盗賊物語~月のしずくに接吻を

樹 星亜

プロローグ

 サアッ――。

 晴れ渡る青空のように澄みきった心地よい風が、南へと向かう船上の旅人たちの間を気まぐれに悪戯に吹き過ぎて行く。

「……」

 片膝を立て、片方の長い脚を船縁に投げながら座る剣士らしきその男は、先程から遠巻きに自分を取り囲んでいる女たちのことなどまるで気にかける風もなく、クリームイエローの長いストレートの髪を風になびかせながら、ただじっと北を――今、自分たちが旅立ってきた国のある方角を見つめていた。

「どしたんだい?いやにセンチメンタルな表情(かお)してるじゃないか」

 とその時、ふっと彼の脇に影が差したかと思うと、黒――というよりは緑に近い艶やかな髪の少女が、彼に声をかけた。

「……あ?」

 我に返ったような男の返事に微笑んで、少女は更に男の顔を覗き込む。

「何か憂いごとかい?さっきからずーっと海を眺めてばっかじゃないか」

 そう声をかけながら少女が男の肩に手をかけた瞬間、周囲から悲鳴のような声が沸き起こった。

「あん?」

 一瞬驚いたような表情をした少女だったが、すぐに状況を把握して呆れたようにため息をつく。

「まったく、これだからミーハーな女(やつ)は……」

 これまでも何度か同じような体験をしているらしい少女は肩を竦めて男の隣に腰を下ろす。

 ギャーッ。

 途端に、悲鳴がステップアップした。

「……ねぇ。アレ、何とかなんない?」

 その殺気だった声にさすがにたじろいだのか、少女が男にそう声をかけると、彼はヒョイ、と肩を竦める。

「オレの知ったことか。文句なら彼女たちに直接言ってくれ」

「まったく……。ところで、何だい何だい、その憂い顔は?故郷(くに)に未練ごとでもあるんなら、あたいが水晶球に映してやるよ?」

 どうやら魔道士らしい少女がどこからか丸いクリスタルを取り出すと、男は微笑(わら)って首を振る。

「いや、そういうワケじゃない。ただちょっと……ちょっと思い出してたのさ」

「思い出す?何を」

「ちょっとした悪者退治」

「悪者退治!?何だよ、あんたそんなコトまで商売にしてんのかい?」

「ははっ、まさか。これは純然たる友情の為さ。そう、オレの大切なダチの為――」

 男は懐から小さなダーツの矢を取り出した。それは、彼の友人である若者が得意とした武器だった。

「……何だか面白そうだね。ねぇ、あたいにも聞かせておくれよ、その話」

「あん?」

「だって、ここんトコずっと海の上でさ、水しか見る物なくて退屈してたんだよ。それに、あんた一人で物思いにふけるなんて何かズルイじゃないか。あたいにもその話分けておくれよ」

「分けておくれよ、ったって――」

「いーじゃないか。あんたが懐かしがるコトなら、あたいも知りたい」

 両手を組み、まるでおねだりでもするような仕種で瞳をキラキラ輝かせる少女の表情が、フッと友人のそれに重なった。

「……」

 まァ、話したからって減るもんじゃないしな。ヒマ潰しには丁度いいか。

 男はそう考えて微笑むと、船の縁(ヘリ)に背をもたせかける。

「OK、話してやるよ」

「やたっ」

 少女が喜々として自分の方に向き直るのを気配で感じながら、男は目を閉じ、三年前の時間へと思いを馳せた。

「あれはちょうど三年くらい前の出来事だった。あの頃あの国は……いや、あの国だけじゃない、あの国に隣接するすべての国が、今よりずっと荒れ果てていた――」

 彼の瞼に、戦火に焼けただれた廃墟が浮かぶ。

 そして、その語り部のように流暢に紡ぎだされる彼の言葉を乗せるかのように、爽やかな一陣の風が、二人の上空をゆっくりと吹きすぎて行った――。

 

 砂漠の国トラキーア。

 金脈銀脈が豊富で名馬の産地でもあるこの国で、その恐ろしい事件が起こったのは十三年前のことでございました。

 何とあろうことか、国王様、王妃様両陛下が当時六才になる姫様を残して毒死あそばされてしまったのでございます。

 当然、国中は上を下への大騒ぎになりました。

 しかし時の大臣アブダラ・マクミール様はまるでお騒ぎにならず、その冷静な判断ですぐさま犯人を見つけ出され、両陛下を毒殺した憎むべき犯人を処刑なさりました。

 しかし国は落ちつきましたが悲劇はまだ続きました。

 トラキーア国王家唯一の血筋であるルナシエーラ姫様が、ご両親の死のショックでご乱心めされてしまったのでございます。

 これにはさすがの大臣も成す術もなく、おいたわしや、姫様は城の西の塔に幽閉されることになってしまいました。

 そして国に……いえ、国民にとっての悲劇はここから始まったのでした。

 大臣アブダラ・マクミール様は姫様に成り代わって国政を取り仕切るようになりましたが、この方は大層私欲に富んだ方で、強引とも思えるやり口で次々に隣国を攻め滅ぼし、領地を増やしていかれます。

 我がトラキーアの同盟国でもある隣国、森と湖の国ウィスタリアを始め、その飽くなき欲望の手は遙か遠方の国々にまで伸びたのでした。

 そうして手に入れた国の民たちに重い税を課し、または奴隷として売り払ってアブダラ様はどんどん私腹を肥やします。

 こんな方が国政を取り仕切るトラキーアですから、当然民の心もすさみ、治安も次第に……いえ、急速に悪化していきました。

 そして今ではかつての平和な面影などどこにもなく、トラキーアは盗賊たちの横行する、貧しくすさんだ国へと変化して行ったのでございます――。

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