『正しい休日の過ごし方』
魚島(うおしま)のフェリー乗り場から海岸沿いに五㎞ほど東に歩けば、魚島東共同岸壁が見えてくる。この通称『東岸壁』は、漁船や物資輸送船のために整備された港で、大型客船の乗り入れすら可能な護岸の水深は足下から二〇メートルは下らない。
アジ、イワシ、サバなどの小物はもちろん、ハマチ、ブリ、カンパチなどの青物から、クロダイ、メジナなどの上物、イシダイやイシガキダイなどの底物、カサゴ、メバル、ハタ類、クエなどの根魚、果ては真鯛まで。足場がいい上に魚種多彩な良漁場として県外から足を運ぶ釣り人も多い。近くには釣り目当ての宿泊客を当て込んだ民宿やペンションも軒を連ねている。ハイシーズンの休日ともなれば岸壁にずらりと釣り人が並び、竿を出そうにも出せないような状況もよく見られる。
しかし、ここで釣りをしてるうちはまだまだ素人だ、と内田翔太(うちだしようた)は思う。
ゴールデンウィーク最終日の日曜日、午後三時を回ろうかという時間である。いつ来ても出会う定年退職組の常連さん以外は、数組のファミリーと本格的なアングラーがぽつぽついるだけで、この釣り場としては非常に空いている状態だと言っていいだろう。
彼らを横目で見ながら、翔太はサクサクと釣り場を通り過ぎる。登山用の容量が何十リットルもあるような巨大なザックを背負っている。ザックの外側にはくるくると巻いた銀マット。ザックのお尻にカラビナで吊されたシェラカップが一足ごとに陽光を反射してきらりきらりと輝く。手には巨大なボストンバッグとクーラーボックス。
東岸壁は真っ直ぐ三〇〇メートル近く続く垂直護岸だが、その東端に古く目立たない石造りの階段がひっそりと山際に貼り付くように伸びているのに気がつく釣り人は多くない。まして、その階段の行く先に興味を覚える釣り人は皆無に違いない。なるほど、確かに海釣りに来ているのに山に登る階段に注意を向けるのは愚かなことかも知れない。階段の脇には白い塗装の下から赤錆が浮いた、古ぼけた看板が立てられている。
『←教學寺(きようがくじ)』
看板の朽ちかけた文字はかろうじてそう読める。
寺へと続く石段は薄暗くじめじめして苔むしていてよく滑る上に、天然石を用いているらしく大きさが一段一段違っていて、非常に上りにくい。
階段が貼り付いている小山は、どう見ても山というより丘だが、その名を『隋船山(ずいせんやま)』というれっきとした山である。標高は二一メートルしかなく、県下の山の中では最低峰である。それでも、急峻な斜面に貼り付くように据えられた階段を三分ほど上ったら、一度立ち止まって背後を振り返ってみるといい。そこまで上ればすでに東海岸と釣り人たちは視界の中に全く入らず、まばらに生えた木々の隙間から見える崖下の険しい海岸線に波が白く砕け、天気がよければ遠く水平線に薄くもやのかかった本州が見渡せるだろう。絶景である。
翔太はここを上る度に目印にしている赤松のところで一度必ず振り返ることにしている。どんなに精神的に落ち込んでいるときでも、この景色を見た瞬間だけは、嫌なこともつらいことも何もかも吹き飛んで、ただただ世界の大きさと己の小ささだけを感じることができる。
今日は最高に天気がよくて空気も澄んでいる。本州はもちろん、遠くに点々と操業する漁船や釣り船、そして島の要路である魚鷹(うおたか)フェリーがゆっくり遠ざかっていくのが見える。トンビが一匹、思いの外近くを旋回しながら長く鳴き、上昇気流をとらえて太陽の中に消えていく。
さて、目印の赤松で振り返ったあとは、もう一度階上に向き直り、左手の藪に視線を転じてみよう。夏場には生命力の横溢した藪に全てが覆われているだろうが、秋口から春先にかけては、そこに獣道が確認できる。島民でも知っている人間はそう多くはないが、実はこれは獣道ではなく、れっきとした人工道である。事実、藪をかき分けて少し先を行けば、先の階段よりさらに二回りほどくたびれた石段に出会える。ちなみに、この石段は緩く斜めに海岸線まで続いている。
石段を五分ほど歩けば、海に出る。
翔太は額に浮いた汗を拭いながら、背中の大荷物を背負い直す。
眼前には、どこまでも続く大海原。左手には荒い地磯が広がり、右手には浜と呼ぶには狭すぎる、幅五メートルほどのちょっとした砂浜がある。背後はそり立つ崖。東海岸からはもちろん教學寺への階段からも見えない、まるでプライベートビーチのような隠れ家的ポイントだった。
「ふう」
翔太は軽く息を吹いてハンカチをしまう。打ち寄せられている手頃な大きさの流木のうち、よく乾いたものを選んで拾い集めながら、右手の浜へと歩いていく。一〇メートルほど歩くだけで流木は抱えきれないほどの量になる。
砂浜の一番奥まで来ると、そこに荷物をどかどかと下ろし、心の中で、ここをキャンプ地とする、とつぶやいてふっと笑う。
テントは安物のドームテント。実家に転がっていたものをずっと使っている。壊れるまで、と思いながらシーズン問わず月二、三回とヘビーに使い倒しているが、全然壊れる気配はない。もちろん、濃いグリーンだった色は黄緑色にまであせているし、防水コーティングもバカになっていて大雨が降ると上からも下からも浸水するし、お世辞にも格好いいとか所有欲を満たすとかいうことはない。夏は蒸れるし冬は結露がすごい。メッシュ扉がチャックのところでほつれて、一晩でテント内が蚊の養殖場のようになったこともある。それでも、大学のときからすでに五年、使い続けている。愛着があるので、壊れる前に新しいものを買おうという気が起こらない。なんだか、翔太の身の回りのものはそんなものばかりであふれている。
落石の恐れがあるので、崖からは十分な距離をとる。すると海が近くなるが、ここはお気に入りポイントで何度もテント泊しているので、大潮の満潮時にどこまで潮が満ちてくるかはちゃんと把握している。
テントの設営が終わったら、ボストンバッグから折りたたみのローチェアを出して組み立てる。そして、同じくボストンバッグから、パックロッドと呼ばれるものすごくコンパクトに収納できる釣り竿を取り出す。畳んだ状態では四〇センチにも満たない長さだが、伸ばすと三メートルの立派な竿になるのである。秘密のポイントに出向くのに一目でそれとわかる釣り竿を担いでいては目立って仕方ない。翔太はこのポイントに来るときはいつもパックロッドをバッグに忍ばせて、ただのハイカーかキャンパーに見えるように気を遣っていた。大勢の釣り人が押し寄せたら、この狭いポイントはたちまちのうちに荒らされてしまうだろう。
手際よく仕掛けを作り、針に石ゴカイという虫餌をつけて準備完了。沖に向かって仕掛けを投げ入れる。そう遠くに飛ばす必要はない。手前から五メートルまでは底が荒くてすぐに仕掛けが引っかかってしまうし、一〇メートルまでは海藻がひどくて釣りにならないが、二〇メートル以上投げれば延々障害物の何もない綺麗な砂地だからだ。
仕掛けを投げ入れた翔太は釣り竿を適当な流木に立てかけて置き竿にし、ローチェアに腰掛けた。とりあえず、海を眺めてほっと一息。砂浜に寄せる波音が、背後の崖で反射して不思議な響きを奏でる。一定のリズムで寄せては返す波の音が、全身を包む感覚。翔太は目を閉じてしばし休息。
がた、と竿が動く音がして、翔太は目を開く。ひょっとしたら少し眠っていたのかも知れない。すでに日が陰ってきており、夜気を含んだ風が汗ばんだ体から体温を奪う。かなり日が長くなってきている五月とはいえ、背後にそびえる隋船山が太陽を隠してしまうため、ここには存外早く夜が来る。
翔太は身震いをしながら椅子から立ち上がる。そういえば、魚のアタリを知らせる鈴を竿につけるのを忘れていた。翔太は竿をつかむと緩めていたリールのドラグを締めて、大きく竿をあおる。ぐ、と魚の重みが乗る。
「っしゃ」
思わず小さく声が出る。ブルブルとした引きは、どうやらキスのようだ。五月頭だからキスにはまだ早いかと思っていたが、いるところにはいるもんだ。
「お、引くなぁ」
時折きゅうっと竿先を引き込むのは、型のいい証拠だ。手前の海藻や荒い海底に引っかけるとばらしてしまう。気をつけながら寄せてきて、波打ち際から一気に抜き上げた。
やはり、キスだった。
大きい。通常、二二、三センチを超えればかなり大物とされるが、これは二八センチはある。あと二センチで『肘たたき』と呼ばれる記録級のビッグサイズだったところだ。これに気をよくして、さらに追加すべく餌をつけて仕掛けを放り込んでおく。
寒くなってきたので焚き火の準備。石組みのかまどに手際よく薪を乗せ、火をつける。薪をなめるように徐々に炎が大きくなっていく。じんわりと体が温まる。
そのまま無心の時間が過ぎる。
こんな風に、何もかも忘れる時間が過ごせるのがキャンプの魅力だよな、と翔太は思う。
不意に空腹を覚え、クーラーを開ける。よく冷えたビールと、日本酒が二種類。ひやでうまいやつと、熱燗にするつもりのやつだ。まずはビールでしょ、と奮発して買った発泡酒じゃない本物のビールの缶を取り出す。
釣ったばかりのキスを締め、鱗と内臓をとる。細長い流木をナイフでとがらせて作った串をキスに打つ。持ってきた塩を割と多めに振れば、あとは、焚き火のそばに串を刺してじっくり焼くだけだ。コツは、火に近づけすぎないこと。時間をかけてじっくりと火を通すのだ。
流木の串をあと三本こしらえて、持ってきたイワナを同じように焼く。軽く尺(三〇センチ)はある大物が三本。このイワナは、昨日の晩に松田昌彦(まつだまさひこ)がわざわざ翔太の家まで届けてくれたものだ。松田は三本の尺イワナをぐいと突き出して見せながら、顔中のひげをゆさゆさ揺さぶり豪快に笑った。
「遡渓に丸二日かかる秘境に行ってきたぜぇ。川幅二メートルもないような最上流域でこんな大イワナがばこばこ連発するんだよ、たまらんわガハハハハ」
遡渓とは渓流を遡って歩くことを指す。つまりこれは、往復四日かかるような山奥まで分け入って獲得した魚であるわけだ。ほとんど原始人である。
松田は御年六五歳で、二年前に退職している元教師だ。三年前、新採用で初任者だった翔太の指導教員だったのだが、釣りとキャンプという共通の趣味があり、今でも山に川に海に共に出かける仲である。もっとも、去年一年は翔太が多忙すぎてほとんど同行できなかったが。
そもそもこのゴールデンウィークも、一緒に釣りキャンプをしようと計画していたのである。それが、ただでさえ飛び石連休だったところに仕事仕事で追いまくられて休日出勤の嵐。土曜日に半ば徹夜で仕事を終わらせ、今日の昼まで泥のように眠り、やっと昼過ぎに動き出したというわけである。
つまり。
今日、寝て起きれば明日からまた仕事だということである。
うげ。いい感じに現実逃避できてたのに、一瞬で絶望的な現実に引き戻されてしまった。
「はあ。眠りたくねぇなぁ……」
寝て起きれば日付が変わる。明日なんか永遠に来なきゃいいのに、と翔太は思う。
職員室で翔太の右隣に座る桜井天真(さくらいてんしん)は、
「そんなに忙しくて疲れているなら、キャンプなんて行ってる場合じゃないんじゃないスか」
なんて野暮を言う。全然わかってない、逆なのだ。忙しくて疲れて心底参っているからこそ、キャンプで何も考えない時間、自然と触れ合う時間がないとやっていけないのである。
ローチェアに腰掛けながらビールの缶を手にとり、プルトップを引き起こして一気に半分ほどを飲み下す。
うまい。
うまいはずだ。だが、その味、そののどごしには、どこか雑味が混ざっているように感じた。『現実』という名の雑味だ。
昨日、つまり土曜日の午前中、翔太と同じく休日出勤していた教頭の浅井信三(あさいしんぞう)に聞かされた話が脳裏によぎる。
◎
「内田せんっ。ぼくも驚いてるんやけどな、落ち着いて聞いてや」
出勤しているのは翔太と浅井二人だけだったが、わざわざ職員室の奥の給湯室のさらに奥の休憩室兼応接室へ翔太を呼んで、浅井はそう切り出した。
「せんのクラスにな、つまり二年生の中に、ってことなんやけどな――」
そこでいったん、ためを作り、
「来者がおるらしいんや」
そう言われても翔太はピンとこない。ライシャという音が漢字に変換されない。
「来者ってあの来者やで。宇宙人のな。ほんまもんですわ。今朝、県教委から通達があってな。くれぐれも、ええか、せんっ、くれぐれも問題にならんよう、注意するんやで」
県の教育委員会がお出ましとは、穏やかでない。
ちなみに気になっている人のために説明しておくと、浅井の言う「せんっ」というのは「先生」を短くしたもので、浅井独特の言い回しである。ギャグのような関西弁といい、とにかく癖が強い。
「万が一、せんっ、万が一やで」
浅井はここで急に声のトーンをさらに落とす。
「『暴走事故(TRA)』でも起きてみ、僕も校長も内田せんも、懲戒もんやで。な。ちなみに、この話は守秘義務あるからな。他のせんにも誰にも話したあかんで。気ぃつけてや」
◎
焚き火に薪を追加する。ぱっと火の粉が舞って一瞬火勢が弱まり、またじわりと炎が上がる。
正直、翔太にとって来者とは、ニュースの中だけの存在だった。
一九八八年、米国防総省は宇宙人=『来者(visitor from outer space)』が一九六〇年代からすでに地球に入り込んでいたと発表した。人類は月面着陸よりも早く、宇宙人とのファーストコンタクトを果たしていたわけだ。しかし、当時正体を明かした来者の多くは苛烈な差別を受け、迫害された。来者は外見上、地球人と見分けがつかない。地球人との間に子孫を残すことさえできる。しかし、ほとんど地球人と変わらないが故に、逆に徹底的な差別が行われた。
これらの事実を、翔太は学校の社会の授業で習った。当時の地球人の心境は翔太にはわからない。ただ、隣で笑っているあいつが宇宙人かも知れない、という想像は、確かに気持ちのいいものではないだろう。『宇宙人は地球征服を虎視眈々狙っているのだ』というのは、六〇年代も今も変わらず一部の地球人が熱烈に支持する陰謀説であり、来者への差別・迫害の根拠の一つとして語られることも多い。
二〇〇七年、日本で来者保護法が施行され、来者に対する差別は厳しく罰せられることになった。しかし、この法律は来者に対する差別を水面下に押し込めこそすれ、なくすことは到底できなかった。
二〇〇七年当時、翔太は中学生に上がったばかりで、道徳の時間で嫌というほど『来者には地球人と同じ人権がある』と繰り返され、嘘くさい理想を押しつけがましく書き連ねた政府発行のパンフレットも配られた。
しかし、それでも来者に対する差別はなくならなかった。
来者の存在が発表されてから三二年、来者保護法が施行されてから一三年。二〇二〇年現在でも来者は依然として差別対象である。全人口の一〇パーセントが来者、もしくは来者と地球人との混血だという予測データを何かで見たことがあるが、一部の著名人を除き自分が来者であることをカミングアウトする者はほとんどいない。来者といえば、たまにテレビで『暴走事故(TRA)』のニュースが流れるのを耳にするくらいのものだ。
その来者が、自分のクラスにいるというのだ。
翔太はこんがりと焼けたキスを焚き火から取り上げる。しみ出した脂で揚げ焼きのようにぱりぱりになっている皮の上から、豪快にかぶりつく。じゃり、と塩の粒が歯に当たる。ぷつりと薄い皮が裂け、柔らかだが弾力のある白身がふわっと口の中でほどける。噛みしめると上品な旨味が、多めに振った塩に負けないパンチ力で濃く主張してくる。
うまい。
キスは天ぷらのネタとして最高だが、焼き魚にしてもなかなかどうして、いい仕事をする。
翔太はビールの残りを煽る。
来者や明日の仕事のことは置いておき、今は酒と肴と焚き火に集中することにする。
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