ニフルヘイム(3)

「セツナ? どうかしたの? 何か叫んでいたようだけど——あら?」


 慌ただしく部屋に駆けつけたレーナは、ベッドの上の二人を見るなり開いた口を手で塞ぎ、共に来たカールロはぎょっとする。


「お邪魔だったかしら?」


「……兄妹じゃないとは聞いたが、そっちの関係だったか」


 その言葉に、せつなは自分たちが客観的に見て大変よろしくない誤解を与える状態だということに気づく。


「違いますっ!」


 緩んでいた拘束から抜け出し、起き上がって身振り手振りと全力で否定する。見た目からして大きな年齢差があるのはわかるだろうに、平然と受けれいてしまうとはどういことだ。これも武器所持と同じようによくあることだとでもいうのか。


 頭が破裂しそうになっているせつなの前で、カールロは腕をさすりながら室内を見回す。


「なんだ? どっからか隙間風が入り込んでるのか?」


「本当ね。部屋が冷えてるわ」


 白い息を出して身震いしている二人にせつなは首を傾げる。青年の息にも薄く色がついているのを見て、せつなは呼吸を小さくした。


 なぜかはわからないが、今の自分は寒さの影響を受けない。剣のことといい、何かとても大変なことが起きている気がする。不可解な異常をレーナたちには悟られたくなかった。


 青年がさきほどのことを話したらどうしようと不安になったが、彼は何も言わずせつなを見下ろしているだけ。


 その視線に体が震える。


 せつなが寒がっていると都合のいい勘違いをしたレーナに促され、暖炉で暖まっている一階へ降りることになった。


 せつなは真っ先に暖炉から一番遠い席に座った。遠慮しなくてもいい、と暖炉の前を勧められても「ここで大丈夫です!」と首を振って席にしがみつく。


 青年が隣に座り、その向かいにカールロが座るが、視線が上下に揺れて青年と目が合わない。きっと目の前の美形を直視できないのだろう。


 二人が話を始めた間にレーナは暖炉でスープを温め直す。


 青年は、アーベルと名乗った。


 ニフルヘイム領の中心、ヘルという町に向かう途中で遭難したと言う。


 この村は、領境からヘルの中間辺りにあった。


 せつなはこのときようやく、自分の現在地を知った。考えることを避けていた自分にため息が出る。アーベルが目を覚ましたと同時に、せつなの現実逃避も終わってしまった。


 明日に村を発つと言うアーベルに、カールロは唸る。


「怪我人が山を登るのは無茶だぞ」


 雪解けの時期があるこの村と違い、ヘルは年中雪と氷に覆われているような標高の高いところにあるらしい。徒歩で向かうのは難しく、一般的な交通手段は馬やトナカイのソリ。


 なんとなしにせつなは、夜空を飛ぶサンタクロースの姿を思い浮かべた。


 アーベルの前にスープとパンが出される。


「ソリを貸してくれれば大丈夫だ。今はこれしかないが、ソリを返却する際に謝礼も払う」


 テーブルに置かれた銀貨。その価値をせつなは知らないが、目玉が飛び出しそうになっているカールロを見るに、大金であることはわかった。


「は!? こんなに!?」


「あなた、落ち着いて」


「お、おう。——ゴホン。金の問題じゃない。ソリを使うにしても必ず怪我に響く、無茶をしてはまた遭難することになるぞ」


 この人、ほんとに良い人だなあ。


 目の前の餌にも飛び付かず、相手の身を案じて要求を跳ね除ける姿にせつなは胸があたたかくなる。


 暑さに弱くなってしまったけれど、内から広がるこのあたたかさは心地が良い。


 同じものを感じたのか、無表情のままのアーベルも肩から力を抜いたように見えた。


「頼む。俺は早く帰らなければならないんだ」


「ん? 帰る? あんたヘルの人間か」


「ああ。だから道は熟知しているし、安全な抜け道も知っている」


「けどなあ……」


 思い悩むカールロに、アーベルはひたすら言葉を重ねる。ときおりカールロの人の良さにつけ込むような物言いにせつなはつい口を出しそうになったが、アーベルが真剣だったので口を閉じた。


 レーナが入れてくれたお茶を凝視して、なんとなく冷めろと念じると表面にうっすらと氷が張る。気付かれないうちにそっとカップを傾けながら、どうせ自分には関係ないことだと、隣の会話を聞き流していた。

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