凸凹レッスン開始
――翌日。
昨日、舞雪と話し合って決めた結果、練習は朝一・放課後(他部活のない時)に行うこととなった。
練習場所はS高の音楽室。
二つある校舎のうち正門から遠い方にある古い校舎、4階左手奥にひっそりとある音楽室。
自転車置き場から一直線に向かっても数分は余裕でかかってしまう、最奥のような場所に位置している。
当然ここまで急いで上がってくれば、息も絶え絶えになるのは必然だった。
音楽室へたどり着いた弦真の前に、舞雪が楽譜を持って立っていた。
「いや、小花衣早いって。俺結構急いだんだけどな…」
弦真の愚痴をさらっと聞き流すと、舞雪は音楽室のドアを開けて弦真を中へ手招きする。
「さあ、舞雪ちゃんのスパルタレッスン開始だぞ?」
舞雪は酷く楽しそうに笑って言った。
本人の言葉通りレッスンは厳しいものだった。
我流で練習していた弦真と違い、中学の吹奏楽部で三年間鍛えられてきた舞雪は、基礎練から板についていた。
「よし、とりあえずはこんなとこかな」
舞雪の許しの出るアップを終えるまでに、かれこれ十五分は費やした弦真は朝から汗びっしょりで、舞雪のこれからの練習の厳しさが伺えた。
「ピアノ弾くのに筋トレっているん・・・?」
弦真はそう呟くので精一杯だった。
「そういえばさ、弓波くん。」
舞雪は、椅子に座ったまま弦真に話しかける。
「ピアノの連弾をしたい、ってことだったけど、コンクールとかには出るつもりなの?」
弦真は、舞雪に問われて戸惑いの表情を浮かべた。
「特に考えてなかったけど、出れるなら出たいかな…」
弦真は言葉を濁らせながら答えた。
舞雪はその返事を聞いて頷くと、おもむろに立ち上がった。
「あいわかった。それじゃあ当面の目標はコンクール入賞ってとこかな?」
舞雪は、髪を手で遊びながらそう問う。
「それはまだ無理じゃないかな?俺まだ超下手だし」
細々と言う弦真に、舞雪は意地悪そうに微笑んだ。
「なら私、部活に戻ってもいいんだけど?
弓波くんのことは綺麗さっぱり忘れちゃって、さ。」
「すみませんでした小花衣様。俺が悪かったです。」
弦真がすぐさま謝ると、舞雪は満足そうに微笑んだ。
「うむ、苦しゅうない。それはともかく。なんの曲弾きたい?」
「まだこれしかできないってのもあるけど『月の光』を弾きたい」
舞雪は少し思案して、ゆっくりと頷いた。
「わかった、そこは弓波くんの意見を採用させてもらうよ。思い出の曲だしね」
意味ありげにそう言って、舞雪はピアノの上に手を伸ばし、置いてあった白紙の紙と鉛筆を二本手に取った。
「え、なにするん?」
弦真が尋ねると、舞雪は決まってるとばかりにほくそ笑んだ。
「それじゃあまず、譜面起こし、行こうか?」
舞雪は鉛筆を一方弦真に手渡すと、意地悪そうに微笑んだ。
「もう、ここは二人で弾こうよ!」
「いや、ここはやっぱりソロじゃないと全体のバランスがおかしくなると思う」
「ならここは?ここはデュオでいいじゃん?」
「まあ、そこはそれでいいけど…」
「ていうか、基本的なとこ俺に聞かれてもわかんないって、言ってるじゃん」
「だから素人の弦真君には全体のバランスのところしか聞いてないじゃん」
「事実だけどなんかムカつく・・・」
「へーんだ、事実なんだししょうがないでしょー」
譜面起こしを始めてから三十分、二人はずっとこんな調子で作業に没頭していた。
ちなみに補足しておくとソロは、一人で演奏する部分のこと。
デュオは、二人で演奏する部分のこと。
舞雪が書き込んだ楽譜を弦真が手を入れ、弦真が直したところを舞雪がまた直していく。
けんかのようになってはいるものの、かなりいいいペースで譜面起こしは進んでいた。
「よーし、一枚目終わり!」
途中まで出来上がった楽譜を眺めて舞雪はご満悦だった。
一方の弦真は、疲れ切った表情を浮かべていた。
「たぶん、こういうことを言うんだろうね、凸凹コンビって」
「凸凹どころじゃなくて、凹凹だろ」
舞雪はくすくすと笑いながら、弦真に向き合った。
「弓波くん。すっごいいい雰囲気な中悪いんだけどさ」
そう言って舞雪は黙り込む。
「な、何?」
弦真が問うと、舞雪は一呼吸置いて口を開いた。
「ホームルームまで、あと二分なんです」
てへぺろとでも言いだしそうなノリで舞雪は非情な通告をした。
「おいおい、絶対間に合わないじゃんか!」
弦真は椅子から勢いよく立ち上がると、鞄に物を急いで詰めていく。
舞雪はそんな弦真を見てくすくすと笑った。
「じゃあ、おっさきー」
舞雪はすくっと立ち上がると、そのまま流れるようにして音楽室を出て行った。
「鍵返すの俺だよな?」
弦真はそう呟いて肩を落とすと、とぼとぼ廊下を歩いて行った。
弓波弦真。
初めての遅刻であった。
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