。おまえんちに警察来てたの」
俺は盛大に溜め息を吐き、小松崎が信じないだろうことを予想しつつも、「末永とは関係ねぇよ」と言ってみた。
「じゃあ、なんで末永はおまえんちに入っていったんだよ」
小松崎の言った言葉の意味がわからなかった。末永が俺の家に入っていったとはどういうことだ。
「なんだよ、それ。俺んちに末永なんて来てねぇし。おまえ、いつの話してんだよ」
「昨日に決まってんだろ」
授業開始を告げる予鈴が鳴り出した。
「来てねぇって」
「ウソだね! パトカーが来る前に入っ」
「ほぉら、チャイム鳴ってるぞー。みんな早く席に着けー」
宇都宮が教室に入ってきたことで小松崎の言葉は尻切れトンボに終わった。
パトカーが来る前だろうが後だろうが、昨日は警察の他に来客はなかった。とはいえ、小松崎も嘘を言っているような感じではなかった。
おそらく小松崎が見たのは、末永が俺の家の中へ入るところではなく、敷地へ入ったところなのだろう。もしそれが本当なら、末永は一体何のためにうちの庭へ侵入したのか。なんだか気味が悪い。
帰宅して玄関に入るなり、すぐさまインターホンが鳴って昨日と同じ刑事が「こんにちは」と顔を覗かせた。制服警官も連れてはいるが、彼が昨日と同じ人かどうかまでは確信が持てない。
「あら、昨日の刑事さん」と母親が奥から現れ、俺へと視線を投げて「
「昨日今日と立て続けに押しかけてしまって申し訳ない」
「いえ、そんな。あの、立ち話もなんですので、よろしければお上りになって」
「いや、こちらで結構です。すぐ済みますので」
「はあ」
母親が気の抜けた返事をすると刑事が質問を始めた。
「単刀直入にお訊ねします。
「いえ、誰も」
「郵便の配達員や配送業者なども?」
「来ていませんけど、一体なにが」
「それがですね」と刑事が言い掛けた言葉は、制服警官が何事かを耳打ちしたことで、「ああ、そうだ。ところで、息子さんの学校で、二人目の行方不明者が出たのはご存知ですか?」という質問に変わった。
「そんな……いえ、今初めて知りました」
そう言って母親は不安そうな表情を隠すように口元を手で覆った。
「そうですか。まあ、それで今日、我々は末永蓮くんの件で聞き込みをしていたんですが、昨日の夕方頃に何者かが二人、こちらの敷地へ入っていくのを見たという新たな目撃情報があったんですよ」
「え? でも、誰も来ては……あ、主人が。主人が九時頃だったか、九時半頃だったかに帰ってきましたけど」
母親の言う通り、昨日刑事たちが帰った後、家の中にまで入ってきたのは父親しかいない。
「いえ、その二人の人物が目撃されたのはもっと早い時間帯です。およそ午後六時から八時くらいのあいだでして」
「あの、刑事さん。今、二人とおっしゃいませんでした?」
「ええ、二人です。一人だとすると目撃された時間帯に開きがありすぎるんですよ」
「その、見た
刑事は制服警官と軽く視線を交わしてから、「んー、どうでしょうね」と言って目を細め、「数件あるんですよ、目撃証言」と続けた。すると、手帳を開いた制服警官が「午後六時台に二件、午後八時に近い七時台にも二件です!」と大きな声で発表した。
「それはあの、どういう」
母親が困惑気味に訊ねると、刑事が「ご説明します」と言って咳払いを一つしてから
「この四件の目撃情報、すべて何者かがこちらの敷地へ入っていったものだけなんです」
「はあ」
無線のガサついた音がして制服警官が玄関から姿を消した。
「つまりですね、その二人が出ていったところは誰も見ていないんですよ」
「どういうことですか?」
俺は母親の察しの悪さに苛立ちを覚えた。どうもこうもない。そのままの意味だ。うちの庭に侵入したらしいその二人が、まだこの敷地内にいるかもしれないということじゃないか。
「いいですか、奥さん。落ち」
刑事は玄関へ戻ってきた制服警官に再び耳打ちされて言葉を切ると、「それでは、我々はこれで失礼します」と言って急に立ち去ろうとした。
「え、あの、刑事さん。まだお話の途中では」
「申し訳ない。緊急通報が入りまして、我々も現場へ向かわなければならないので」
そう言って警察の二人はそそくさと帰っていった。彼らの背中を見送った母親は「どういうことなのかしら」などと呟いていたが、しばらくすると「最近はなにかと物騒ねぇ」と他人事のようにブツブツ言いながら、玄関の鍵も掛けずに奥へと引っ込んでしまった。
警察から『まだ二人の侵入者が敷地内にいるかもしれない』と示唆されたばかりだというのに、母親の態度は事態に対してあまりにも無関心すぎる。
「お母さん、警察の人が庭に誰かいるんじゃないかって。さっきそう言ってなかった?」
声を掛けながら台所を覗くと、コンロの前で背中をこちらに向けて立つ、料理をしているらしき母親の姿が目に入った。煮物でも作っているのか、鰹
「お母さん?」
換気扇は回っていないので聴こえているはずだ。
「お母さん、聴いてる?」
「誠」
「なに?」
俺が訊き返すと母親は、しばしの沈黙の後に「庭の扉、今夜は閉めちゃ駄目よ」とこちらを向かずに答えた。
「でも」
「お父さん、今夜は帰りが遅いのよ」
「でも警察の人が」
「もう、お母さんもやること沢山あるんだから、あんたもさっさと宿題済ませちゃいなさい」
それ以上は何を言っても無駄な気がした俺は、父親が帰ってきたら相談してみようと、母親の態度を
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