氷城の領主(1)
「おっきぃ……」
丘を下り森を進み、近づくにつれてヘルを囲う壁の巨大さに圧倒される。根本から天辺は見えず、俯瞰した景色を目にしていなければこの先に町があるなどと思いもしなかっただろう。
岩肌の一点に、これまた首が痛くなるほど巨大な氷の門があった。
アーベルがソリを降りて門へ向かい、門の脇の壁に空いた小窓から顔を出した男と少し話をする。「開門!」と声が上がって重厚な門が静かに開いた。アーベルが戻り、門をくぐる。
最北の過酷な辺境地と聞いて過疎化した村のような物を思い浮かべていたが、実際に目にした光景に「わぁ!」と感嘆の声がこぼれた。
彩り鮮やかなステンドグラスを嵌めた石と木の家。店が並び、多くの人で賑わう大通り。
ゆっくりと進むソリの上で、右へ左へと忙しく動き回って街を見回すせつなにコートが投げ掛けられる。
「ぶわっ、何?」
「目立つから着ろ」
そう言うアーベルは、町に入ってから銀髪を隠すように帽子を深く被り直していた。
それにしても、不思議な
舗装されたように滑らかな氷の地面。まるて凍った湖の上に町を造ったように見えるが、それにしては冷気が薄い。人々はしっかりと上着を着ているものの、明らかに壁の外より過ごしやすい気温である。
この町の下にあるのは本物の氷というわけではないのだろう。せつなの着物のように、なんらかの力で生み出されたものだ。町全体に行き渡るような
中央広場らしきところが見えると、今度は「おお」と驚嘆する。
地面と同じ材質——氷造の建物が広場を囲うように並んでいた。その中でも、周囲と間隔を空け、造形も他とは少々異なる、ドームの付いた大きな建物が目についた。
「ねぇ、あれは何?」
建物を指差し、アーベルの上着を引っ張ると「教会だ」と返ってくる。
「へえ」
すっかり観光気分でいたせつなは、中央広場を抜け、人通りが少なくなってくると首を傾げた。
「どこ行くの? この先ってもう城しかないけど」
言っている間に、巨城が待ち受ける上り坂を登り始める。
「そこが目的地だ」
「へ?」
壁に接してる氷の城は、あとからくっ付けたというよりもくり抜いて造られたように見えた。城の上には、削り取らずに残したような岩壁の一部が屋根となって城に影を落としている。そこからは巨大な氷柱がいくつも伸びていて、いくつかあるとんがり屋根の先端と繋がっていた。氷柱が落ちてきたら人死が出るのでは、と些かに安全面が気になるところ。
正門から城を見た瞬間、その危険性すらも魅力に思える絢爛な佇まいにせつなは息を呑んだ。幻想的な透明感のある水色、入り口のアーチや窓周辺の細やかな彫刻、繊細であり堅牢さを兼ね備えた美城。
門前で止まっている二人のもとに腰に剣を差した門番が近づく。帽子を脱いだアーベルの顔を見るなり「旦那様!?」と叫び、せつなは己の耳を疑った。
しかしやはり門番はアーベルを「旦那様」と呼び、あっさりと城門が開かれる。
玄関前でソリから降りたアーベルは手綱を門番とは別にやって来た男に渡す。せつなは男が乗ったソリがどこかへ向かうのを見送ったあと、城内に消えようとしているアーベルの後を慌てて追いかけた。
「お帰りなさい旦那様」
「ああ」
数名の使用人を引き連れて出迎えたのは、アーベルと同い年ぐらいの執事らしき青年。彼はせつなと目が合うとアーベルにしたように丁寧なお辞儀をした。後ろで結えた茶髪の短い尻尾が揺れている。
「いらっしゃいませお嬢様」
今までそんな呼ばれ方などされたことがないせつなは、ほんのり頬を染めてたじろいだ。
アーベルは慣れた手で脱いだ帽子や上着やらを青年執事に預けている。
「ご無事でなによりです」
「ラルフ、留守中異常は」
「はい。実は——」
二人が話している間にエントランスホールを見回す。
左右壁際の階段は二階の踊り場で合流し、奥へ続く廊下に繋がる。一階の踊り場の真下にも同じように奥へ伸びる廊下があった。花瓶や燭台、絨毯があるからか、外観ほど冷ややかな印象はない。天井付近、柱や階段の手すりなどには細やかな模様が彫られていた。
手すりの柱に顔を近づけて模様をまじまじと観賞していると、「おい」と上から声が掛かる。見上げれば、アーベルとラルフはすでに階段の上にいた。せつなは置いてかれないように階段を駆け上がった。
廊下がやけに長く感じるのは、同じような光景が続くからだろうか。迷子になりそうな不安を抱くせつなと違い、二人の足取りに迷いはない。当然だ。二人はここの住人なのだから。
ここはきっと領主の城だ。だとしたらアーベルは——。
「お嬢様」
気づけばラルフが開かれた扉の脇に立っている。先に入ったのか、アーベルの姿はない。
促されるままに部屋に入り、目の前の鉄格子を認識したそのとき、背後で鉄格子が閉じられた。
「へ?」
扉の前に設置されていた檻の中から振り返ると、申し訳なさそうなラルフと、扉の裏に隠れていたアーベルを見つけた。
嵌められた!?
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