雪乙女の心(6)

「わぁっ!?」


 危うく下敷きにされそうなところで、突然後ろ襟を引っ張られ身体が横にズレる。


「ひっ!?」


 襟を引いたのはヴィンガルだった。鋭利な嘴で襟を咥えたままローニを引きずり扉の方へ。


「大丈夫?」


「セ、セツナぁ」


 もう何が何だかわからなくて、この中で一番安心できる白い少女に縋りつく。


 せつなは応じてローニの背と頭に腕を回し、よしよしと頭を撫でた。


「あんたのお父さんのところに戻ろう」


 うん、と小さく頷いたローニの背後を睨みつけ、せつなは前に出て彼を背に庇う。


 頭を覆った雪玉を振り払い、男は立ち上がった。足を痛めたのか、姿勢を横に斜めにして目玉をぐるぐる回す。


「雪、雪……『エルド』」


 指先の皮を喰い千切り、手のひらに何かを描き男が唱えるとそこに火の玉が現れた。基本的な火の魔法だ。


 男が一歩踏み出すとせつなは一歩下がる。彼女の背中にしがみついていたローニは押されてよろめいた。ヴィンガル相手にも怯むことのなかったせつなの表情に初めて焦りを見て、ローニの鼓動が早まる。


 ヴィンガルが足踏みをして威嚇する。


 男は火の玉を横に向かって放り投げた。床に付着し、ぷすぷすと黒い煙を吐き出す。


 なんてことを!?


 青白くなったローニの前でせつなの手が素早く火に差し向けられ、その手から放たれた吹雪が火を消し飛ばす。


「『エルド』『エルド』『エルド』『エルド』!」


 床や壁に男はがむしゃらに手のひらを押し付けた。魔力が込もった火は石の壁であっても関係なく瞬く間に広がり、混ざり、一つになって炎となる。


 ローニの反応は一歩遅れ、気づいたらすごい力で手を引っ張られ、扉に向かって走っていた。後ろのヴィンガルに背中を小突かれなら部屋を出る。


 上下に伸びる細い空間。双方に向かう螺旋階段。ローニが逃げ込んでいたのは城内中央に建つ白い塔の中だった。上は鐘のある行き止まり。ならば当然向かうは下だ。


 階段を降りる一行を男の笑い声が追いかけて、ローニは必死に足を動かした。


 しかし唐突にせつなの足が止まり、白い背中に鼻からぶつかる。


「セツナ?」


 彼女は険しい表情で下に向けていた。


 不思議に思っていると階段を登って来る影がローニの目に入る。それも一人や二人ではない。影は芋虫のように連なっていた。


「よくもまあ、次から次へと」


 表情に反して、のんびりと、呆れているようにも聞こえた。


 急に視界が明るくなったので上を見ると、部屋から出てきた炎がちらちらと尾を伸ばして広がろうとしていた。


 ——クォッケェエエエエエエ!


 羽を広げて雄叫びを上げたヴィンガルはその勢いのまま前方に突進した。せつなはローニを抱えて、一人と一羽は跳ねるように階段を数段飛ばしながら駆ける。


 意思のない人形も同然の者など肉壁にもならない。一人と一羽にとって突破など容易いはず。


 だが、行手を阻もうとする彼らはこの国で権威を誇る貴族。上にいた男のように、魔法を心得る者もその中には混じっていた。




 事態の収拾と王子の捜索を買って出たヴィルヘルムは、せつなと二手に分かれることにした。少女は大層不満そうにしていたけれど、最後には渋々と頷いて駆け出して行った。


 ヴィンガルがそのあとを追ったので、もしかしたら王子はあちらが見つけるかもしれない。ヴィルヘルムは混乱の鎮圧に専念することにした。


 大広間とは別階層の、淑女用の休憩室からほど近い廊下。どこから持ち出したのか装飾用の槍を持っていた夫人をその場で取り押さえる。戦い慣れていない者が暴れたところで、わざわざ部屋まで取りに行った氷の剣を使うまでもなかった。


 夫人を近衛兵に引き渡す。大広間から出ていた人間はこれであらかた保護できただろうか。


 誰もいなくなった廊下の端々を見渡し、悲鳴を拾い上げそちらへ駆けつける。正気を失った男が青年に掴みかかっており、手っ取り早く首に衝撃を与えて気絶させた。


 少々手荒い手法を使ったヴィルヘルムに助けられた青年は、安心したように笑みを浮かべる。


「助かりました! ニフルヘイム卿」


 揉み合ったせいか仮面は外れ、多少服装が乱れてはいるものの、それは貴族然とした佇まいを欠くものにはならなかった。


 どこからどう見ても貴族の好青年。しかし相対するヴィルヘルムの表情は以前堅い。彼の性格による無愛想さとは違う、警戒を解いていない故のもの。


「最初は偶然だと思っていた」


 静かに発せられた声に青年は無垢な顔で瞬きをする。


「旅人が多芸なのは珍しいことじゃない。道端で菓子を作っていた手が別の街では音楽を奏でていたとしても、まあそういうこともあるだろう思うだけ。——しかしだ」


 剣の柄を握り込む。ひんやりとした肌触りが感情こころを穏やかに撫でる。


「さすがに仮面舞踏会ここでは、ただ居合わせたではすまされない」


「そんな、落ち着いてくださいニフルヘイム卿、私は——」


「今宵招かれたのは、少なからず俺と面識のある者ばかり。初対面なのは令嬢ぐらいだ。それを頭に置いて答えろ。貴族を装ってここにいるお前は、誰だ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る