第1話 エンジニア





 荒廃したオフィス街。古びた建物が並び、木枯らしのような寂しさが流れている街の一角に、丁寧に整備された雑居ビルがひとつある。

 そのビルの最上階は、個人宅兼工房として改造されていた。この人いない街で、その最上階には唯一住人がいる。


「リト、左腕が壊れました」


 無機質な音声が聴こえて、最上階の所有者である男は、コンピュータの画面から眼をはなした。二十代くらいのその男は、薄い無地の上着にジャージの長ズボンと、いかにも部屋着といった服装をしている。



 男のデスクにある複数のモニターには、様々な言語で書かれたプログラムのエディタが表示され、モニターの大部分を占めるターミナルでは、プログラム実行の跡が流れていた。デスクの下にある大きなデスクトップは、ファンが回る音を響かせながら、機械熱を放出している。


「またか……」


 薄暗い部屋の中で、機械音にリトと呼ばれたエンジニアの男は、作業場の書斎から出て音声は聴こえた方へ向かう。


 音声がした場所は、リトが出てきた作業場と隣接する大部屋だった。


 大部屋にはソファーやテーブルが置かれ、大窓から差す光もあって一戸建て住宅のリビングのようになっている。そんな大部屋のソファーには、一体の鉄人形が座っていた。

 すらりとした体形をしているその鉄人形は、大部分がシルバーに塗装されており、鎧のような身体の隙間からは、所々、植物のツルのような黒いコードが見えている。顔の部分には人間と同じような凹凸が存在しているが、目元は複眼のような黒く丸いレンズで覆われていた。



 リトは鉄人形に呆れ果てたような眼をやった。


「なにしてんだよ……?」

「左腕の動きが良くなかったので、油をさすついでにメンテナンスしようとしたら、肘より先の制御ができなくなりまして……」


 鉄人形から発される機械音は淡々としていたが、その音調はどこか申し訳なさそうにしているように感じる。


 鉄人形はリトに見せようと左腕を上げたが、肘から先の部分が停止しているせいで不自然な形となっていた。


 その間抜けな鉄人形のポーズを見て、リトは大きなため息を洩らす。


「メンテは明日やるって言っただろ」

「ですが、リトやアルファの手を煩わせるのはいかがなものかと思いまして……」

「それで身体壊してたら意味ないだろ、結局俺達が治すことになるんだから」


 このやりとりも何度だ、とリトは呆れた顔のまま、鉄人形に自身の工房に来るように促した。


「ほら、さっさと来いよ。配線が切れただけなら俺だけでも治せる」

「ありがとうございます」


 鉄人形はゆっくりと稼動して、左腕を押さえながらリトの後ろをついていき、彼の工房へと入った。






 動く鉄人形の名前は、『San』。俗に言うヒューマノイドロボットである。身長は178.5cm、体重は65.8kgとボディパーツに特殊金属を使っているおかげで、ほぼ人間のそれと変わらない。関節はサーボ式だったり油圧式だったりと様々な形で稼働している。状況把握は頭部に組み込まれたカメラとマイクロフォン、身体の各所にある無数の触覚センサやジャイロセンサ、温度センサなどで行っている。また、動力源は心臓部にあるリアクタ、思考機能は上頭部にある演算装置やメモリが、それぞれ役割を担っている。


 外見はロボットそのものだが、機能は人間と大差がない。関節数や機構の配置なども、ほぼ人間と同じだ。


 現代、人々の生活にはヒト型ロボットが随分と身近になっているが、それらはいくつかの大企業から生産、販売されているものである。対してSanは、ある少女とリトの手によって組み立てられたものであり、大半の機能(状況認識プログラムや姿勢制御プログラムなど)は、リトが一から構築したものだ。なので世間にありふれているヒト型ロボットと比べると、パーソナルロボットとしてのSanの構成や性能は、かなり特殊である。他のロボットと違い、今のように自分のメンテナンスをしようとして、身体を壊すことも少なくない。





「まったく……パーツそのものが壊れてなかったから良かったものの、お前のボディのパーツは安くないんだから、もう少し自分を大切にしろ」

「すみません」


 工房にて、半だごてを片手に回路の配線を繋ぎながら、リトは叱責した。

 やがて、切れていた全コードがつなぎ終わる。Sanはクルクルと左腕を回して感触を確かめた。


「至れり尽くせりですね……」

「何の言葉と勘違いしてんだ?」


 リトは、また大きなため息を洩らすが、Sanは何故彼がそんな表情をするのか分からず、顔を傾けた。





「ただいま戻りましたー!」


 リトとSanが工房の道具を片付けた直後、フロア入口の玄関扉がドガンと音をたてて勢いよく開いた。


 入ってきた人物はドカドカと音を立てて、慣れた足取りで工房へとやってきた。


 やって来たのは、学生服を模したようなおしゃれな作業着を着て、頭に多機能ゴーグルをのせた少女だった。作業着の上からでも分かるすらりとした体形をしており、艶のある黒髪は綺麗に後ろに束ねられている。地味な印象を受けながらも、誰もが一目で見て彼女を美人と評価する見た目だ。


「いやー、最近は食べものだけじゃなくてパーツも値上がりしてますねぇ。Sパラ配線が3金5銀(金貨3枚と銀貨5枚)もしましたよ」


 パーツの買い出しから戻ってきた少女、アルファは、紙製の買い物袋から、雑に包装されたコードや素子、装置のパーツを取り出して、工房の引き出しに手際よく仕舞っていく。


 アルファは工房の壁に設置された戸棚の引き出しに何がどこにあるのか正確に把握していた。というのも、工房は主に彼女の仕事場であり、彼女自身はハードウェア全般について飛び抜けた知識と技能を持っている。5歳で時計を分解した後に組み立て直し、14歳で熱核エネルギー式エンジンを自作した、まさに天才である。Sanを組み立てたのも彼女である。


「プロセッサは買えたか?」

「はい、普通サイズのよりかは、値が張りましたけど……」


 リトに訊かれ、アルファは袋の底にあった目的のものをガサゴソと取り出す。そして掴み取った集積回路チップの束が入った袋を、そのまま彼に手渡した。


「でも師匠。いい加減、超小型高処理並列分散多次元演算装置ミニハイプロセッサにしたらどうですか?」

「何度もいわせんな、そんなアホみたいなの、仕事以外で使う必要はねぇ。CPUとGPUで充分だ」

「えぇー、でもいくら小型とはいえ、今のご時世、そんな化石みたいなパーツ使ってるの、師匠だけですよ。せめてDPU(多次元演算処理装置)くらい使いましょーよ。なんなら私が設計イチから作っちゃいますから!」

「良いんだよ。世間よそ世間よそ、ウチはウチだ」

「でた、お母さんルール!」


 アルファは頭を抱えるように手を当て、首を振りながら深いため息をついた。


「まったく……ソフトは一級品なくせに、ハードのことになるとダメダメなんですから」

「しかし、アルファの言葉を借りるなら、私の身体ボディもその化石から作られているのですが?」

「そこが不思議なんだよねぇ。本来ならSan並みのヒト型ロボを作るなら、姿勢制御プログラムのためにDPUの一つや二つ使っててもおかしくないのに……」


 アルファは腕を組み、眉を歪めた。

 Sanのパーツや普段リトが扱っているツールは、いずれも欠点のないハイスペックなマシンだ。だが、超小型携帯通信端末や立体映像モニターが流行している現代においては、時代遅れの産物といっても過言ではない。


 しかし、懐古厨なのか、リトは決して世に出回っている高度なパーツを使おうとしない。


 だが本来、ヒト型ロボットの身体を動かすための姿勢制御プログラムや感覚処理プログラムを実行するには、もう少し高性能なパーツが必要であるはずなのだ。Sanの身体を組み立てるのには、アルファもかなり手を貸したため、Sanのそれらを使っていないのは、よく理解している。


 なのに何故、彼の作ったSanのソフトがここまで(人間の日常を再現するくらいにまで)稼働できているのか、アルファは常々気になって仕方がなかった。

 だがいくら考えても、ソフトウェアに関する知識については並み程度にしか有していないアルファには、答えがでない。

 やがてアルファは考えるのを止め、同時にあることを思い出して「あっ!」と声を出した。


「そういえば、買い出しの途中で偶然“モーリ爺”に会いまして、“仕事”を頼まれてきました」

「またかよ……」


 受け取った集積回路チップを一つ一つチェックしていたリトは、嫌そうな顔をアルファに向けた。


「今度は、なんでも発電機が壊れたみたいです。幸い、ソーラーと予備電源があるから、緊急の依頼ではないそうですけど、天気が悪くなる前に来て欲しいって」

「あの飲んだくれ頑固ジジィ。この前、車なおしてやったばっかだろ!」

「まぁまぁ、これも数少ない仕事ですし」

「数少ないは余計だよ……まったく」


 リトはのっそりと動いて、作業場へと向かった。やがて作業着に着替えて戻ってきた彼は、工房にある仕事道具の入ったカバンを片手に、Sanとアルファを連れて家を出た。




 ビルを出ると、リトは一階のシャッターを上げた。ビルの一階は車庫になっており、そこには一台のサイドカーが置かれていた。リトがヘルメットを身につけ、バイクに乗ると、アルファは彼の後ろ、Sanはリトの持っていたカバンを抱え、サイドに乗り込んだ。


「そんじゃ行くぞ」

「了解です」

「ちゃちゃっとやって、すぐに終わらせちゃいましょー!」


 サイドカーはエンジン音を轟かせ、ビルから飛び出るように走り出す。

 三人はオフィス街を駆け抜け、仕事へと向かった。





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