黒髪少女の少女抜き

向日葵椎

第1話 少女抜き

 少女は家出をすることに決めた。

 が、まだ何も計画を考えていなかったので、それをこれから考えないといけない。

 自分の部屋のベッドで寝転んでいると、一階の部屋からまた騒がしい声が聞こえる。両親の言い争いだ。最近の両親は喧嘩が多くて、平日は夜もうるさいし、休日は一日中うるさい。これが彼女が家出を考えだした理由である。

 今日は休日で、さっきは少し静かになったけど、また騒がしくなった。これでは家出の計画を落ち着いて考えられないので、少女は外に出ることにした。

 一階に降りて、騒がしさの元であるリビング入り口のドアを横切り、玄関で靴を履いて無言で外に出る。きっと何か言っても聞こえないか、返事をするどころではないだろう。


「このままどこかへ行ってしまおうか」


 腕を組んで歩く。家の門から出ると右手にはU坂が伸びていて、その先は道が曲がっているので見えない。

 まずはどちらに進もうか、と少女が考えていると、カラカラカチッと音がする。小さな音だ。どうやら坂の方から聞こえるらしい。少女は坂の方を見た。

 すると、小さな何かが転がってくる。

 少女がじっとそれを見ていると、目の前で止まって日の光を反射した。ビー玉だった。誰かが坂の上から転がしたのかもしれない。誰かが転がしたのであれば、持ち主が取りに来るかもしれない。少女は坂の上の方へ顔を向けた。

 誰も来ない。気づいていないのだろうか。それともいらないから捨てたのか。少女は考えて、ビー玉を拾い上げた。透明で少しだけ傷ついている。

 少女は坂の上へ向かった。ビー玉の持ち主が捨てたのであればいいが、探しているなら教えてあげた方がいいと思った。上りながら、何かを探していそうな人がいないか左右にも気を配る。しかしそれらしい人物はおらず、ついに少女は坂を上り切ってしまった。


 手に持ったビー玉はどうするのがいいだろうか、と少女は考えながら、ビー玉を指でつまんで顔の前まで持ってくる。坂の方へ向いて、ビー玉を越しに遠くが見えるだろうかと試してみるが、ぼんやりしていてわからない。

 それでもじっと見ていると、何かが見えた。景色ではない。何か、ビー玉の中で黒いものが揺らめいた。ゆらゆらと、黒い煙のようなものが揺れる。

 少女はビー玉を目に近づけて見る。

 黒い煙が揺れる。

 揺れる、揺れる、揺れる。

 しだいに何かが見えてきた。


「――髪?」


 カチッカラカラ。

 ビー玉が坂を転げ落ちた。


 *


 少女は気づいた、自分の目線が低いことに。ほとんど地面と同じくらいの高さで自分が道の上にいることがわかる。寝転がっているのではない。立っているという感覚はあるが、その感覚がいつもと違う。

 足元を見る。黒い毛があった。

 驚いた。声が出ない。

 声が出ないことに驚く。動揺する。

 何かおかしなことが起きている。それ自体はわかったが、落ち着いて状況を確認しようと思えるまでに時間がかかった。

 気を落ち着けて、体を確認する。足元や体は黒い毛で覆われていて、手を見ようと前に出すと、同じく長い毛が前にするりと伸びてきた。その伸ばした毛先で体を触ってみるが、毛先に感覚がなかったのでわからない。

 次に体全体を見るために体をよじる。すると、思っていたより体が曲がる。ほとんど真後ろを見ることができた。自分の後ろ側は、やはり黒い毛。黒くて長い毛が後ろの方まで続いていた。

 髪の毛だろうか、と少女は思った。思えば、いつも見ている自分の髪に色や質感が似ている。

 それはわかった。だがそれはなぜだろう。

 不安な気持ちが膨らんでくる。


 少女は坂を下り始めた。家に帰ることにしたのである。一度家出を計画し始めておいて情けなく思わないでもなかったが、少女は「言い争いが止められない方が情けない」と考えているので迷いはなかった。

 もぞもぞ、慣れない感覚で這うように坂を下る。毛の動きは早いが、それでも移動するとなるとコツがいつようで、速い移動ができない。これでは人間が歩いて一分かかる道のりが一時間になってしまう。

 それでも必死に移動していると、向かいから誰かが歩いてくるのが見える。犬の散歩をしている女性だ。

 少女はとっさに隠れなければいけないと思った。こんな毛の塊がもぞもぞ動いていたら驚かれてしまう。

 ちょうど坂の途中に入れる道があったのでそこで曲がり、壁際の電柱の裏でじっと息をひそめて女性が通り過ぎるのを待つ。

 少ししてから少女は向こうの様子を確認する。

 女性は下を向いて携帯電話をいじっていた。

 が、チワワがこちらを見ている。女性が連れていた犬だ。

 そして、予想通り吠える。

 食われる、と少女は思った。いつもは小さくて可愛いと思っている犬でも、今は猛獣みたいに恐ろしい。

 女性がそれに気づき、犬の視線の先を見る。

「やめなさい。驚くでしょ」

 女性は少女に気づいていなかった。電柱から飛び出した黒い毛は見えたかもしれないが、野良猫だと思ったのかもしれない。

 いずれにしても犬に襲われずに済んだ。女性はそのまま犬を連れて坂を上って行って見えなくなる。

 少女は再び自宅を目指した。


 *


 自宅の門の前まで来た少女は再び動揺していた。

 家が違う。自宅は鉄筋コンクリートの二階建てだが、門の先に見えるのは木造平屋だった。場所を間違えたのかとも思ったが、坂の下のすぐ左でわかりやすいので勘違いするとも思えない。周囲の建物は鉄筋コンクリートなどで見覚えがあるし、位置的にも間違いなさそうだった。

 何がどうなったのか少女にはわからないが、ずっとここにいるわけにもいかず、やっと家への門をくぐることにした。

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