ギア・ラウンド・エヴリデイ

添野いのち

第1話 名前の意味に気づかされて

 部屋の小窓から差し込む光が、私を目覚めさせる。一つ背伸びをしてベッドから起き上がった。今日もお父さんは来ないだろう、と思いながら真新しい制服に手を伸ばした。紺色のセーラー服に、左腕の部分に入っている赤色のラインがアクセントの制服だ。

「高校生、か・・・」

 独り言を呟く。そして制服をじっと見つめ、

「本当なら、もう一着制服を買うはずだったんだけど。」

 と一言。私は自然と左目から流れてきた涙を拭いながら、制服に腕を通した。

 リビングに行ったが、やはりお父さんの姿は無かった。念のため玄関も確認したが、やはりお父さんの靴は無かった。

 冷蔵庫に入っていたパンを一つ焼き、湯を沸かし紅茶のティーバッグを入れた。今日も一人、寂しい朝食の時間だ。紅茶を一口飲むと、優しい甘さとほのかな酸味が口に広がった。

「ふぅー。」

 思わず息が漏れた。焼けたパンを片手に、私はベランダへ出た。高層マンションの最上階からは街が一望出来る。今日から私は高校生になるのに、見える景色は昨日と全く変わらない。車が走り、電車が通り、そして歯車が回っている。


 この都市では、数十年前に大量の歯車が設置された。歯車たちに託された仕事は、物の輸送や送水など様々。地下のトンネルを中心に設置されたが、一部は地上に設置され、マンションやビルの高層階への輸送を助けている。24時間365日、絶えず回り続けている。


 パンを食べながら、ビルの壁に付いている歯車を見つめる。一定の速度で、ただただぐるぐると回っている。

(お父さん、今日も頑張っているのだろうな。やっぱりあの事が悔しくて仕方ないのかな。)

 一つため息を吐いてからパンを一気に頬張り、私はリビングへ戻った。

 歯を磨き、髪をまとめ、部屋に置いてある新品のリュックを背負う。中身はほぼ空だが、何かがぎゅうぎゅうに詰まっている感じがした。玄関で靴を履き、靴箱の上に置いてある家族四人の写真を見た。

「いってきます」

 写真に向かって言い、家を出た。

 マンションを出て、近くの駅へ向かう。車が忙しなく行き交う大通りを数分歩くと、大きな駅舎が見えてきた。この都市で最も大きい駅で、いくつもの路線が乗り入れている。駅舎に入ってすぐの改札を通り、ホームへ続く階段を登っている時だった。

 ドンッ。

 右肩に何かがぶつかった。いや、ぶつかってきたのか。振り返ると、そこには茶髪の女の子が一人。私と同じ服を着ていた。腕に入っているラインは赤色。私の高校の制服には肩に学年カラーのラインが入っている。今年の1年生は赤だった。

「ごめんなさいっ!・・・うん?その制服もしかして、朝風あさかぜ高校?」

「ええ、そうですが。」

 私が答えると、その子は、

「早く行かなきゃ!入学式の集合8時半まででしょ!」

 と、私を急かした。

「あの・・・、9時半の間違いでは?」

 私はその子に携帯に届いていた一通のメールを見せた。高校から届いたメールには、入学式の日の集合時間は9時半と書かれていた。

「え⁉︎あ・・・あああっ・・・!」

 その子はその場に座り込んでしまった。膝から崩れ落ちた、と言った方が正しいかもしれない。

(ここ、階段なのに⁉︎)

 通行の邪魔になっているのは言うまでもない。私はその子の手を引き、ホームへ駆け上がった。

 ベンチに座らせると、その子は話し出した。

「ごめん、私おっちょこちょいだから・・・時間間違えてたって分かった途端、遅刻せずに済んで良かったっていう安堵と恥ずかしさで力抜けちゃった。」

「は、はぁ。」

 私はまだ息が切れていた。運動音痴がホームまで駆け上がるとそりゃ疲れる。

「そういえば、まだ自己紹介してなかったね。私はあかしリン。君は?」

「わ、私は、森川もりかわ春夏はるか・・・、です。」

 私の息が整う気配は無かった。

「ハルカちゃんか。いい名前。ねえ、一つ聞いていい?」

 リンが聞いてきた。

「はい。」

「ハルカって、カタカナ?それとも漢字?」

 私は少し俯いて、

「・・・か、漢字、です。春に、夏って書いて、春夏。」

 リンの声は返ってこない。

(やっぱり今時、漢字の名前って珍しいからなぁ。)

 一つため息を吐いてから、少し目を上げてみる。目に飛び込んできたのは、目を輝かせているリンの顔だった。

(顔が近い!)

「どうしたんですか?」

 リンに聞いてみた。

「やっと、会えた・・・名前が漢字の同級生!」

「そんなに探してたんですか?」

「私ね、歴史が好きなんだけど、特に二〇〇〇年から二〇二〇年くらいの〈ちょっと昔〉が大好きなんだよ!今の子供の名前ってほとんどカタカナでしょ。その頃はみんな漢字の名前で、込められた意味も今よりもずっと深いからね!魅力的だと思うんだけどな〜。」

(変わったタイプの歴史オタク、なのかな。)

 私は少し複雑な表情を浮かべ、リンを見つめていた。リンはそんな私を見て、

「ご、ごめん!私ったら春夏ちゃんのこと忘れて夢中になっちゃった。さっぱり分からない話ばかり聞かせちゃって・・・。」

 と言った。私はこの言葉を遮るように、

「い、いえ!リンさんの好きなことと、それに対する思いの熱さを知れたので。」

 と言った。

「あ、ありがとう。そう言ってもらえて、ちょっと安心した。」

 リンはほっとした表情で言った。その時、

「まもなく、5番地上ホームに、各駅停車、はら行が参ります。ホームドアから離れてお待ち下さい。」

 と、放送がかかった。

(この電車、だったかな。それにしても〈音ノ原〉って・・・素敵な名前。)

 お父さんから、「音ノ原行か上車かみしゃ行の各駅停車に乗りなさい。あ、快速は停まらないから気を付けろよ。」と伝えられていた。その時、私の耳に残ったのは〈音ノ原〉の名前。小さい頃に数回旅行に行って以来ずっと、歯車の都市から出ていない私にとって、知らない都市は魅力的だった。音ノ原は名前を聞いただけで惹かれてしまった。

 私はベンチから立ち上がり、近くの乗り場へと向かった。

「もう乗るの?」

 リンが聞いてきた。

「少し早いですが、早く行くことに越したことはないでしょう。」

 私はそう答えた。

「そういえばさ、話戻すけど。」

 リンが言った。

「〈春夏〉って名前、どんな意味があるの?ほら、漢字の名前に込められている意味はカタカナの名前より深いって聞くからさ。実際どうなのかなぁって。」

 私は答えに困った。名前の意味を親に教えてもらった覚えも無ければ、考えてみたことも無かったからだ。

「名前の意味・・・。〈春夏〉の意味・・・。」

 小さく呟いた。私は俯き、じっと考え込んだ。考えて、考えて、考えて・・・。

「・・・!・・・ちゃん!・・てる?」

 リンの声ではっとした。何を言っていたのかは分からない。私が顔を上げると、そこにはちょうどドアを閉めた電車があった。電車は動きだし、私から離れて行った。

「あーあ、行っちゃった。」

「ご、ごめん、なさい・・・。」

「そ、そんなに落ち込まなくて良いのに!?次の電車もすぐ来るから大丈夫!」

 私は案内板の方を見た。

〈先発 快速 音ノ原行〉

「・・・あれ、高校の最寄りに停まりません・・・。」

「えっ、そうなのー!?」

(想像以上におっちょこちょい?)

 私はクスッと笑った。

 私たちはその後の各駅停車に乗った。電車は満員で、リンとは離れてしまった。

 電車の中でまた、あの事を考えていた。

(〈春夏〉の意味って、何なんだろう・・・。)

 私に付けられた名前、春夏。春、そして夏。どっちも暖かい季節だから心の暖かい子に育つように?いや、夏は都市の至るところに設置された冷房のせいで涼しい、というより少し寒い。冷たい心の持ち主になるようには願わないはず。じゃあ・・・春は出会いとか種蒔きの季節だから、新しいことに挑戦していけるように、とか?いや違うな・・・。何事も挑戦するだけじゃなくて、成功でも失敗でも結果を得られないと。そういう意味だと、種を蒔いて収穫する秋とか、別れを迎えて次に備える冬が足りない。

(秋と冬が足りない・・・?)

 そこで気づいた。季節はやはり春夏秋冬、この四つが揃って一つのサイクルが出来上がるのだと。この時、頭に浮かんで来たのは一人だけだった。

(秋冬あきと・・・)

 私の双子の弟だった。

(もしかして、二人で協力し会えるようにって、春夏秋冬を半分こして名前を付けたの・・・?)

 もちろん、それが正しいという確証は無かった。でも、これが正解だと確証を持って言えた。自分の中にあったわだかまりが消え、清々しい気分になった。

「まもなく、朝風に停まります。」

 開いたドアから降りていく人々の流れにのって、私は降りた。

「春夏ー!・・・って、何で泣いてるの?」

 リンが駆け寄ってきた。

「えっ、泣いてる・・・?」

 私は左手で目を拭った。左手を見てみると、輝く宝石のようなものが二つ並んでいた。

「もしかして、悪いこと聞いちゃった?」

「・・・いえ。」

 私はリンの方を見て、

「むしろ、そのことを聞いてくれて、ありがとうございます!」

 私の顔は久しぶりに輝いた。両面に付いた涙、そして優しい微笑み。

(リンのおかげで、春夏秋冬がまた一つに繋がった。)

 私は心の中でリンに、ありがとう、と叫んでいた。

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